江戸門 晴美 著
昭和一七年 帝国科学振興舎 発行
平成四年八月十五日 南 要復刻
金星の首府、乙女市にある金星中央図書館で、隊長と佐衛門博士は、調べ事に熱中していた。
彼等は金星に到着すると、遊星巡査局の協力の元、早速、黒金支配人の足取りを追った。が、黒金支配人は、既にその行方をくらましていた。
彼は自分の正体がばれたと知るや、勤めていたヨンストン商会の金を残らず持ち逃げし、抵抗した従業員を殺害して逃げてしまったのだ。
そこで、隊長は、黒金支配人の捜索は巡査局に任せて、彼等独自の調査を始めようと、ここ、金星中央図書館を訪れたのである。
「ふうむ。余り良い記録が無い様じゃのう。」
佐衛門博士は、幻灯器に写し出される幾枚もの極小写真に収められた資料を眺めながら呟いた。
「こちらも、特に目ぼしい物は無い様だ。」
隊長も、幻灯器を見続けて疲れた目をしばたきながら答えた。
二人の周囲には、今までに検索した極小写真が、山の様に詰まれていた。
「やはり、何百年も前の流星の記録などと言うものは残っていないのだろうか。」
隊長達は、金星の古い記録から、ルウズベルトの財宝が金星へと撃ち込まれた時の記録が無いか調べているのだった。
テキサス砲の砲弾が落下したとすれば、それは、かなりの衝撃を地上にもたらす筈だ。それならば、きっと何か、古い記録が残っているに違いない。隊長達は、そう考えたのだ。
「そうじゃのう…。おお、そうじゃ。あの書物にならば、載っているかも知れぬぞ。」
佐衛門博士がポンと手を打つと言った。
「百年程前の金星の歴史家、イ・リシュが、金星に伝わる雑多な古記録をまとめたという『金星秘帖』と言う書物がある。あれには、随分と色々な言い伝えが載っていた筈じゃ。流星や隕石の記録もきっとあるじゃろう。」
隊長達は、閲覧受け付けへと向かった。閲覧係の細身の年老いた金星人は、分厚い眼鏡を持ち上げて、胡散臭げに隊長達を見た。
「又、あんたらか。一体、何冊、閲覧すれば気が済むのかね。」
隊長は笑みを浮かべながら、言った。
「仲々これと言った物が無くてね。申し訳無いが、もう少し付き合って頂きたいのですが。」
「ふん。もの好きな連中じゃ。今度は一体、何が見たいのだ。」
「イ・リシュの記した『金星秘帖』が確か在った筈じゃと思ったのだが、それを見せて頂きたいのじゃ。」
「『金星秘帖』!?」
老金星人はちょっとばかり驚いた様に言った。
「ああ、確かにあった。」
「おお、是非ともそれを見せて欲しいのじゃ。」
老金星人は、佐衛門博士の言葉に困った様に顔をしかめた。
「確かにあった。あったのじゃ。だが、今は無い…。」
「無い!?」
驚きの声を挙げる隊長達に、老金星人は苦々しげに言った。
「これ、余り大きな声を出すでない。もう、何年も前の事になるか、何者かに盗まれてしまったのだ。我が図書館の恥になると言うので、表だっては発表していないのだよ。何しろ、そんなに閲覧のある本では無かったし。」
その言葉に、隊長と佐衛門博士は思わず顔を見合わせた。
「盗まれたって?偶然にしては、余りにも出来すぎた話だな。」
「確かに、おかしな話じゃのう。」
「そう言う事だ。他に用が無いのなら、さあ、あちらへ行った、行った。」
隊長達は、閲覧係に追い立てられる様に、金星図書館を後にした。
「やれやれ、とんだ骨折り損だったな。」
隊長は、合成絹のハンケチイフを取り出して、汗を拭いながら言った。
太陽から二番目に近い金星は、地球の熱帯に近い気候を持っている。しかも、その空は分厚い雲に覆われているので、多雨で湿気が多く、空気は身にまとわりつく様に重い。
「ふむ。敵はなかなか用意周到の様じゃのう。」
そんな中でも、仙術をかじっている佐衛門博士は、汗一つかかずに、涼しい顔をしていた。
