神風隊長

宇宙天狗党の驚異

江戸門 晴美 著

昭和一七年 帝国科学振興舎 発行
平成四年八月十五日 南 要復刻


三.神風隊長

 さて、読者諸君。諸君は、この城戸首相の要請によって、何処からかやって来た、桜木日出雄と言う青年と、老人、鉄人、禿げ頭の男は、一体、何処の何者であろうかと、きっと訝しがっている事に違いない。
 実は、彼等の生い立ちは、彼等の他には、城戸首相しか知らない秘密なのだ。だが、今日は特別に読者諸君にも、そっと、その秘密をお教えしよう。それは、まさに、奇想天外な、不思議な話なのだ。
 今から、およそ、二十五年程前の事である。
 富士山の麓の静かな森の中、一軒の古びた洋館の、窓辺の露台に、三人の人影があった。調度、その日は仲秋の名月。夜空には、一片の雲も無く、富士の山の黒い影の上、満月は、優しくその光を地上へと投げかけていた。
 どうやら、三人は、ひっそりと月見の宴を催している様だ。一人は、この屋敷の主、桜木健三男爵、一人は男爵の良人である百合子夫人であり、もうひとりは、男爵の学問の師に辺り、良き理解者でもある来戸佐衛門博士であった。
「来戸博士。どうぞ御一献。」
 男爵が、そう言って、白磁の銚子の首を摘み、来戸佐衛門の手の中の朱の杯に、酒を注いだ。
「なんとも、素晴らしい名月ではありませぬか。」
 男爵は、にっこりと微笑んだ。
 男爵は年の頃は二十代も半ば。細面の顔に、涼しげな目元。社交界でも、ちょっとした好男子として知られていた。しかし、彼がもっと世間で有名なのは、なんと言ってもその発明や発見、科学者としてのめざましい業績であった。世間の人々は彼の事を今エヂソンだ、この世の諸葛孔明だともてはやした。
 なにしろ、彼の獲った特許の類は枚挙にいとまが無い。本来ならば、それらの特許料で莫大な財産が得られる筈であった。が、彼は元来、財産については無頓着で、その発明や発見を、世の役に立つ事ならばと、ただ同然に提供してしまうので、その生活は決して楽ではなかった。
「ホッホッホッ。名月を肴に酒を酌み交わす。世の贅沢これに極まれり。と言ったところかのう。」
 来戸佐衛門博士は、胸まである白い髭を撫でながら、さも愉快そうに言った。 来戸佐衛門博士は、太陽系でも並ぶもの無き大学者だ。その博覧強記ぶりは、とどまる事をしらない。なにしろ、桜木男爵に科学の手ほどきをしたのは、他ならぬ来戸佐衛門博士、その人なのである。
 博士の知識は、現代の科学は言うに及ばず、東洋古来の神仙の術にまで及んでいた。なにしろ、博士自身、昆崙の山奥に入り、仙術を習い覚えて長生の術を身に付けた為、その齢は、ゆうに百才を越えていると言われている。まさに博士こそ、この宇宙時代に生きる、仙人そのものであった。
 しばし、酒を酌み交わし、他愛もない話が続いた後、不意に、桜木男爵が切り出した。
「佐衛門博士。実は、少し御相談したい事があるのです。」
 真剣な顔で言う男爵に、佐衛門博士は、いつもと同じ落ち着いた調子で答えた。
「相談と言うのは、例の研究の事かな。」
「その通りです。」
 男爵は大きく頷くと、言葉を続けた。
「この隠れ家の事を、どうも、奴等に気付かれたらしいのです。この所、この辺りを怪しい男達が嗅ぎ回っているらしいのです。」
 桜木男爵は、近年、佐衛門博士の協力のもと、ある研究に没頭していた。その研究とは、人間そっくりの人造生命体を創造する事であった。
