江戸門 晴美 著
昭和一八年一二月三日
帝国科学振興舎 発行
平成二年八月 南 要復刻
連載第二回
嗚呼、何と不可思議な事だろうか。すると、宇宙軍省にいるシ.クロロイは、一体何者か。一同は、只、只、唖然とするのみであった。しかし、隊長はすぐに正気を取り戻すと、皆に行動を促した。
「兎に角、宇宙軍省に戻りましょう。燕、ついてこい。」
「へい。合点だ。」
「隊長、某も、一緒に参りますぞ。」
神風隊長の声に、多力王も答えた。
「いや、多力王。おまえはここへ残ってくれ。佐衛門博士を手伝うのだ。」
「えっ、しかし隊長・・・・。」
多力王が不服そうな声をだした。そこに、間髪を入れずに燕が口をはさむ。
「けっ!しかしも、御菓子もあるものか。こういう難事件はよ、俺らみてぇなおつむのまわりが早い奴じゃないとだめなんだよ。」
「何を!このゴム細工風情が、言わせておけば付け上がりよって。」
「とっととせんか、二人共。事は急を要するのだぞ。」
業を煮やした隊長の声が響いた。その声に多力王は渋々と従い、佐衛門博士と共に、急ぎ去っていく隊長達を見送った。
「一体何だって、隊長は某を連れていってはくれぬのだ。」
まだ、諦め切れずにブツブツと言う多力王に、佐衛門博士が笑って言った。
「なあに、多力王。『急がば回れ』とも言うであろうが。なにも焦る事もあるまいて。ホッホッホッホツ。」
さて、一同が宇宙軍省に戻って見ると、既にシ.クロロイはその姿を消していた。当番兵の話すところによれば、彼等が銀座へと向かったすぐ後に、急用があると言って慌てて出ていったと言うのである。それと共に、火星の雫も、例の部屋から何処ともなく消え去っていた。もうこうなっては、どうにも仕様がない。
「ええい。何ということだ。」
どうにも、怒りをぶつける場所が無い高倉局長が、山県少将に喰って掛かった。
「天下の宇宙軍省でこの不始末。大体、衛兵は何をしておったのかね。賊が逃げるのを只、ぼうっと見て居たと言うのかね。」
「誠、一生の不覚。全て責任は、この私にある。」
山県少将は沈痛な面持ちで、只、一言答えた。少将の心は、自責の念で一杯であった。
「何も、少将の責任ばかりでは有りますまい。」
見かねた隊長が、二人の間に割って入った。
「私とて賊の変装を見破ることは出来なかったのだし、仮にも火星政府の外交官と言う事だったのだから、兵達が疑わなかったのも無理からぬ事。済んだ事を悔やんでも仕方のない事です。ここはひとつ、今後の方策を考えるべきではないでしょうか。」
その言葉を聞き、二人は、はたと我に返った。
「おお、まさにそうであった。今、何をなすべきか。それこそが急務ではないか。」
「いやはや、面目もない。儂としたことが、少将にあたってみたとて一体何の為になろうか。少将、許してくれ給え。」
高倉局長が大いに恥じ入りながら言った。
「いや、気にかける事なぞない。ところで、隊長。何か、良い思案はないものかね。」
「ううむ。そうですね。局長、例の怪電波は、どうだったのですか。」
「おっと、忘れておった。」
高倉局長は、手をポンと叩くと言った。
「確かに怪鉄人に関係ありそうな正体不明の電波はでていたのだが、どうも、その出所がはっきりとしないのだよ。」
「と、言いますと。」
「怪電波の発信源が、かなりの早さで移動をしているのだよ。」
神風隊長は暫し考えると言った。
「飛行艇だ。賊は、飛行艇から怪鉄人を発進させて、操縦していたに違いない。」
「おお、成程。」
「するってえと、あの時間に飛んでいたロケットや、飛行機を片っ端から調べていきゃあ、賊の正体が判るって寸法だ。そうでしょ、隊長。」
