江戸門 晴美 著
昭和一七年 帝国科学振興舎 発行
平成四年八月十五日 南 要復刻
旭光艇は、今、水星の軌道上に浮かんでいた。
左平次の簡単な葬儀を済ませると、一同は旭光艇へと引き上げたのだ。無論、メアリイも一緒であった。
彼女は水星に残ると言って聞かなかったが、いつ、又、天狗党に襲われるかも知れぬ彼女を、その侭置いていく訳にはいかなかった。そして、今、彼女は、それまでの疲れがドッと出たのか、船室の寝棚でぐっすりと眠りに付いていた。
「良く眠っています。余程疲れていたのでしょう。」
多力王が、メアリイの眠る船室から操縦室へと入って来て、言った。
「隊長、これからあの子をどうするんです。」
隊長は、少し考えると言った。
「ううむ。先ずは安全な処へ預けなければなるまいな。何しろ、あの子は大変な素性の持ち主だからな。」
「大変な素性?そりゃ一体。」
隊長は、黙って、懐から一枚の手紙を取り出した。
それは、あの『白い大鷲』と共に、左平次がしまっていた古い手紙であった。
「おまえ達にも、一応、説明しておくからよく聞いておいてくれ。彼女は左平次の実の孫ではない。」
「そんな事ぁ判りますぜ。ありゃあ、純粋な西洋人の子供ですぜ。」
燕が言う。
「その通りだ。左平次は、十年程前、賊に襲われたらしいロケット船と遭遇したんだ。その時に、一人の西洋人の婦人に、赤ん坊を預かったらしい。『白い大鷲』と一緒にな。その赤ん坊こそが、メアリイなのだ。」
「その話は、某も左平次の家で聞きましたぞ。しかし、何だって彼女の親は、『白い大鷲』なんぞと言う物を持っていたんです。」
多力王が首をかしげた。
「うむ。それがこの手紙に書いてある。これは賊に殺された彼女の父親が、彼女に書き残した遺言状なのだ。」
隊長は、その手紙を広げて見せた。
「ややっ。これは、英語ですな。一体、何と書いてあるのだろう。」
「こりゃ、随分と古い英語で書いてありますぜ。こんな古めかしい文法は今じゃ使いやしねぇ筈だ。」
首を捻る二人に、隊長は手紙を声にだして読み始めた。
「我が愛する娘、メアリイに、我が祖先の意志を送る…。ジョニイ・ルウズベルト。これが、メアリイの父親の名前だ。」
「ル、ルウズベルトぉ!?」
二人は揃って驚きの声を挙げた。
隊長は、静かに頷くと言った。
「そう、彼女の本名は、メアリイ・ルウズベルト。フランクリン・ルウズベルト大統領の血を受け継ぐ者なのだ。」
余りの驚きに、多力王も燕もその言葉を失ってしまった。その中を隊長の声だけが静かに響く。
「この手紙に寄れば、彼女の父親、ジョニイ・ルウズベルト氏は、自分の家に伝わっている財宝の事を研究していたらしい。そして、彼は、『白い大鷲』に隠されている秘密を解き明かし、その正体をほぼ、突き止めたらしいのだ。そして、彼は、やっとの事で自分の血縁にあたる男、つまり、殺されたジョン老人だな。彼の事を知り、彼がいると言う土星へ向かった。もう一丁のピストル、『黄金の星』を手にして、自分の研究を立証する為にね。その途中に、彼は賊に襲われた。そして、研究資料を奪われて、殺害されたのだ。」
「ちょっと、ちょっと待ってくださいな。まさか、その十年前の事件ってのも、天狗党の仕業ってんじゃないでしょうね。」
燕の問いに、隊長は首を横に振って答えた。
「それは判らん。しかし、全く無関係とも思えん。」
「それで、隊長。そのメアリイの父親が突き止めたという財宝の正体と言うのは一体、何なのですか。」
多力王が言った。
「いや。そこまでは、この手紙には書いていないんだ。佐衛門博士、例の極小写真を。」