 今や太陽系の宇宙空間をほぼ制覇しつつある人類が、近い将来、銀河系の芒漠たる星の大海に雄飛せんとする時、そこに待ち構えているだろう、想像を絶する大苦難を退け、人類を助け、共に進んでいく新しい伴侶の創造。それこそが、桜木男爵の目指す物であったのだ。
 しかし、この研究の事を何処からかかぎつけた者がいた。太陽系にその名も高き、悪の集団、太陽系赤魔団の首領、イワン・クログロスキイ博士である。
 卑怯なクログロスキイ博士は、あらゆる手を使って、桜木男爵の研究を奪おうと試みた。男爵の進んだ科学技術の粋を、私利私欲の為に使おうと言うのである。男爵の命が危なかった事も何回かあった。
 しかし、そんな悪人に、貴重な研究を渡す訳にはいかない。その為に男爵は、世界各地を点々として、その行方をくらましながら研究を続けたのだ。そして、何度目かの隠れ家である、この洋館にたどり着いたのである。
 が、そこも、又、クログロスキイ博士に見付かってしまった様なのだ。
「僕の研究は、もう少しで完成します。あとは、実際の組み立てを残すのみです。だから、僕は、どうしても、奴等の手にかかる事は出来ません。」
 男爵は、そう言って、唇の端をぎゅっと結んだ。
 佐衛門博士が呟く様に言った。
「ふうむ。又、何処か隠れ家を探さねばならぬ様じゃのう。」
「そこです。」
 男爵は、ちょっと間を置くと言った。
「最早、地球上では、奴等の手から逃れる事は、難しいでしょう。」
「成程。他の遊星に行こうと言うのかね。しかし、男爵。それは、他の遊星上でも同じ事であろう。奴等の手は、太陽系中に張り巡らされて居るぞ。そう簡単に安住の地は見付かるまい。」
 佐衛門博士の言葉を聞き、男爵は、悪戯っぽく微笑んだ。
「仰る通りです。だが、僕は、ある場所に目を付けました。そこは、地球では無く、さりとて、他の遊星上でも無いのです。」
「ほう。」
 不思議そうな顔をした佐衛門博士の様子を見て、男爵は天空に浮かぶ満月を指差して言った。
「あそこです。あのお月様に行くのです。」
「なんと、月へ移ろうと言うのかね!」
 流石に、佐衛門博士は驚いた。何故ならば、月は、宇宙探検の最初の頃には、基地等も造られたものの、他の遊星に行ける様になった今では、全く見捨てられた土地だったからである。空気も水も生命も無い死の世界。少し行けば生命に満ち溢れた星々があると言うのに、誰が今さら、そんな所に行くと言うのだろうか。
「そこがつけめですよ。博士。ロケットで飛出したといったら、誰だって金星や火星に行ったと思うでしょう。まさに『灯台もと暗し』ですよ。」
「ふうむ。月世界のう…。」
 最初は面喰った佐衛門博士ではあったが、次第にその考えに興味を持ち始めたらしく、その皺の奥の小さな目を光らせた。その様子を見て、男爵は、更に熱を帯びて話を続けた。
「空気と水は、岩石を分解して、水素や酸素を手にいれる事で造る事ができます。食糧は濃縮した合成栄養食や、滋養乾パンを持って行けば、何年でも食べていけるでしょう。水と太陽光があれば、野菜を水耕栽培する事も出来ますし、米だって作る事が出来るでしょう。」
「だが、それだけの設備を作るのは、並み大抵な事ではないぞ。」
 男爵は、にこりとして答えた。
「なあに、そのくらいの苦労は覚悟の上ですよ。それに、ちょっといい所を見付けたのです。」
