TDSF叢書4

続・日本SFごでん誤伝

−世紀末読書術−

藤倉 珊 著

TDSF叢書発行委員会 1992年8月16日発行

 


第六章 とんでもない物理学の系譜

 このあいだ久し振りに古書市に行ってみたら『理論物理学の錯誤』と題されたキタナらしい本を見つけた。価格はなんと五千円である。多少、古いとしても科学の本としてはひどく高い値段である。全然、聞いたことはないけど、ひょっとして知るひとぞ知る名著なのかもしれないと、手に取ってみた。
 で、見て唖然とした。これはトンデモ本であったのだ。内容を一言で言うと、現代科学は間違っており、著者の創案した「霊質交合性原理」が正しい、私はこの論を去年発表し各大学に送りつけたのに全く無視されている、けしからん・・・というものである。
 この内容を見て、おもわず唸ってしまった。あまりにもコンノケンイチや深野一幸といった人達の言動にそっくりなのだ。発行は昭和9年。六十年以上もたっていても人間のやることは、まったくおんなじだ。
 まずは、前書きから引用してみる。

(前略)
 現代科學の門外漢たる余でさへ一見して、相對性原理の根本となるべきローレンツ収縮の假説の誤謬なることに氣づく程であるから、多年其の道で御苦勞なされると思はれる教授先生や學者達には、たゞ僅かの暗示即ちヒントをさへき與へさへすれば忽ちにして釋然たられる筈だと考へたので、昨年拙著『通俗靈質交合性原理』を編むにあたりても、其の邊のことは至極あつさりと片付けて、ひたすら我が原理を説述することにのみ努力した所以である。ところが意外にも、結果はあまり香しくなく、なかには贈呈せられた本の價値の判斷さへつきかねる程の無學や無智のドエライ先生サマや學者さへあるので笑止千萬であり、また萬づにつけて甚だ慨嘆の到りに堪えない。

 いつの世も、人間は変わらぬものらしい。マーチン・ガードナーの『奇妙な論理』(現代教養文庫)を見ると、事情は米国でもあまり変わらないようだ。
 さて結局、大枚五千円を払って買ってしまったこの本は、昭和9年に神奈川県小田原に住む斎藤朗氏によって発行されている。著者の名は屑屋極道というが、本名であるとは思えない。推測するに斎藤朗氏の著であろう。
 こんな本、昔にもこんな人がいた・・・という以外にはなんの価値もない。なんで、こんな本に五千円の値がついているのか、というとやはり僕のような馬鹿がときどきいるからだろうな。
 本来なら紹介するのも、ためらわれるような本ではあるが、今回は元手がかかっているので、何とか原稿にしてしまうことにする。

 この本を見ていくと、まず「太陽は灼熱の坩堝ではない」という主張にびっくりする。この結論はどこから出てきものか。屑屋は3つの主張を論じる。
 第一に、昔は太陽も星も、みな熱い星と思っていたが、火星は知られるように地殻が存在する温度の低い星であることがわかった。では、なぜ太陽に地殻がないと思うのであろうか。
 第二に、惑星は太陽の光を反射すると言われる。特に雲の多い星は良く反射するので明るいなどと言われる。しかし雲は光を反射して輝いてはいないではないか。そんなことがおきるなら地球も地面が輝いていなければおかしいではないか。
 第三に、上空に昇れば昇るほど、太陽に近づくにもかかわらず、寒くなってくるではないか。