燕が、得意気に口を挟んだ。もうこれで、事件は解決といったつもりらしい。
「それはそうなのだがね、燕君。」
高倉局長が、苦笑しつつ言った。
「この東京市上空に、一体、何千の飛行艇が飛んでいると思うね。それこそ、砂漠で針を捜す様なものだよ。」
「ううむ・・・・。」
燕は、腕組みをして考え込んでしまった。
「巡査局でも東京全市に非常線を張っては居るのだが、何しろあの大騒動があったばかりで、何処もかしこも混乱していて、どうも上手くいかんようなのだよ。」
「軍だとて、必死の捜索を続けているのだが、如何にせん手掛かり一つ掴めん。何百年前ならいざ知らず、火星人なぞそれこそ何万人も居るからのう。」
万事休す。正に万事休す。皆、頭を抱えて唸るばかりであった。
しかし、神風隊長は、けして諦めはしない。あらゆる困難も彼の闘志を鈍らせる事は出来無いのだ。いや、むしろ彼は、その難局をも楽しんでいるかの風にさえ見えた。敵が手強ければ手強い程、神風隊長は闘志を燃やすのである。神風隊長とはそういう男だ。やがて、隊長はニコリと笑うと、朗らかに言った。
「こうなっては仕方がありません。シ.クロロイの件は巡査局と軍の報告を待つとして、僕は、最初に戻って、リヒャルト.コウネル伯の所へ行ってみることにしましょう。なあに、駄目でもともと、犬も歩けば棒に当たるともいいますしね。」
その隊長の明るい言葉に、一同は、ほっと、救われた様な気がした。彼の天衣無縫な笑顔には、何か、人を希望に向かわせる力が有る様だ。皆の心に、再び活気が戻ってきた。
「うむ。我々も、もう一度、あらゆる面で捜査してみるとしよう。」
「そうと決まれば、愚図々々してはおれませんぞ。」
山県少将と高倉局長は、急いで部屋を後にした。
次の日、 東京市中心より郊外に延びる弾丸道路を、一台の浮遊車が滑る様に走っていた。乗っているのは、神風隊長と燕であった。宇宙軍省から借りてきたリヒャルト.コウネルについての資料に目を通している隊長に、運転席の燕が声をかけた。
「ねえ、隊長。そのコウネルって野郎は、一体、どんな奴なんです。」
運転席とは言っても、運転は、車に備えられた万能記憶装置がやってくれるので、燕は只、行く先だけを指示していればよいのだ。
「うむ。随分と面白い人物の様だ。生年は不明。独逸の貴族の子孫だと自称。若い頃より、諸遊星を放浪し、山師や遊星浪人まがいのことをしていたらしい。その間に、何度か遊星巡査局にもお世話になっている様た゛。数年前に、エドワルド.コウネル伯と知り合い、その直後、エドワルド.コウネル伯が急死。遺言によりコウネル家を相続、現在に至る。又、探険家として、火星、木星、小遊星帯等に古代遺跡の発掘を行なう。更に、科学者として学界に出入りしたが、人体改造術を提唱。異端としてこれを追われる...。まあ、こういったところだ。」
「そいつぁ、なんとも胡散臭い奴ですね。・・・おっと、この辺りですぜ。」
浮遊車は弾丸道路の本線から外れ、田舎道へと入っていった。この辺りは、未だに武蔵野の面影を残しており、所々に雑木林が残り、人家もまばらだ。暫くして、浮遊車の前方に鬱蒼たる木々に被われた小高い丘が見えて来た。その木々の間から、赤い屋根がチラチラと見え隠れしている。何か、古びた洋館の様だ。
「どうやら、あれがコウネル伯の御屋敷みたいですぜ。」