 男爵は、空に浮かぶ月を指差した。
「あの月の南半球に、新昭和クレイタアがあります。そこには、今では放棄された月面探検用の基地が残されて居るのです。そこでしたら、ちょっと手直しするだけで、僕達の研究所として使える筈です。」
「おお、中村少佐が、人類で初めて月面に着陸した時の基地じゃな。」
「そうです。人類最初の壮挙の地で、僕は、人類の更なる発展の為にその全力を傾けるというつもりなのです。そこで、佐衛門博士。どうか、僕と共に月世界へ行ってくれはしませんか。やはり。僕にはあなたの協力が必要なのです。」  その言葉を聞いて、佐衛門博士は、その目を更にキラキラと輝かせると言った。
「無論じゃよ。桜木男爵。もし、儂を置いていくなどと言ったら、儂は君との仲を終わりにしてしまうところじゃぞ。ううむ。何とも愉快、愉快。」
 佐衛門博士は髭を撫でながら、本当に愉快そうに体を揺らした。
 桜木男爵は、博士と一緒に笑っていたが、ふと、隣に座っている百合子夫人に目をやった。
 夫人は、男爵と博士の話を黙ってじっと聞いていた。その姿を見て、男爵の顔が一瞬、曇った。そして、男爵は、意を決したかの様に、百合子夫人に向かって静かに言った。
「百合子。今、聞いた通りだ。僕は、佐衛門博士と共に月世界へと行く。どうやら、君とは別れなければならない様だ。」
 百合子夫人は、その言葉を聞いて、まるで、信じられぬといった表情をして、何かを言おうとした。
 が、男爵は、そんな夫人に向かって、猶も言い聞かせる様に、静かに、優しく、言葉を続けた。
「百合子。僕達は、未知の世界へ行くのだよ。それは、準備には念を入れていくつもりだ。だがね、そこにどんな危険が待ち構えているかは、予想すら出来はしないのだよ。そんな所へ君を連れていくなんて、僕には到底出来はしない。それに、君一人ならば、クログロスキイの奴もきっと手出しはしないだろう。君は、この地球にいた方が、ずっと、幸せになれるんだよ。」
 夫人は、男爵の言葉を聞きながら、じっと男爵の顔を見つめていた。その黒い、つぶらな瞳には、溢れんばかりの涙が光っていた。そして、夫人は男爵の言葉が終わると静かに首を横に振り、言った。
「私の事ならば別に心配はいりません。もし、私があなたの研究に邪魔だと言うのなら、私は喜んでこの身を引きましょう。万が一、クログロスキイに捕らえられたとしても、私は、あなたの事は一言だって喋りませんわ。でも、でも…。」
 百合子夫人は、込み上げてくるものを押さえると、言った。
「今や、私の体は、私一人の物では無いのです。」
 そう言って、彼女は自分のおなかにそっと手をやった。
 今度は、男爵が驚愕する番であった。男爵は、その手で夫人の肩を掴み、彼女を自分の胸にぐっと引き寄せた。
「そうだったのか。僕の、僕の子供が。」
 二人は、そのまま、暫くの間、おし黙っていた。夫人の目からは、とめどなく涙が溢れだし、流れていた。男爵は、か細い夫人の体を抱きしめたまま、微動だにしなかった。
 その様子を見て、佐衛門博士が、杯の残りの酒をくっとあけると、ぽつりと言った。
「のう、男爵。別れられぬものを無理に分けようなぞと言うのは、自然の摂理に反すると思わぬかね。それに、合成栄養食も、女人がちょいと手を加えてくれれば、格段に味が違うと言う事だしのう。」
 佐衛門博士は、言い終わると、もう一杯、手酌で酒を飲み干した。