「さて、そろそろ、メアリイを引き取りに、地球から高倉局長が遣って来る時間だな。」
隊長は、腕時計を見て言った。
メアリイの身柄を保護しに、地球を出発した巡視艇が乙女市の宇宙港に入港すると言う連絡があったのは、昨日の夕刻の事であった。高倉局長は、自ら金星に乗り込んでくるつもりらしい。
「おお。では、我々も宇宙港に戻るとしようか。思案はメアリイを無事に局長に預けてからじゃ。」
隊長と佐衛門博士は、乙女市の目抜き通りを、宇宙港へ向かって歩いていった。
通りには、金星の気候に合わした軽装な服を着た様々な人々が歩いている。
濃密な大気の中をかすかに漂って来るのは、近くの池や沼に自生する金星蓮の花の香りであろうか。
「やや、これは神風隊長殿では在りませぬか。」
隊長は、不意に呼び止められて、その歩みを止めた。
振り向くと、そこには、一人の小柄で頭の禿げかかった西洋人が立っていた。
「ああ、確か、ヨンストンさんでしたね。」
それは、あの天狗党に教われた巡視艇の中で、黒金支配人と共にいた、その雇い主だった事業家、ヨンストン氏であった。
「これは奇遇ですな。金星には何の御用で。」
ヨンストン氏は人の良さそうな笑顔を浮かべて言った。この蒸し暑い気候の中、ヨンストン氏は、びっちりと黒い礼服を着込んでいる。
「ちよっと調べ事がありまして。」
隊長が言うと、ヨンストン氏は顔を強張らせた。
「もしかして、それは、黒金支配人と天狗党とか言う賊の一件ですか?。」
「ええ、まあ。」
隊長が答えた途端に、ヨンストン氏はその身をブルッと震わせた。
「おお、何と言う恐ろしい事でしょうか。私は、黒金を信じておりましのに…。まさか、奴があんな、恐ろしい賊の一味だとは夢にも知りませんでした。お陰で私も、巡査局の方々に散々に疑われてしまいました。」
そこまで言って、ヨンストン氏は、ハッとした表情になった。
「ま、まさか、隊長殿も私の事を疑って調べに参ったのではないでしょうな。わ、私は、金星の沼の魔人に誓っても、決して、やましい事はありません。奴は、家の使用人達を惨殺して、あまつさえ、私の商売の元手まで残らず盗みさっていきました。恩を仇で返すと言うのは、まさにこの事です。烏呼、あんな奴を信じた私が悪いのです。」
ヨンストン氏は、ひどく狼狽して言った。それは、見ていて気の毒になる程であった。
隊長も、巡査局の報告は聞いていた。黒金支配人と共に行動していた為、ヨンストン氏は当然の事ながら、一味との疑いを持たれた。しかし、巡査局の調べでは、ヨンストン氏の疑いは実証されはしなかったのだ。彼は、たまたま事件に巻き込まれたに過ぎないと言うのが、巡査局の結論であった。
「何を仰るのです。我々は、決して貴方を疑ってはおりません。御安心ください。」
隊長は、ガタガタと震えているヨンストン氏をなだめる様に言った。
「ほ、本当ですか。なら、よ、良かった。」
ヨンストン氏は、ほっと胸を撫で下ろした様であった。
「ならば、どうです。ここでお会いしたのも、何かの縁。一つ、食事でも御一緒させて頂けませんか。なあに、お手間は取らせません。太陽系にその名も高き、神風隊長ともっとお近付きになりたいのです。」
「いえ、お気持ちは有り難いのですが、私共は少しばかり急ぎの用事があるのです。又、是非、次の機会にでも。」
隊長が、丁寧に言うと、ヨンストン氏は、残念そうに顔をしかめた。
「おお、それでは、仕方ありません。もし、金星に長くいらっしゃるのなら、どうか、一度、私の家にお寄り下さい。」
「御丁寧にどうも、すみません。では、先を急ぎますので。」
隊長は、軽く一礼すると、その場を立ち去ろうとした。
と、その時。隊長の腕時計に仕込まれている小型無線器が鳴った。