と、その時、ドドドドドという轟音が上空より聞こえてきた。すわ、何事かと、上空を見れば、折しも一隻のロケット艇が隊長達の真上を通り過ぎようとしていた。かなり大型の、見たこともない型のロケット艇だ。随分と武骨で頑丈そうな船体は、空飛ぶタンクと言ったところだ。全体を黒一色で塗り上げており、横腹には髑髏の模様が白く描かれている。ロケット艇は、ゆっくりと浮遊車の上を通り過ぎると、例の洋館の建つ丘へと降下していった。
「ほう。今のは、コウネル伯のロケット艇の様だぞ。」
「けっ。趣味の悪い船だこと。あれじゃあ、まるで葬儀屋の船ですぜ。」
ロケット艇の後を追う様に、神風隊長達の浮遊車も、丘へと向かって行った。
浮遊車を丘の麓に停めると、二人は徒歩で丘を登って行った。急な石段を暫く登って行くと、林が開けて、そこに一軒の洋館が有った。どっしりとした石造りで、壁の表には、蔦蔓がびっしりと取り付いており、如何にも時代がかった建物である。前庭には芝生が敷き詰められ、敷地の周りはぐるりと高い鉄柵で囲まれていた。
「ちょいと、おじゃましますよっと...。はっ!」
何の気無しにその門に近付いた燕が突然、さっと後ろに飛び退った。
「どうしたのだ、燕。」
駆け寄った神風隊長に、燕は、無言で両脇の木立ちを指差した。隊長がその方を見ると、燕の指差した先の葉陰に何か、キラリと光る物が見えた。
「ふむ。力線放射器の様だな。自動不寝番もあるようだぞ。」
隊長と燕は、辺りを注意深く見回した。すると、そこらかしこに同じ様な機械が見付かった。どれもこれも、常人では先ず判らぬ様に擬装してある。隊長は、腰のベルトの道具入れから、煙草の箱位の機械をとりだした。力線探知機といって、特別な力線や動力に反応する機械だ。探知機の針は極限まで振り切れた。
「もの凄い動力が働いているぞ。こいつは、ちょっとした要塞並みだ。」
「なんてこったい。戦争でもおっ始めようってんですかね。」
その時、二人の背後で、突然、大きな胴間声が響いた。
「おい。そこで何をしている。」
二人がぎょっとして振り返ると、そこに一人の巨漢が立っていた。身の丈七尺余、胴回りが二抱えも、三抱えも有りそうな、角力取りの様な大男だ。白い開襟シャツと、黒い燕尾服にはち切れそうな体を包んでいる。ギョロっとした灰色の眼に、分厚く歪んだ唇。青黒い肌からして、どうやら土星人の様である。
「ここは、御前等の様な輩の来る所じゃあ無い。とっとと失せろ。」
土星人は大きな眼を見開いて、隊長達を睨み付けた。何とも恐ろしい形相だ。しかし、隊長は、少しも怯まずに、微笑しながら答えた。
「我々は、決して怪しい者では無い。コウネル伯にお目に掛かりに来ただけなのだ。」
「旦那様は、誰にもお会いにはならん。さあ、帰るんだ。」
土星人は、益々声を張り上げた。が、隊長はあくまでも冷静だ。猶も、にこやかに話しかける。
「そう言わずに、ひとつ取り次いでは頂けないだろうか。」
「物分かりの悪い野郎だ。愚図々々していると、こういう目にあうぞ。」
頭に血が登った土星人は、足元にあった一尺程の石を拾い上げると、ウンとばかりに両の手に力を込めて、その石をものの見事に押し砕いてしまった。
「ぐわっはっはっ。御前等も、こうなりたく無いのなら、とっとと帰ったほうが身の為だぞ。」
「凄え、馬鹿力だ。隊長、こいつぁ、只の人間じゃ有りませんぜ。何か、特別な手術をしてやがる。」
燕の言葉に隊長は軽く頷いたが、その態度は、依然、穏やかであった。
「少し会って頂けるだけでよろしいのだが。」
「こ、この野郎。」
小馬鹿にされたと思い、怒り心頭に達した土星人は、どっとばかりに隊長に掴みかかった。土星人の手が隊長の体に触れるか、触れないかの瞬間、隊長の手がさっと動いた。と、見る間に、土星人の巨体は、フワッと宙に浮き、ドスンと尻餅をつく格好で、地面に落ちた。正に電光石火。神風隊長が得意とする空気投げだ。隊長は尻餅をついた土星人に向かって言った