 一機の貨物ロケットが、三人を乗せて、富士の裾野から、月へ向かって飛んだのは、それから一週間も立たぬ日の事であった。
 月に住みかを定めた、男爵は、早速に佐衛門博士と共に、研究を開始した。 彼等は、先ず、人造生命の第壱号として、全身を金剛石よりも硬く、鋼鉄よりも強い無敵金属で造られた鉄人を作成した。電気脳を持ち、大出力の無限動力発動機を装備した鉄人は、多力王と名付けられた。
 彼等は、出来上がった多力王の教育を始めた。鉄人に言葉や、行儀、大和魂を教えるのだ。これには、百合子夫人も加わった。多力王の最新式の電気脳は、次々に知識を吸収して、人のする事は、ある程度、なんでもこなせる様になった。それに、多力王の頑丈な体と豪力は驚くべきもので、人間の力を遥かに越えていた。先ずは、大成功と言ってよいであろう。
 しかし、彼等は、決してその成果に完全に満足したわけでは無かった。頑丈な金属製で、大馬力の持ち主である多力王は、その反面、細やかな作業や、敏捷な動作を要求される作業は、どうしても苦手であった。その豪力が災いして、大切な機械を打ち壊してしまう事もしばしばであった。
 そこで、彼等は、第弐の人造生命を造りだした。今度は、ゴムや石油から造った合成樹脂を原料にして、その肢体も、より人間に近づけた。そして、彼等は、この人造人を燕と名付けた。
 燕は、多力王程の力も無ければ、体も特に頑丈な訳では無い。しかし、燕のその軽い体が生み出す身軽さは、特筆すべきものであった。人間では、到底出来る筈も無い軽業を、燕はなんなくやってのけてしまうのだ。
 こうして多力王と燕が創造され、教育が行なわれていく間に、この月世界に第三番目の生命が誕生した。
 今度は、本物の人間の誕生であった。桜木男爵と、百合子夫人の間に出来た、玉の様な男の子の事である。男爵と夫人は、この子に、日出雄という名前を付けた。
 そして、二年程が過ぎたある日。その日、基地には、珍しく、桜木男爵と百合子夫人の二人だけしかいなかった。
 佐衛門博士は、教育も兼ねて、多力王、燕を引き連れて、月面の鉱物の探査に出掛けていた。佐衛門博士は、赤ん坊の日出雄も一緒に連れて行っていっていた。日出雄は、月面から星空や虚空に浮かぶ地球を見るのが御気に入りで、いつまででも、きゃっきゃっ言いながらそれを眺めている様な赤ん坊だったからである。
 桜木男爵は、研究室で椅子に座りながら、御茶を飲み、傍らで繕い物をしている百合子夫人の方を見やった。
 もう、多力王と燕の教育も、ほぼ、終わり掛けている。あと暫くすれば、彼等は地球へと帰れるのだ。そして、多力王と燕を世間に発表し、研究の資料を太陽系共栄圏政府へと引き渡す。そうすれば、如何にイワン・クログロスキイと雖も、もう手出しはしないだろう。
「あら、何か御用ですの?」
 百合子夫人が、夫の視線に気付き、針を持った手を止めて聞いた。
「いや。別に。ここも、後少しでお別れかと思ってね。」
 夫人は、にこりと笑って言った。
「そうですわね。今思えば、ここも素敵な所ですものね。日出雄も、この奇麗な御星様が見られなくなって、寂しがるんじゃありませんかしら。」
「そうだな。日出雄は、きっと寂しがるだろうよ。だけど、日出雄の為にも、地球に戻らなければならないのだ。僕らには、日出雄を立派な日本男児に育てる義務がある。」
 と、その時。基地と月面との間の気密扉が開く音がした。