「こちら、日出雄。どうぞ。」
隊長が応答すると、無線器から、ひどく慌てた多力王の声が聞こえてきた。
『た、隊長。申し訳ありません。』
多力王がいきなり謝ってきた。
隊長は、その態度にちょっと面喰うと言った。
「どうした。何があったのだ。」
『そ、それが……。某、一世一大の不覚。何と言ったら良いか…。』
「ええい、もっとハッキリ言わぬか。一体、何が起こったのだ。」
『メ、メアリイ嬢ちゃんが、いなくなってしまったのであります。』
隊長の顔に、サッと緊張が走った。
「な、何だって!?メアリイがいなくなったと言うのは、どういう事だ。」
『ま、誠に面目御座いません。メアリイ嬢ちゃんが、旭光艇の機関室でへんな音がすると言うので、某が、点検しにいっている間に、姿が見えなくなってしまったのです。』
「それで、燕は。燕は何をしていたのだ。」
『は、はあ。その少し前に、メアリイ嬢ちゃんが、地球に行く前に、どうしても金星土産が欲しいと言うんで、買い物に出掛けまして……。船を離れておったのです。』
「それで、おまえ達は、旭光艇の気密扉を開け放しておいたのか。」
『は、はあ、メアリイ嬢ちゃんが、外の風にあたりたいと言ったもので…』
隊長は思わず舌打ちした。
何という事であろうか。天下の神風隊とあろうものが、年端もいかない少女に、見事にはめられたのだ。
「それで、嬢ちゃんの行方は?」
『今、燕が追っております。それと、地球から遣ってきた巡査の方々にも、手を借りております。そ、それと…。』
「まだ、何かあるのか。」
『は、はあ…。』
多力王は、気まずそうに言いよどんだ。
「どうした。はっきりしろ。」
『それが、メアリイ嬢ちゃんは、『白い大鷲』も持ち出しておりまして…。誠に面目もござりません!かくなる上は、一命に替えましても……。』
隊長は、一瞬、絶句した。しかし、すぐに多力王に指示を飛ばした。
「兎に角、メアリイを探すのだ。我々もすぐに戻る。以上、通信終わり。」
隊長は、無線器を切ると佐衛門博士に向き直った。
「博士、聞いた通りだ。大変な事になったぞ。急いで宇宙港に戻ろう。」
「やれやれ、困ったものじゃて。」
「待って下さい隊長殿。何かあったのですか。」
二人が去ろうとする背後から、ヨンストン氏が声を掛けた。
「えっ。いえ、別にたいした事ではないのです。」
「いや、メアリイ嬢がどうしたとか、何かお身内に異変でも…。」
どうやらヨンストン氏は、隊長の会話を聞いていたらしい。
「私でお力になれるのでしたら、協力いたしましょう。」
「いえいえ、本当に結構です。では、失礼。」
隊長と佐衛門博士は、その侭、宇宙港の方へと駆け出していった。
ヨンストン氏は、そんな隊長達を見送りながら呟いた。
「メアリイ嬢が逃げ出したか…。」
日は、もうとっぷりと暮れていた。雲が厚く、月の無い金星の夜は、正に真の闇である。
乙女市の外れにあたるこの辺りには、未だところどころに沼地が広がっている。人家も少なく、ぽつりぽつりと街灯が寂しげな光を投げかけているその夜道を、一人の少女が歩いていた。
どうやって、ここまでたどり着いたのか、それはメアリイ嬢に相違なかった。
周りの沼地から漂ってくる金星蓮や名も無い水草の息も詰まる様な濃密な匂い。時たま聞こえてくるのは、沼に棲む生物が立てる水音と、三尺もの大きさになる沼蟇の銅鑼をならす様な鳴き声だけだ。
大人でも身を震わせてしまう様な、その暗闇の道を、メアリイはしっかりとした足取りで歩いていた。
「おいおい、お嬢ちゃん。こんな夜更けに一体、何処へいくのだね。」
たまたま、道で行き当たった金星人の漁師が声を掛けてきた。
メアリイは、臆する事も無く、漁師に聞いた。
「『浮き草の街』へは、この道でいいのかしら。」
