藤倉 珊 著
TDSF叢書発行委員会 1992年8月16日発行
世の中には、有りそうで、実際には、なかなか無いというものがある。今回、紹介したい予言書?も、そういう本かもしれない。
その名を、『百億年後の地球−今から人類はどう進化していくのか!!−』という。
これは、未来予測書の一つではあるが、普通は百年後あたり、せいぜい千年後を予測する本が多く、百億年後というのは、ちょっと見たことがない。ノストラダムスだって、ここまでは予言していない。
『日本SFこてん古典』にも紹介されているカミイユ・フラマリオンの『此の世は如何にして終わるか』(大正十二年: 改造社)には、一千万年後までの未来についてまでなら少々書かれているが、百億年には到底及ばない。僕の知るかぎりでは『スターメイカー』を除けば、もっともスケールの大きい未来史である。
さて、この本について具体的に説明していこう。著者はイブキ友也氏、一九九一年九月に有限会社イブキプロダクションから発行、星雲社発売となっている。この星雲社というのは、他にも多くのトンデモ本を発売しているところだが、どうも自分の本を出したい人を有料で助けることを業務としているところらしい。
著者については、なにも書いていないが、本書のイラストをすべて自分で描いていることから、イラストレータなのかもしれない。
この本は、主に今から二十年後までの未来に始まって、二十五年後、三十年後、三十五年後、四十年後、五十年後、六十年後、七十年後、百年後、百五十年後、二百年後・・・・・というように、順次進んでいき、一万年後、一万五千年後、一万八千年後、二万年後、三万年後とつづいて、ついに百億年後の宇宙消滅までの人類の未来を予測している。
しかし著者は科学者でもSF作家でもない。より正確にいうと正しい科学知識がほぼ皆無であり、それどころかSFを読んだ経験もないようだ。
それなのに「予測」は公害問題、人口問題、宇宙開発、教育改革、宗教問題、美容整形にまで幅広い。この幅広さは、逆に、ひとつひとつの予測が実に底が浅いという結果を招いている。
例として「科学」に関することを見てみると、この本の「予測」では千五百年後にようやくスペースコロニーの建設が始まり、三千年後に車からタイヤがなくなる、五万年後にサイボーグ、三十万年後に自己増殖ロボット・・・と言うような、ちょっと普通の人は考えない順序になっている。(注、別に「破滅」が来て文明のレベルが下がる話は無い)
しかし逆に「SFを読まない人は、このような認識でいるのか!」という驚きを与えてくれる。
では、この本のなかから、いくつかの予測をピックアップして紹介しよう。
七十年後、テストがなくなり、人間性が評価されるようになる。
百五十年後、完全なリサイクルができる。
二百年後、ジブラルタル海峡にトンネルができる。
五百年後、増え続ける犯罪に対処するため、学校教育で「脳波コントロール装置」が使われ犯罪防止教育をする。(なんだか怖い、しかし犯罪が無くなるのは二万年後!))
千五百年後、ダークマターを使って火星の重力を大きくして、地球化を行う。(ダークマターは目に見えない質量のことだと著者はいう)
三千年後、事故を未然に防ぐために「未来予測装置」を使う。(何だ、こりゃ?)
一万年後、お金が地球上から消える。
一万五千年後、人間はその精神を向上させるために、夜をなくす。著者によると、人間は夜になると不安になったり悪いことを考えたりする。そこでミラー衛星や人工太陽を使って夜を無くしてしまった。なお、このころの睡眠時間は4時間程度。
五万年後、人類の平均寿命は二九〇歳から三二〇歳、身長は三メートル、脳の大きさは三倍、普通の人もサイボーグになる。
三十万年後、人類はいろいろに進化している。(図参照)
五十万年後、人類は氷河期を止める。
千五百万年後、ゴリラやチンパンジーが知能を持ってきて、社会問題になる。
三千万年後、サルだけではなく、犬や猫も知能を持ってくる。しかし人間への依存度が低いためと、二本足で立たないため、あまり問題にならない。
五千万年後、人類の平均寿命は六二〇歳。
三億年後、地球の地形はそうとう変わっている。
十億年後、木星の衛星タイタン(原文のまま)に住む人類の寿命は千五百年、しかし脳死のあともコンピュータに脳のデータを入れるようになるので事実上、死がなくなる。
二十億年後、人類は脳を百パーセント使えるようになる。十歳で相対論や超ひも理論を理解し、十五歳で自我をなくし、二十歳で思考を現実化する力を得て空気中から金属などの物質をつくり出すこともできるようになる。三十歳で無の境地に達し、残り三千年あまりの人生を無の境地のまま生きるようになる。
三十億年後、肉体と精神の分離が出来るようになり、四次元の世界に行く人も増える。
五十億年後、太陽に水素を補給して、太陽の寿命を伸ばす。肉体を持って三次元にいる人類がまだいるからである。
七十億年後、宇宙が収縮を始める。そこで宇宙を脱出する計画が進む。すでに人類は四次元の世界に自由に行き来できるようになっていたが、3次元宇宙が消滅すれば別次元も消滅するので、十一次元以上の無の世界に行かねばならない。(どういう理論?)しかし、人類は、まだ七次元までしか理解していなかったので、この計画は中止し、ワームホールを探して別の宇宙に行こうとする。
百億年後 大半の人類は、宇宙と共に運命を共にする。(へんな日本語だが原文のまま)そして、残りの人類は計画どおりワームホールを通って別宇宙に移住する。
さいごは次の言葉で終わる。
今では、別宇宙の地球とそっくりな星で、再びその文明を築いています・・・!