「あら、みんな、もう帰ってきたのかしら。」
 百合子夫人が、針を仕舞って、立ち上がろうとしたと同時に、研究室の扉がさっと開いて、何人かの男が入ってきた。
「烏呼!」
 男爵は、その男達を見て、思わず叫んだ。
 男達は、気密服を来ていたが、硬質硝子製の気密帽は外していた。そして、手に手に、力線ピストルを構えていた。
「探したぞ。桜木男爵。まさか、こんな所に隠れ家を造っておったとはな。」
 男達の中の、長身で、痩せぎすな、禿げ鷹の様な顔をした西洋人が言った。
「イ、イワン・クログロスキイ博士!」
 烏呼、なんとした事であろうか。悪漢イワン・クログロスキイが、とうとう桜木男爵の隠れ家を見付けだし、研究を奪わんものと、一味とともに来襲してきたのだ。
 クログロスキイ博士は、口元に冷たい笑いを浮かべ、力線ピストルを、男爵の方へと向けた。
「フハハハハ。会いたかったよ。桜木男爵。ほほう、それに奥様も御一緒とは。」
「何の用だ。クログロスキイ博士。」
 男爵が強い調子で言った。
「何の用かとは恐れ入る。君の研究をすこしばかり拝借したいのだよ、桜木男爵。まさか、嫌とは言うまいね。」
 クログロスキイは残忍な目を輝かせて言った。
 が、男爵は、その目をじっと睨み返すと、決然と言い放った。
「貴様の様な悪党なぞに渡す研究など無い。」
「そうか。なら仕方のない。」
 クログロスキイは、言葉と共に、力線ピストルの引き金を引いた。黄金色の力線は、瞬く間に男爵の体を貫き、男爵は弾かれた様にその場に倒れた。
「ふ。おとなしくして居れば、儂の部下にでも使ってやったものを。貴様なぞ居らなくても、この研究所と資料があれば良いのだ。」
 クログロスキイは、そう言いながら、今度は、百合子夫人の方へと向き直った。
「と、いう訳だ、奥さん。残念だが、奥さんにもあの世とやらに行ってもらわねばならぬ。」
「卑怯者。」
 百合子夫人は、憎しみのこもった目で、良人を射殺した悪漢を睨みつけた。 「貴方は、それでも人間なのですか。貴方の様な卑劣漢は、きっと、天が見逃しはしません。」
 クログロスキイは、その言葉を聞いて、にやりと笑った。
「ほほう、天罰とやらがあるのだったら、一度、お目にかかりたい物だ。では、さようなら、奥様。」
 クログロスキイの指が、再び力線ピストルの引き金を引いた。
 「ああっ!」
 絹を引き裂く様な悲鳴が、研究室の中に響いた。憐れ、夫人の体は、力線に貫かれ、どうっとばかりに、床に倒れ込んだ。
「フハハハハハハ。夫婦そろって、仲良くあの世とやらに御旅行だ。」
 クログロスキイは、床に転がった二人の死体を見下ろしながら、冷い笑い声を挙げた。

 その時、クログロスキイの背後の扉が、荒々しく開け放たれた。
「やや、これは!?烏呼、貴様は!」
 扉から入ってきたのは、幼い日出雄の手を引いた佐衛門博士であった。
 博士は、床にころがる男爵夫妻と、クログロスキイ達を見て、思わず叫び声を挙げた。それと同時に、日出雄は、火が着いた様に泣き始めた。
 しかし、クログロスキイは落ち着いたもので、今度は、佐衛門博士の方に、冷酷な笑いを投げかけた。
「ほほう、これは、来戸博士。御久し振りです。それに、その子は、男爵の御子息かな。仲々利発そうな子じゃあないか。」
「ううむ。クログロスキイ。貴様、男爵夫妻を殺しおったな。」