佐衛門博士が、観測士席から立ち上がった。その手には、『白い大鷲』を持っている。
博士が『白い大鷲』の台尻をいじると、台尻の一部が外れ、中から一枚の極小写真が現われた。博士はその極小写真を、拡大器に掛けると、その映像を主電幕へと映し出した。
そこには、幾つかの数式と何かの設計図、そして英語の短い文が映し出されていた。
「こいつが、ルウズベルトの財宝の手掛かりって奴ですね。ははあん、成程。」
「おお、燕、御主判るのか。」
感心して言う多力王に、燕は平然と答えた。
「うんにゃ、全く判らねぇ。」
「この数式は、何か、遊星の軌道計算の様だな。」
隊長の問いに、佐衛門博士は頷いた。
「その通り。如何にもこれは、ある遊星の軌道を計算したものじゃ。それと、この英語の文。」
佐衛門博士、朗々とその文を読み上げた。
「『我が志を、天駆ける女神の元へと届けん。いつの日にか「黄金の星」と「白い大鷲」再びまみえ、その雄叫びを挙げる時、我が志は再び蘇る也』と書いてある。」
「はあ、ますます判らねぇ。」
燕がため息を付いた。
「その文が、財宝の隠し場所について何か言っているらしいというのは判るのですが、その遊星の軌道計算と言うのはどうも…。」
多力王が首を捻った。しかし、只、隊長だけは、真剣な表情で何事かを考えている。
「『天駆ける女神』…。遊星の軌道の計算式…。はっ、まさか。」
隊長は何かに気が付いて、声を挙げた。
「佐衛門博士、その計算式が表わしている軌道を持つ遊星というのは、金星ではないだろうか。」
「その通りじゃよ。若。」
「やはり、そうか。英語で金星の事を、西洋神話の美の女神の名前をとって、ビイナスと言うからね。『天駆ける女神』、つまり金星だ。『我が志を天駆ける女神の元へ届けん』と言う事は、ルウズベルトは、自らの財宝を金星に隠した…?」
余りに大胆な発言に、多力王と燕は面食らった。
「き、金星に財宝を隠したって!?そんなロケット船も発明されていない時代に、一体、どうやってルウズベルトが金星に財宝を隠せるってんです。」
「確かに、文面からいけばそう解釈するのが自然なのだが…。やはり、それはちよっと無理があるのではなかろうかのう、若。」
佐衛門博士もその事は考えていたらしいが、どうも信じられぬ様である。
「しかし、ならば、何故、ルウズベルトはわざわざ金星の軌道計算式などを残したと言うのだ。ロケット船では無くとも、金星に物体を送り届ける事は出来る筈だ。例えば、大砲の弾に詰め込んで金星に撃ち込むとか…。」
「大砲ねえ。しかし、そんな地球の引力圏を抜ける事が出来る様な大砲があるもんですかい。大体、そんなもの…ああっ!」
燕が、突然、何かに気が付いた。
「テ、テキサス砲ってのがありましたね、確か。」
「おお、ラヂュウム火薬を使ったというあれか。一発、試射して壊れてしまったという…。」
多力王が思い出した様に言った。
「ふうむ。ラヂュウム火薬の威力ならば、弾丸を地球の引力圏外に打ち出す事も可能かも知れぬな。綿密な軌道計算さえ出来れば、金星に到達させる事も不可能ではない。」
佐衛門博士が頷いた。
「成程ねぇ。他の遊星に隠しちまったんじゃあ、見付かりっこ無ぇや。誰だってそんな事ぁ思い付きませんぜ。こりゃあ、御釈迦様でも気が付くめぇって奴だ。」
燕が感心した様に唸った。
「恐らく、もう一丁のピストル『黄金の星』の方には、金星のどの位置に、財宝を撃ち込んだのかという事が示されているに違いない。」
「しかし、隊長、そうすると、もう一つのこの設計図は何を表わしているんでしょうか。」
多力王の問いに、佐衛門博士が答えた。