「『浮き草の街』だって!?」
少女の意外な質問に、漁師は驚きの声を挙げた。
『浮き草の街』とは、沼地に浮かぶ巨大な浮き草を編んで作った地盤の上に建設された、文字通り、沼に浮かんでいる水上の街の事だ。
この辺りの沼地では、時たま石油が発見される事があったので、一獲千金を狙った食い詰め者や、山師などが集まって来る。彼等、無法者達が一夜の歓楽を求める為にやってくるのが、その『浮き草の街』なのである。
何処で聞いたのか、メアリイは、そこが悪者達のたまり場だと聞いて、天狗党の手掛かりを求めて向かっているのだ。
「お爺ちゃんや、親の仇を私の手で討つのよ。例え神風隊長さんにだって、邪魔はさせるものですか。」
彼女は心の中で、固く決心していた。
「ああ、確かにこの道を暫く行くと『浮き草の街』だが、お嬢ちゃん、あそこはあんたの様な子供が行く処じゃあないよ。」
漁師は本当に心配そうに言った。
「おじさん、どうも、有り難う。」
心配する漁師を尻目に、メアリイはちょこんとお辞儀をすると、その侭、歩き始めた。忽ち、メアリイの姿は闇の中へと消えていく。
「お、おい、お嬢ちゃん……。お嬢ちゃんてば…。」
漁師は、あっけに取られて、暫し呆然と、その場に立ち尽くした。
暗い沼地の中に、突如、出現した不夜城。それこそが、『浮き草の街』だ。 毒毒しい色の電飾広告がちかちかと瞬き、何やらうるさいだけの音楽が、絶え間も無く吹き鳴らされる。そこには、沼地のあちこちから山師達や、無法者共が、一夜の快楽を求め、小舟や水陸両用の浮遊車で集まって来ていた。
メアリイは、その余りの喧噪に目を奪われながら、街の大通りを歩いていた。
妖しげな女達が、酔っぱらった無頼漢共の腕を取り、これまた妖しげな店の中へと引っ張り込んでいく。大通りの隅には、酔いつぶれた男達が、死んだ様に寝転がり、あるいは虚空を見つめる様に、ぼおっと座り込んでいる。又、道端では、沼太郎と呼ばれる、金星の沼地に住む両棲人類共が、水かきのある手に、沼地で取れた花や、いかがわしげな食べ物を持って売り歩いていた。
「よう、ちょいと、そこのお嬢ちゃん。」
突然の声にメアリイが振り向くと、そこには、髭面の大柄な木星人が立っていた。
木星人は、にやにやと顔全体に作り笑いを浮かべて言った。
「どうしたんだね。ここはお嬢ちゃんの来る様な処じゃあないよ。」
「あたし、人を探しているんです。」
「ほほう。それはお嬢ちゃん。運がいいよ。」
「運がいいって?」
メアリイは、小首をかしげた。
「おじさんは、この辺りじゃあ、ちょいと物知りで通っているんだよ。何でも、おじさんに聞いてごらん。この街でおじさんの知らない事は無いよ。」
「あの、あたし、天狗党の人を探しているんです。」
「て、天狗党!?」
木星人は、ちょっと驚いた様だったが、すぐに元の作り笑いに戻ると言った。
「ああ、天狗党ね。知っているとも。良く知っているよ。」
「お願いです。おじさん。私をその天狗党の処に連れていって下さい。」
メアリイは、真顔で木星人に頼み込んだ。
「ああ、いいとも。おじさんが、天狗党の処に連れていってあげよう。」
木星人は、更に大きく顔を崩して笑った。
「さあ、付いておいで。」
男はメアリイの小さな手をむんずと掴むと歩き出した。
幾つかの路地を通って、男がメアリイを連れていったのは、金属製の粗末な酒場であった。
金星麻の暖簾をくぐると酒場の中には、木星人に輪を掛けた様に怪し気な男達がいた。
「よお、皆の衆、おそろいだな。」
木星人は男達に言った。
「何だ。ジョボ・ジルか。」
赤い液体の入った硝子コップを持った天王星人が顔を挙げた。
「ほほう、その子は?」
「へへへっ。なあに、ちょいとそこで仕入れて来たのさ。どうだい、なかなか丈夫そうで、賢そうだろう。」