 こうした事から、屑屋極道は太陽は低温の星であり、輝いているのは太陽のエーテル波動によって地球の大気が影響を受け輝いているのだと主張する。
 この主張をみて、さすがは戦前の説、現代にこんな説を言い出すものはいない、と思う人は、まだまだあまい。
 現代でも、ほとんど同じ説を唱える人がたくさんいるのである。よい例が、第一章でも紹介した工学博士深野一幸であろう。
 氏の『地球大破局からの脱出』(一九九一年,廣済堂)の第六章は「太陽はあつくない」と題され、まさに屑屋極道と同様な主張がなされている。
 いや屑屋極道以下かもしれない。屑屋極道は一応、自分で考えた論理的?主張ではある。
 しかし、深野一幸は、上空に昇れば寒くなるとも言っているが、主な根拠は
(1)チャーチワードによるムーの伝承に太陽の熱という語句がない。
(2)ブラジルのコンタクティ(宇宙人と会った人)によると宇宙人が太陽を熱い星ではないと教えてくれた。
(3)有名な天文学者のハーシェルも「太陽は冷たい天体であり得る」と主張していた。
など自分で考えてもいない。
 とくに(3)はハーシェルの名を悪用している犯罪的行為であり不愉快きわまりない。天王星の発見で知られるハーシェルは、確かに、そのようなことを言ったことがあるらしいのだが、ハーシェルが一八世紀の学者であることをこの本では記載せず、わざと読者が誤解するようにしむけている。なおハーシェルは黒点は灼熱の太陽の雲の隙間から見える太陽の地表ではないかという説を唱えたのであり、少なくとも太陽の表面が灼熱であることを疑ったわけではない。高く昇ると気温が下がるのは太陽が低温だからなどというたわけた説とは無縁である。
 しかも深野は、太陽が低温なので、生じているのは低温核融合であるなどと変なことを言っている。太陽が熱いことは否定するが、核融合は否定しないということらしい。このあたりの考え方はまったく分からない。
 結局、深野一幸が唱える地球の熱と光の発生機構は、太陽から直接送られてくるプラスの宇宙エネルギーと地球から出ているマイナスの宇宙エネルギーがぶつかるというものだ。昭和九年の主張であるエーテル波動となんら変わってはいないのだ。(なんだか大伴昌司によるスペシウム光線の原理に似ているような気がするが・・・)

 屑屋極道は、この本を出す前年に『通俗靈質交合性原理』を出し、これが無視されたことがよほど悔しかったらしく、巻末に「學界騒動と昭和學界忠臣蔵の巻」などのいわば不平不満が載っている。ちょっと見てみると。

 現代科學は−−「太陽は灼熱の坩堝である」と謂ふ假説を土臺として、其の上に建築されるもの故、萬一、其の否定たる「太陽は灼熱塊には絶對あるべきではなくして、地球の如く、地殻や空氣が存在し從て生物の棲息も可能なるべき理である」と云ふ新學説が説明可能なる曉は、−砂上の樓閣たるの結果を将來するとも寧ろ當然であり、また自業自得と云はねばならぬ。
(中略)
 我が國の學者や大學の教授等が萬一、眞理の探究に忠實にして、また日本國民たるの意識が多少たりとも存在するならば、或いは、日本精神振興の聲喧しい非常時日本を思ふ念が幾分なりと實在するならば、當然此の原理に、多少とも注意すべき筈であらうではないか。
 然るに、此の學説が「通俗靈質交合性原理」と云ふ著書になりて、我國の主たる大學や高等学校の殆全部に贈呈されて、其の請け書或いは禮状が五十一通に既に達する程にて、悉く嘉納或は黙納されたのに拘らず唯、國家の尤なる代表たる某大學の各(七)部や其の教室に贈呈されたる全(廿三)部のみが、該教授等の無學・無智・或は反感のなどの爲めに、僅々十日間目に、返戻されたとしたならば、どうであろうか。
(中略)
此の『理論物理學の錯誤』は余が、該某大學並びに現代高等理學に挑戦せんとする果状或は公開状と觀るべきであろう。
 平常は無爲無能にして静閑なること恰も午睡の豚群の如きであつても、一旦、學の危急存亡の秋、或は自己の生死の巖頭に直立するとき、果して彼等が、其實眞理や學に對して虎視耽々たる天晴猛虎たる所以を此の際發揮し得るや、否や!?

 こうしたものも、現代に珍しくなく、現にコンノケンイチなど、やはり『ホーキング宇宙論の大ウソ』の終わりに、京大教授佐藤文隆氏に「公開質問状」を送っている。コンノケンイチは、どうも佐藤教授が日本における「悪」の張本人と思い込んでいるらしい。
 屑屋極道とコンノケンイチあるいは深野一幸。引用するのが、嫌になるような、なさけない話なのだが、逆になんだか救われたような気もする。たぶん人間が全々変わっていないことを示しているためだろう。逆に、人間が大きな進歩を示していると、僕は慄然としたに違いない。どうしてと言われても困るのだが。

それにしても、この本に五千円は高かった。


続・日本SFごでん誤伝第七章に続く


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