「それじゃよ。この設計図が、何かルウズベルトの財宝の正体を示す物だと思うのじゃが…。」
「ふうむ。どうも、何か、発振器の一種のようだな。」
隊長が、その図をしげしげと見て言った。
「しかし、こんな只の発振器の何処が、ルウズベルトの財宝なんですかね。」
燕が口を挟んだ。
「さあのう…。これだけでは何とも言えぬのう。」
「博士、これは、設計者の署名ではありませんか。」
多力王が、設計図の隅にかいてある小さな文字を見付けた。
「おお、確かに。ふん。何々…。」
その署名を読んだ途端に、佐衛門博士の顔が、サッと強張った。
「ガアンズヴァック!ラルフ・ガアンズヴァック博士。」
佐衛門博士は、ひどく興奮した様子で隊長の方に振返った。
「若、これは大変な物かも知れませんぞ。」
「ガァンズヴァック博士と言うと、あの発明王トマス・エヂソンの秘蔵っ子と言われた幻の天才科学者、ラルフ・ガアンズヴァック博士の事かな。」
「先ず間違いない処じゃろう。」
「そのラルフ・ガアンズヴァックってのぁ何者なんです。」
燕が聞いた。
「うむ。二十世紀中盤の亜米利加の科学者だ。そう、調度、亜米利加が戦争に負ける頃に活躍した人物で、世界有数の天才と呼ばれていたのだが、終戦間際に死んでしまったのだ。その為に研究の多くが未発表に終わっていて、幻の科学者として知られている。例えば、例のラヂュウム火薬。あれも、彼の発案と言う事になっている。」
「ほほう、たいした人物だったのですなあ。」
多力王が感心して言った。
「彼がかんでいたとしたら、やはり、ルウズベルトの秘宝と言うのは、とてつもない新兵器だと言うのが正しい様だな。しかも、ルウズベルトが、わざわざ金星に隠さねばならぬ程のな…。」
一同の間に、短い沈黙が流れた。
「兎に角、我々が次に何処へ向かえばいいかという結論は出た様だな。」
隊長が、その沈黙を破った。
「それと、もう一つ。例の一味だと思われる黒金支配人。彼は何処の会社の支配人だった?」
「金星!金星のヨンストン商会だ。」
多力王と燕が同時に叫んだ。
「てっ事は、あの糞支配人の野郎は、ルウズベルトの財宝を手に入れんが為に金星にいたって事ですかい。もしかすると、あのヨンストンって野郎もグルかも知れねぇ。」
燕が目を輝かせて言った。
「おお。では、何が何でも急いで金星に向かわなくては。」
続いて多力王が叫ぶ。
「うむ、そうだ。全員、配置に付け。我々は、これから金星に向かう。」
隊長の声が力強く響いた。
「それと、多力王。地球の高倉遊星巡査局長に連絡を入れてくれ。金星で、メアリイ嬢ちゃんを保護して貰わねばなるまい。彼女をこれから始まる大活劇に巻き込む訳にはいかないからな。」
「はっ。隊長。」
多力王は答えると、傍らの無線器に手を伸ばした。
その時、背後で少女の声が響いた。
「待って。その連絡は待って!」
一同が驚いて振り向くと、船室と操縦室を結ぶ扉が開かれており、そこにメアリイが立っていた。
メアリイの顔は、半分蒼白であり、目には光るものが浮かび、その小さな唇は震えていた。
「や、やあ、メアリイ。起きていたのか。」
隊長は、優しくメアリイへと微笑み掛けた。
しかし、メアリイは、その厳しい表情を変えなかった。
「その連絡は止めてください、神風隊長さん。どうか、私をこの侭、連れていって下さい。」
一同は、メアリイの言葉にぎょっとした。
「連れていってくれと言われても、メアリイ…。」
「そうよ、嬢ちゃん。こりゃあ、遊びに行くのたぁ訳が違うんだぜ。」
燕が顔をしかめながら口を挟んだ。