「おっと、これは失礼。乱暴する気はなかったのだが。」
土星人は痛む尻を押さえながら、よろよろと立ち上がると、前にもまして怒り狂った。
「て、てめえ、もう生かしちゃ置けねえ。たたっ殺してくれるぞ。」
再び、土星人が隊長に飛びかかろうとした時、不意に屋敷の方から、声が掛かった。
「やめろ。引くのだ、サンマルチノ。」
その声を聞いた土星人は、はっとしてその動きを止めると、慌てて直立不動の姿勢を取った。隊長がその声の方を見ると、年の頃なら四十才前後の紳士が、年老いた火星人の執事を従え、屋敷の玄関よりこちらに歩いて来るではないか。背は隊長と同じ位。少し銀髪の混じった黒髪を後ろに流し、細い金縁の眼鏡を掛けている。燕尾服に、白の絹シャツ、赤い蝶ネクタイ、手には細い金属のステッキを持っており、その指には赤い宝石の指輪が光っていた。紳士は門を開け、隊長の側までやって来た。
「これは、これは、私の召し使いが大変に失礼をば致しまして。ここは、私、リヒャルト.フォン.コウネルに免じてどうかお許しを。」
紳士は慇懃に礼をした。
「しかし、旦那様。こいつ等は、何か御屋敷を探っておりましたんで。しかも、この若造は、この私を投げ飛ばしやがりまして...。」
紳士は大男の言葉をさえぎり、怒鳴りつけた。
「黙れ。サンマルチノ。この御方は、貴様如きの相手になる方ではないぞ。そうですな、桜木男爵。いや、神風隊長殿。」
神風隊長の名を聞き、土星人はぎょっとして、改めて隊長達を見やった。
「それに、燕君ですな。いやあ、私如きの者に会いに来て下さるとは、正に光栄の至りと言うものですな。」
「いえいえ、私は只、伯爵にお話しを伺いに来ただけなのです。しかし、私達は余り、人前には出る事も有りませんのに、よくご存知で。」
「ファッハハハ。私は貴方方、神風隊の事は、大変に良く知っているのですよ。何から何までね。まあ、立ち話もなんです。どうぞ、中に。」
隊長達は、客間へと通された。それは何とも豪勢な部屋であった。天井からは欧州製の精巧な硝子細工の照明器具が下がり、床には天王星の火山地帯に棲む火炎熊の深紅の敷皮、
長椅子には金星の金爛獅子の黄金色に輝く毛皮が掛けてある。木星産の香木で作られた戸棚には、古代火星や木星の神像や、古美術品、宝石類が所狭しと並べられ、壁には、狩猟用の力線小銃や、刀剣の類、更に土星大鹿や、金爛獅子、冥王星の氷熊、海王星の竜王獣
等の太陽系中の珍獣、猛獣の頭が飾られていた。
「まあ、くつろぎ給え。どうです、御一つ、火星産の葉巻ですぞ。昔、火星の王族達が愛用したと言う逸品です。」
伯爵は黄金造りの小箱を開け、隊長に勧めた。
「いえ、結構です。」
「ほほう。お気に召しませぬか。ならば、仏蘭西産の葡萄酒は如何ですかな。太陽系広しと言えども、これに勝る酒は有りますまい。」
「いえ、本当に御構い無く。」
「ファッハハ。噂通りの人物だ。では、カフェイでも入れさせましょう。」
伯爵は席を立つと、傍らの伝声器に何やら命令した。燕が隊長にそっと耳打ちした。
「なんとも、嫌味な奴じゃあ有りませんか。」
伯爵は席に戻ると、こほんと咳払いをし、話しかけた。
「さて、天下の神風隊長が、私如きに聞きたい事と言うのは一体、どのような事柄ですかな。」
「ええ。伯爵は、先だって火星の極冠地方を探険なさったそうですが、その事についてお伺いしたいのです。」