「ひょお。そいつだったら三十円出してもいいぜ。」
片目の黒い眼帯をした火星人が口を出してきた。
「三十円だと。ものの価値を知らねぇのか、この火星野郎。この子なら、五十円、いや、八十円だって売れるぜ。」
「その通りだぜ、ヌス・ヌル。近頃、地球人の女中は、なかなか高く売れるんだぜ。それに、この子は結構、べっぴんになる顔をしてる。こりゃ上物だ。」
火星人をたしなめる様に、天王星人が言った。
「まあ、そう言う事だ。皆の衆。この子をいくらで買ってくれるかね。」
「よし。八十円だ。」
ヌス・ヌルと呼ばれた火星人が言った。
「こっちは九十円だ。」
天王星人が叫ぶ。
「九十五円。」
「百円。」
男達は口々に言った。
「お、おじさん。あたしを売るってどういう事なの。天狗党の処へ連れていってくれるんじゃあなかったの。」
流石に、様子がおかしいのに気が付いたメアリイが叫んだ。
その言葉に、木星人は、今までの作り笑いをかなぐり捨てて言った。
「へっへへ。天狗党なんて奴等は知らねぇな。俺は、人さらいのジョボ・ジルってもんだ。ここに居られるのは、人買いの親方衆よ。」
「あ、あたしを騙したのね。」
「はっはっは。今頃気が付いてももう遅い。おまえは、この親方衆に売られる運命なのだよ。」
烏呼、何と言う事だろうか。メアリイはまんまと悪漢に騙されてしまったのだ。
「ひゃっはっはっは。お嬢ちゃん。心配するなって。この俺達が、なるべく高く売ってやるからな。」
火星人が甲高く笑った。
「動かないで!」
突如、メアリイが叫んだ。
いつの間に取り出したのであろうか、メアリイは、例の『白い大鷲』を取り出して、その銃口を、ピタリと木星人の腹へとくっつけているではないか。
その信じられぬ光景に、流石の人買い共も、ぎょっとその場に立ちすくんだ。
しかし、それよりも人買い共の目をひいたのは、メアリイの手の中で光る『白い大鷲』であった。
「何という物を持っていやがるんだ。ありゃあ、かなりの値打ち物だぞ。」
人買い共は、ゴクリと唾を呑み込んだ。その中で、只、一人、生きた心地がしないのは、腹に『白い大鷲』を突き付けられている木星人だ。
「お、おい、兄弟。何してるんだ。この餓鬼を、早くどうにかしてくれよ。」
木星人は、柄にも似合わない情けない様子で言った。
「ちょっとでも、おかしな真似をしたら、このおじさんのおなかを撃ち抜いてしまうわよ。」
メアリイは、ちょっと体を震わせながらも、周りを取り囲む人買い共を睨み付けた。
人買い共は、互いに顔を見合わせていたが、やがて、メアリイの方を見て言った。
「へへっ。そんな、人さらい風情の変わりは、いくらでも居るのだ。そいつ如きが殺されたって、俺達はちっとも困りゃしないのさ。それよりも、お嬢ちゃんの持っているそのピストル。そいつは、随分と値打ち物らしいじゃないか。俺達ゃそいつを頂きたいな。」
天王星人が、隠し持っていた力線ピストルを引き抜いた。
「さあ、お嬢ちゃん。大人しくそのピストルを、俺達に渡しな。大人しくすりゃあ、命まで取ろうとは思やしねぇ。俺達ゃこれでも紳士的な人買いで通っているんだ。」
天王星人は、いやらしく笑って、メアリイの方に歩み始めた。
「だが、余り、てこずらせると気が変わるかも知れないぜ。」
メアリイの小さな体は、恐怖にガタガタと震えている。しかし、彼女は気丈にも、側に近付いて来る天王星人をキッと睨み付け、手に持った『白い大鷲』の狙いを、決して木星人の腹から離そうとはしなかった。
「ひゃっひゃっひゃっ。このお嬢ちゃん、震えていやがるぜ。」
天王星人は、メアリイのすぐ側まで寄ってきた。
「烏呼、もう駄目だわ。……
メアリイは、心の中で呟き、思わず両の目を閉じようとした。
と、その時。