 佐衛門博士が、普段の柔和な態度からは想像もつかぬ様な怒声を挙げた。その目は怒りに燃え上がっている。
「ははは。見ての通りだよ。来戸博士。残念ながら、君とその坊やにも、同じ運命を辿ってもらわねばならぬ様だな。」
 そう言って、クログロスキイ博士とその手下が、力線ピストルを構えるのと、殆ど同時に、佐衛門博士が叫んだ。
「多力王、燕!」
 その声と共に、二つの影が、佐衛門博士と、クログロスキイの間に飛び込んできた。
 その二つの影を見て、クログロスキイは、ぎょっと驚いた。身の丈七尺の鉄の巨人と、不敵な面構えの人造人間が、そこに立っていたのだ。
「やってしまえ。多力王、燕。そやつは貴様達の主人を殺しおった大悪党じゃ。遠慮はいらぬ。思う存分、仇を討つのじゃ。」
 佐衛門博士の命令一下、鉄人と、人造人は、クログロスキイとその一味めがけて踊り掛かった。
 怒声と、鉄と肉がぶつかる音、力線の発射音が同時に響き、唐突にやんだ。 見れば、多力王と燕の尋常ではない能力の前に、クログロスキイ一味は、一人残らず討ち取られていた。
「男爵、男爵!」
 佐衛門博士は、男爵の側へと駆けつけたが、男爵の胸は、力線に依って、炭の様になっており、佐衛門博士の神の様な医術を施しても、とても生き返らせる事が出来るものではなかった。
 佐衛門博士は、弱々しく首を振ると、今度は、百合子夫人の側へと行った。 が、夫人の体も同様であった。最早、桜木男爵夫妻は不帰の人となっていた。
「烏呼、何と言う事だ。天には、神も仏も無いのであろうか。」
 佐衛門博士は、天を仰いで嘆息した。と、佐衛門博士の耳に、子供の泣き声が聞こえてきた。
 博士が振り向くと、そこには日出雄が立っていた。
 そして、その側に寄り添うように、多力王と、燕が居た。二人の人造人は、この状態を、一体どうして良いやら判らぬ様であったが、とりあえず日出雄を守る様な配置に立っていた。
 佐衛門博士は、泣きじゃくる日出雄を、そっと抱きよせた。
「おお、若よ。なんと憐れな事よ。こんなに幼くして、両親を失ってしまうとは。しかも、男爵には頼れる様な身寄りも有りはしない。例え、地球に帰ったとしても、この老体では、若を御育てする事もままなるまい。烏呼、若は不憫にも、みなしごとなってしまわれたのか。」
「あのう、我々はどの様にすれば宜しいのでしょう。」
 不意に、多力王が言った。 「私達は、いつでも日出雄坊ちゃまを御守りする様に、奥様から言い付かって居りました。我々には、一体、これからどの様にすれば良いのか、判断は下せません。博士、どうすれば良いのか、お教え下さい。」
 それに続いて、燕も言った。
「多力王の言う通りです。我等は、如何なる時でも日出雄坊ちゃまを御守りせねばなりません。どうか、我々にご指導を。」
 その言葉を聞きながら、佐衛門博士の頭の中に、ある途方もない企みが浮かんできた。
 わざわざ、地球に帰ったとしても、果たして、この先、どうなるのかは判らない。この人造人達は、おそらく、日出雄達と離れ離れにされてしまうだろう。みなしごとなった日出雄にしても、どういう運命になるのか判りはしない。誰ぞの養子となるか、はたまた、天涯孤独の見となるのか。いずれにしても、栄誉ある桜木男爵家は終わりを告げる事となるだろう。いっそ、それならば、ここ、月世界で、日出雄が成年に達するまで、養育してはどんな物であろうか?