「ああ、あの探険の。これは又、隊長殿は地獄耳でいらっしゃる。私如きの道楽までご存知とは。して、あの探険の何を御知りになりたいのですかな。」
「私は古代火星文明について、前々から興味が有るのです。極冠地方には、古代火星の遺跡も数多いと言いますし、又、失われた都市の伝説も有ります。この度の御探険は、これらの事の解明が目的では。」
それを聞くと、伯爵は大仰に両の手を挙げて言った。
「おお、隊長、貴方は浪漫を愛する御方だ。私、リヒャルト・フォン・コウネルのこよなく愛するものも、まさしく浪漫。栄光の古代火星帝国。その夢を探る事が私の目的であったのです。」
「成程。して、何か新しい発見はあったのですか。」
伯爵は、まるで自分に酔うかの様に身振りをつけて答えた。
「いやいや、残念ながら、この度の探険は不成功に終わりました。嗚呼、運命の女神とは何と、冷たい物でしょう。我々の艱難辛苦は全て、徒労と終わったのです。古代火星帝国の遺跡は幻と消え去ってしまったのです。」
「それは、さぞかし無念なことだったでしょう。火星大王でも見付かれば、面白かったでしょうに。」
隊長の言葉にほんの一瞬、伯爵の動きが止まった。が、又すぐに、元の通り、大仰な身振りに戻った。隊長はその一瞬を見逃さなかった。
「火星大王?隊長殿が、そんな伝説の事にまで興味をお持ちとは恐れ入りますな。確かに面白い話では有りますが、あまりに荒唐無稽です。私はそこまではちょっと信じられません。それよりも、もっと学術的な話をしようではありませんか。」
伯爵が話を変えたがっているのを悟った隊長は、わざと自分から話をそらした。
「確かにそうですね。ところで、今回の探険には他に何方か。」
「ああ、余の身内の極一部、火星人の強力達、それに元帝大教授で遊星考古学で名高い関博士にも御協力を頂いたのですが。」
「関博士ですか。是非、その方にもお会いしたいものです。御住居など、お教えしてもらえぬでしょうか。」
隊長の問いに、伯爵は、天を仰ぐ様にして、感極まったかのような声で答えた。
「嗚呼、関博士。何と悲しきことでしょう。思い起こす度に悲しさが蘇ってきます。博士も、もし、御存命ならば、隊長殿にお会いしたかったに相違有りません。何と、無情成りや人の定め。博士は、極冠の氷の大峡谷に誤って足を滑らせ、還らぬ人と成ってしまったのです。さぞかし、無念だった事でしょう。嗚呼、何ともはや...。」
伯爵はそのまま、絶句した。燕は余りの伯爵の慟哭振りに唖然として、口を挟む暇さえも、見付けられなかった。だが、隊長はあくまでも落ち着いている。口調は優しいが、はっきりとした言い様で、会話を続けた。
「それは大変に残念です。関博士には、何か身寄りの方でも。」
伯爵は隊長の冷静な様子を見て、元の態度に戻ると、問いに答えた。
「これはどうも、思わず取り乱してしまいました。どうか、お許しを。そう、確か良子さんと言う御美しい御嬢様がおられた筈ですが、博士が亡くなったあと、遠縁の方に引き取られたとか言う話で詳しい事はわかりませんし...。」
と、扉を叩く音がして、伯爵は言葉を止めた。
「入れ..。どうやらカフェイが来たようです。」
伯爵の声と共に扉が開くと、青白い肌の金星人の女中が、盆にカフェイの入った茶碗を載せて入ってきた。黒い髪をした、なかなか利口そうな娘だ。女中は隊長の前のテイブルに茶碗を置こうとしたが、何かのはずみか、不意に手を滑らせて、隊長の膝の上に茶碗をひっくり返してしまった。
「ああ、これはとんだ粗相を。」