なんとも、不思議な本である。しかし、このテーマに真っ向から向かった作家は、オラフ・ステープルドンとイブキ友也の他にいるだろうか。まだ開拓されない大きな分野があると言えるのではないだろうか?
さて、壮大な未来予測書のあとに、まったく壮大ではない予測書を紹介しておこう。
『超ノストラダムス 平成大予言』(平成三年:ハート出版)という本だ。
著者は榎本天法という人。著者略歴によると「東京生まれ。天啓により、お告げを授けられ、その内容が予言としてことごとく的中する。多くの人々の信奉を得ているが、未だかって、マスコミ等に姿をあらわしたことがない謎の人物」という。
あんまり略歴になっていないが、著者によると
読者諸兄は、なぜわたしに天からのお告げが降るのか、不思議に思っておられることだろう。タネを明かせば、わたしが人一倍体が弱いから。肉体が弱いと精神が妙に冴え、その結果、音や風景などの自然現象に敏感になり、ある日<天の声>が聞こえてくるのである。
と、言っている。体が弱いと、天からのお告げが降るのか。体が弱いことにかけては、僕も自信があるが、そんなお告げが来たことはない。もっとも、この榎本氏に来ているのが、はたしてお告げなのだろうか?どんなものか、実例をみていただこう。
おつげ〇〇一 平成九年か十年に、富士山、大爆発する。
おつげ〇〇二 平成四年か五年に、長嶋茂雄、ヤクルトか大洋の新監督になる。ならなければ永久にならない。巨人の監督にもならない。
おつげ〇〇三 平成四年か五年に、藤田監督、巨人の監督を引退する。
おつげ〇〇四 平成四年か五年に、巨人に、堀内新監督が誕生する。
おつげ〇〇五 平成13年に、筑波山で、大ガマ捕まる。
これがお告げの最初の5つである。ノストラダムスと違ってすごく具体的であることが特徴である。しかし、これがお告げなのだろうか。たんなる願望と妄想のように見えてしかたがない。
著者が一方的に「天からのお告げ」と言う以外には、なんの根拠もない。
ともかく、おもしろそうなお告げを紹介してみる。
平成四年のオリンピックで日本は金メダル七個、銀二三個、銅三〇個。
平成六年に、犬の鳴き声のするニワトリ、現れる。
平成七年の夏場所で、若花田と貴花田が優勝決定戦で兄弟横綱対決。若花田が勝つ。
平成八年二月四日の関東地方の天気は、雨のち曇りのち晴れのち雪のち曇りのち雨のち晴れ
平成八年に日本列島上空に赤く超大型な十字架の雲が現れる。その時日本救世主になる人物が生まれる。
平成九年にUFO、新潟に大量着陸する。
平成八年に、金閣寺、東京にもできる。
平成二十四年に美空ひばり氏、生まれ変わる。その二十年後、歌手としてデビューする。
平成三十二年に法隆寺の夢殿、七角形になる。
平成十七年にダ・ヴィンチの傑作画「モナリザ」の微笑みが消え、泣き顔になる。
平成六年か七年に宇宙人と一週間、宇宙旅行に行ってきたという日本人男性が現れる。お土産に赤い隕石もらってくる。
平成四年か五年に、歌手の美川憲一の顔バッジが、日本的ブームになる。今の美川憲一の顔は観音様に似ている。
もう、なにが何だかわからない。しかし、どれもTVが取り上げそうな話題ばかりだという共通点がある。この著者は病弱というが、たぶん家から一歩も出ないでTVばかり見ているのではないか?どうも、そんな気がする。
相撲とプロ野球と芸能人に関する予言が多いこと、などから著者の興味の傾向がわかる。これは予言書としては、ひどく異例のことであろう。
しかし、どんなにおかしなものでも、お告げと言われれば、どうしようもない。
もっともなかには、あきらかに不可能なものや、すでに、はずれてしまったものもあるが。
宮沢喜一元副総裁、残念ながら総理大臣になれない。
平成八年に、府中三億円強盗犯人、青梅市で見つかり逮捕される。
もう時効だというのに、何で逮捕されるのだろうか? もっとも、この本のなかには、もっとすごいものもある。
平成三百一年に全世界は日本語に統一される。
こんな予言書は、さすがに、ちょっと例がないだろう。ありそうで、無いということでは『百億年後の地球』と対を成すかもしれない。 予言書の世界も広く奥深いものだが、さすがに、この二つが壮大さと反壮大さの両極ではないか・・・などと考えているが、どうだろうか。