「そんな事は判っています。けど、私、連れていって欲しいんです。」
「何が起こるか判らないのだよ。怖いお化けや、悪漢達が次々と現われるのだよ。」
多力王が、なだめすかせる様に言う。
「兎に角、君を連れていく訳には行かないのだ。言う事を聞きなさい。」
隊長が顔を厳しくして言った。
「でも、でも、私、お爺ちゃんや、両親の仇を取りたいのです。」
メアリイの目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「私、皆さんの話を聞いてしまったのです。お爺ちゃんを殺したのも、私の両親を殺したのも、あの天狗達なのでしょう?私、私の手でその仇を討ちたいのです。それが、私に課せられた運命なのです。ルウズベルトの血を引く者の。」
「そうか。君は全部知ってしまったのだね。」
隊長が静かに言った。
「お爺ちゃんは、みなしごの私を、自分の孫に様に可愛がってくれました。私がそんな災いを呼ぶ様な子供と知りながら…。だから、だからこそ、私はこの手で仇を討って、ルウズベルトの財宝の伝説に終止符を討ちたいのです。」
メアリイはそう言うと、その場に泣き崩れた。
隊長達は、無言でメアリイを見つめた。
やがて、隊長が静かにかぶりを振って言った。
「駄目な物は駄目だ。君を危険な目に合わせる訳にはいかない。君がそんな事をやろうとしても、きっと天国の左平次さんは喜びはしないだろう。」
隊長の言葉に、メアリイは目をキッと光らせた。
「隊長さん。一体、貴方に何が判るというのです。」
泣きむせびながら、メアリイは続けた。
「貴方に、生みの親と、育ての親を殺された子供の気持ちなど判りはしないのよ。貴方の様に、世間から英雄だと言われている幸せな人間に、私の様な子供の気持ちが判るわけは無いわ。」
メアリイの目は怒りに燃えていた。その目は固い決意を秘めている様だ。
だが、隊長は、ちよっと悲しそうな目をしただけで、メアリイに向かって言った。
「駄目だ。君は、金星から地球に連れていってもらう。君は、この事件に関わってはいけないのだ。」
その言葉にメアリイの怒りは、頂点に達した。
「どうして!どうして、私が付いていってはいけないの。私は、みんなの仇を討ちたいのよ。隊長さん、貴方は鬼よ。血も涙もない鬼なんだわ。貴方なんかに、みなし子の気持ちなんて、判るものですか。」
メアリイの激しい言葉に、カッとした燕が、口を挟もうとした。
「お嬢ちゃん、そりゃちょいと言いすぎだぜ。隊長だってなぁ…。」
しかし、隊長は、無言で手を振って燕を制した。燕の言わんとする事は判っていた。
メアリイには知る由も無いが、隊長とて、悪人に両親を殺されたみなし子なのだ。彼女の気持ちは痛い程に良く判った。だが、いや、だからこそ、彼女を危険な目に合わせる訳にはいかなかった。そんな、危険な道を行くのは、自分だけで沢山なのだ。
「何と言っても、連れていけないものは連れていけないのだ。メアリイ、大人しく船室に戻りなさい。これは命令だ。」
隊長が今まで以上に厳しい口調で言った。
その険しさに、流石のメアリイも諦めたのか、彼女はグスグスとべそを掻きながら、船室へと戻っていった。
「これから、発進するから、座席か寝棚に座っているのだぞ。」
扉を閉めるメアリイに、隊長が声を掛けた。
隊長は、操縦席に戻ったが、その顔は曇っていた。
「若…。御立派でしたぞ。今ので正しいのです。」
佐衛門博士が、静かに言った。
「そうだな…よしっ!」
隊長は、気を入れ替える様に気合いを掛けた。
「金星に向けて、発進だ。」
隊長の号令一下、旭光艇は、水星軌道を後にした。