「ああ、五月蝿いったらありゃしねぇ。おちおち居眠りも出来ゃしねぇじゃないか。」
店の裏口の方から、一人の男が、大欠伸をしながらノッソリと姿を現した。
男は、店の中の状況を、グルリと見回すと言った。
「おやおや、こりゃ、又。大の大人が、寄ってたかって、いたいけな少女をいじめているってのは、あんまり色っぽい光景じゃないねえ。」
男はポリポリと頭を掻いた。
「何だ、てめぇは。」
火星人が、男をジロッと睨み付けた。
「こいつぁ、確か、最近この辺りをうろちょろしてる、星鼬の一八とか言うチンピラだぜ。」
人買いの一人が言った。
星鼬の一八。烏呼、何と言う偶然であろうか。隊長達を裏切り、天狗党に寝返ったあのチンピラが、ここに現われたのである。
「なあんだ。只のチンピラか。悪い事は言わねぇ。命が惜しかったら、あっちへ行きな。」
火星人が、力線ピストルを抜いて、一八に脅しを掛けた。
ところが、一八の方は、何処吹く風といった感じで、そんな脅しは、全く気にはしていない様である。
「命?命は惜しいねぇ…。だけど、あっちへ行くってのも、嫌だねぇ。」「野郎。こりゃ脅しじゃねえぞ。てめえの様なチンピラの一人や二人、あっさりと灰に変える事ぐらいは、簡単なんだぞ。」
一八のひょうひょうとした態度に腹を立てた火星人が、更に凄む。
しかし、一八には何の効き目も無い様だ。一八は、不敵に笑った。
「おお、怖い。人を灰に変えちまうなんざ、あんた手妻使いかい。」
「へらず口は、地獄へ行って、閻魔様にでも叩くがいいや!」
頭に血が昇った火星人が、力線ピストルの引き金を引こうとした時、それよりも早く、一八は、自分の懐から、一丁の力線ピストルを抜き放ち、同時に火星人めがけて力線を発射した。
一八の放った力線は、ものの見事に火星人の体に命中し、火星人はその場に倒れた。
「や、野郎。」
今度はメアリイに向かっていた天王星人が、振り向き様に力線ピストルを発射した。しかし、一八は、スッと力線ピストルの射線を避けると、これも簡単に天王星人を撃ち倒した。
人買い共は、眼前に起こった信じ難い光景を見て、言葉も無かった。
一体、このチンピラは何処で、こんな見事な射撃術を身に付けたのであろうか。当の一八の方は、顔色一つ変えずに、ニヤリと人買い達へと笑い掛けた。
「俺ぁ、あんまり殺生は好きじゃないんだが、あんた達の出方次第じゃあ、ま何人か、閻魔様のお客にしなきゃいけねえ様だなあ。」
「ひ、ひえい。こ、降参だあ。」
仲間二人を瞬時にして失った人買い共は、空っきし意気地が無かった。
「旦那、どうか命ばかりはお助けを。」
一八は、油断無く力線ピストルを構えて言った。
「てめぇらみてぇな悪党共を殺したって、力線の汚れになるばかりだ。とっととその女の子を置いて、消えちまいな。」
一八が怒鳴ると、人買い達は、蜘蛛の子を散らす様に、一目散に逃げ出して行った。
「さあ、お嬢ちゃん大丈夫かい。」
一八は、嫌に優しい表情になると、まだ震えているメアリイの側へと近寄った。
「ふう……。」
自分が助かった事で安心したのか、それまで張り詰めていたものが、急に切れたかの様に、メアリイはその場に気を失った。
一八は、そっとメアリイの体を抱き起こした。
「可哀相に、さぞや怖かっただろう…。ややっ!」
メアリイの体を抱き起こした一八は、初めて彼女が握っている『白い大鷲』の存在に気が付いた。
「こ、これは、『白い大鷲』に違いない。と、言う事はこの子は、一体?」
一八が、そう呟いた時。遠くの方から、何やら騒がしい物音が近付いて来るのが聞こえてきた。
「むむ。さては、さっきの人買い共が助けを呼んできおったな。こうしてはおられないぞ。」
一八は大きく頷くと、メアリイの体を抱きかかえ、酒場の裏口へと急いだ。