 幸いに、食糧は沢山あるし、自動化した各種の設備があるから生きていくのに特に不自由は無い筈だ。子供の誕生は、前もって判っていたので、それ相応の準備もある。そして、如何なる人間よりも、忠義で、誠実な、二人の人造人もいる。彼等の特殊な能力は、きっと、役に立つであろう。
 佐衛門博士は、大きく頷くと、日出雄の頭を軽く撫でて言った。
「若。泣くのを御止めなされ。若の事は、この不肖、来戸佐衛門と、多力王、燕が引き受けましたぞ。桜木男爵、百合子夫人。御心配する事なかれ。我々一同、きっと、若を、立派な日本男児に御育てし、桜木男爵家を継がせて見せますぞ。」
 こうして、子供と老科学者と、鉄人、人造人による、奇妙な生活が始まった。 日出雄に対して、佐衛門博士は、学問や修心を、多力王や燕は、その特技を生かして体術を教えていった。日出雄は、三人の奇妙な仮親の、暖かな愛情に包まれて、すくすくと育っていった。
 やがて、日出雄少年が十才を過ぎた頃になると、佐衛門達は、ロケット艇を使い、遊星諸国を巡る旅行に彼を連れ出した。そして、ロケット艇の操縦や、力線ピストルの使い方等を実習させた。
 その様にして一応の見聞を広めると、日出雄少年は、今度は、彼一人で、諸遊星を漫遊した。
 ある時は、地球で剣術の修行をし、ある時は、宇宙船の雇われ船員として働き、又、ある時は、探検隊に加わり、冥王星の大氷原を氷犬のそりで横断した事もあった。
 その間、佐衛門博士は、じっと、月の基地で待っていた。多力王と、燕の二人は、時として、日出雄少年の様子を、影ながら見守りに行っていたが、佐衛門博士だけは動かなかった。彼が日出雄少年と会うのは、日出雄少年が、ふらりと月の基地に帰ってきた時だけであった。
 佐衛門博士は、もしも、日出雄少年が、この広い太陽系世界の何処かで、真に自分の道を見付けたのであれば、彼が二度と戻らなくても構うまいと、覚悟を決めていたのだ。  しかし、日出雄少年は、必ず、この月の基地に帰ってきた。そして、その度に彼は、今までよりも、一回り大きな男になっていた。
 やがて、日出雄少年も二十歳を過ぎ、立派な青年へと成長した。そして、日出雄青年が月へと帰って来ていたある日。佐衛門博士は、多力王、燕と共に、日出雄青年に告げた。
「若。若は、もう充分に成長なされた。最早、我々の教える事は、何も無い。若は、一人で充分にやっていける筈じゃ。」
 佐衛門博士は、そこで一旦、言葉を切って、傍らに立っている多力王と、燕を見た。そして、再び、日出雄青年に向き直ると言った。
「そこで若。これから、若がどの様な人生を歩むか、若に選んでもらわねばならぬのじゃ。それが、どんな道であろうと、我々は何も言わぬ。我々の協力が必要ならば、喜んで手を貸しましょう。又、もしも、若が我々と一緒に行動したく無いのなら、我々は、若に二度と会う事の無い様に姿を隠しましょうぞ。」
 その言葉を聞いて、日出雄青年は黙っていた。多力王と燕は、答えを待つかの様にじっと日出雄青年を見つめていた。
 佐衛門博士が、言葉を続けた。
「急にこんな事を言っても、若もすぐには、判断出来かねる事じゃろう。ゆっくりと考えなさるがいい。答えはそれからでも…。」
 そこまで佐衛門博士が言った時、今まで黙っていた日出雄青年が、にこりと微笑んで言った。
「博士。僕の事に気を使ってくれて有り難う。でも、僕の行く道は、もう決まっているんだ。」
 佐衛門博士達は、以外な発言に、日出雄青年の顔を見た。日出雄青年は、やや間を置くと、喋り始めた。
「僕の両親は、科学を悪用しようとした太陽系の悪党共に殺された。その犯人共は既に退治されたとはいえ、この太陽系には、まだまだ悪い連中がいる筈だ。そして、奴等は、ますます進んだ科学を使って、今までの想像を絶する様な悪事を企むに違いない。幸いにも、僕は、佐衛門博士や、多力王、燕と言った頼りになる仲間に育てられ、一般の人々よりも、少しばかり余分な能力を身に付ける事が出来た。そこで、僕は、その能力を、この太陽系の中に巣喰う悪党共を退治する事に使いたいんだ。二度と、僕の両親の様な犠牲者や、僕の様なみなしごを出さない様にする為にもね。」
 こう言い終わると、日出雄青年は、佐衛門博士達に微笑み掛けた。
「そこでね、博士。その目的の為に、是非とも貴方達の力を貸して貰いたいのだ。何分、僕一人の力では限度がある。もし、博士や、多力王や、燕が、力を貸してくれるというのなら、僕にとってはこんなに嬉しい事はないのだが。」
 暫しの沈黙が訪れた。佐衛門博士は、何も言わなかった。多力王と燕は、佐衛門博士が、何か言うかと、じっと佐衛門博士の方を見つめた。
「嫌なのかい?博士。僕はそれならそれで構わない。こんな困難な仕事、誰だって無理強いする事は出来ないからね。」
 日出雄青年は、にこやかな笑みを絶やさずに言った。
 と、日出雄青年を見つめていた佐衛門博士の両の眼から、どっとばかりに涙が溢れ出た。
「おお!若。」
 佐衛門博士は、感極まったかの様に言った。
「おお、若。よくぞ言って下さった。若の心意気、この来戸佐衛門、しかと受け止めましたぞ。そうとなれば、例え、太陽の中、冥王星の果て、儂は若と共に進みますぞ。おお、若、本当に御立派になられた。」
「そ、某とて、一緒に戦いますぞ。」
 多力王が光電管の目を輝かせながら進み出た。 「この正義の鉄拳を、悪漢共に嫌と言う程、喰わせてやりますぞ。」
「俺らだって一緒ですぜ。」
 燕がさっと多力王の前へと身を乗り出す。
「こちとら、そんな痛快な冒険がしたくってうずうずしてたんでさぁ。こんな事もあろうかってんで、俺等、若男爵の居ねぇ間、甲賀の卍谷って所で忍術の修行をしてきたんですぜ。是非、俺等を仲間に加えてくだせいな。そこの鉄の御化けよりゃあ、よっぽど役にたちますぜ。ねぇ隊長。」
「隊長?」
「そうですぜ。若男爵。これからあなたぁ、俺ら達の隊長だ。
 日出雄青年は、こぼれんばかりの笑顔で、佐衛門博士、多力王、燕の三人を見回すと、高らかに言った。
「有り難う。僕はきっと、この世のあらゆる悪党を討ち滅ぼし、この太陽系共栄圏を護り抜く事を誓うぞ。例え、どんな、艱難辛苦が待ち受けていようとも。」
 こうして、一同は、誓いを立てると、東京の太陽系共栄圏政府首相に面会を求めた。
 密かに、首相に会った日出雄青年は、彼等の決意を伝えると共に、もしも、自分達の力が必要ならば、北極に設置してある、信号灯台を点滅させてくれる様に頼んだ。
 それから、暫くたったある日。太陽系共栄圏を震撼させる様なある事件が起こった。
 流星紳士と呼ばれる盗賊が、奇怪な新兵器を手に暴れ回ったのである。その奇怪な手口には、流石の遊星巡査局も御手上げとなり、解決の糸口は全く掴め無かった。万策尽きた時、首相は、ふと、月からやって来たと言う、奇妙な四人組の事を思い出し、藁をもむつかむ気持ちで、北極の灯台を点灯して、彼等を呼び出し、事件の解決を依頼してみた。
 するとどうであろうか、彼等は二週間もしないうちに、流星紳士の一味を一人残さず捕まえてしまったではないか。
 以来、彼等は、何度も、太陽系を震え挙がらした大事件を解決し、やがて、太陽系の全ての住民から、慕われる様になったのである。そして、太陽系の住民達が、親愛を込めて、彼等の事を、神風隊長と神風隊と呼ぶ様になったのは、前に述べた通りである。
 こうして生まれた、太陽系最大の英雄、桜木日出雄青年と、佐衛門博士、多力王、燕の四人、即ち神風隊は、今、又、太陽系を襲う新たな危機を防ぐ為に立ち上がったのだ。彼等の今度の相手は、宇宙天狗党。そして、待ち受けるものは、世紀の謎、ルウズベルトの財宝であった。

---<以下、連載第四回に続く>---


宇宙天狗党の驚異(1991年8月発行)より


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