女中は、慌ててポケットからハンケチイフを取り出すと、隊長の膝を拭こうと身を屈めた。 すると、突然、伯爵がすっくと立ち上がり、手にもった金属のステッキを振りかざし、隊長の足元を拭こうとしていた女中の背中を打ちすえた。びしっという音が部屋に響く。
「貴様、女中の分際で、余に恥をかかせおるか。」
「ああ、旦那様、お許しを。少し、手が滑ったので御座居ます。」
伯爵は女中の言葉なぞ、全く耳をかさず、猶も厳しく打ちすえた。
「ええい、たかだか金コロのくせに、言い訳をぬかしよるか。」
余りの事に驚いた隊長は、さっと立ち上がると、更に女中を打ちすえんと振り上げた伯爵の腕をしっかと掴み取った。
「伯爵、止め給え。彼女とて好きで粗相をしたのでは有るまいに。それに、私は別に気には掛けておりません。」
自分の腕を掴まれた伯爵は、キッと、ばかりに隊長を睨みつけた。
その形相の凄まじい事、地獄の鬼もかくやとばかりの恐ろしさ。その眼は飢えた狼か、獲物を狙う大蛇の如く、残忍無血な光りを帯びていた。何者をも恐れる事の無い、我らが神風隊長でさえ、思わず背筋に冷たい物が走った程だ。
しかし、隊長は伯爵の腕を掴んだ手を、決して弛めようとはしなかった。そればかりか、反対に厳しく伯爵を睨み返した。暫しの沈黙が流れる。隊長と伯爵の間には、さながら目に見えぬ火花が散っている様だ。燕も、女中も、固唾を飲んで事の成り行きを見守るばかりである。やや有って、伯爵の眼から、急速にその残忍な光りが消えていった。と、同時に隊長の手も、伯爵の腕から離れ、隊長の顔にも優しげな微笑みが戻った。
「やあ、これは失礼な事をしました。どうか、お許し下さい。それと、この御女中は、どうかこの私に免じて。」
伯爵も既に、元の伯爵に戻っていた。先程の凶暴振りは全く無い。
「隊長殿がそう仰るのなら、もうこの事は申しますまい。とっとと退がるがよい。」
伯爵の言葉に、女中は頭を下げつつ、部屋から退出して行った。
小一時間も立ったであろうか。幾つかの取り留めも無い雑談の後、隊長は伯爵に帰る意を伝えた。
「今日は大変に良い勉強に成りました。急に御邪魔して、御迷惑だった事でしょう。」
「なんのなんの。隊長の如き、当世の英雄とお会い出来て、こんなに嬉しい事は有りません。おお、そうだ。帰りは、我が『魔王』号で御送りしましょう。」
「『魔王』号と言うと、先程、こちらに伺う時に拝見したロケット艇の事でしょうか。」
「ほほう。御覧に成りましたか。余が誇る、太陽系で最も優れた宇宙艇です。『魔王』号の前では、貴方方の旭光艇でも霞んでしまいますよ。」
伯爵の自信一杯の言葉に、燕はカチンと来た。燕はこの伯爵をどうも好きに成れなかったし、自分達が、太陽系一と自負している旭光艇を馬鹿にされては黙って居られる訳は無かった。
「御言葉ですがね、伯爵さん。旭光艇を見損なっちゃ困りますぜ。『魔王』号だか何だか知らねえが、この太陽系広しと言えども旭光艇の右に出る船なんざあ、有る訳ゃねえ。」
伯爵は燕の言葉等、全く意に介しては居ない様な素振りである。
「ふむ。確かに旭光艇は素晴らしい船ですな。しかし、我が『魔王』号はもっと、素晴らしい。」
「な、なにい!」
隊長は、燕が頭に血が昇ったのを見て、慌てて彼を押し留めた。
「この無礼者。伯爵に向かってなんと失礼な事を。伯爵、この燕は気が短くていつもこうなのです。どうか、許して下さいますように。こら。燕。おまえも、謝らぬか。」
流石の燕も、隊長にこう言われたのでは仕方の無い。渋々と伯爵に謝った。隊長は丁重に、『魔王』号での送り届を断り、まだ、釈然としない燕を連れ、伯爵の屋敷を後にした。
伯爵は、隊長達が帰るのを見届けると、手を打って、執事のグ・デデウを呼んだ。年老いた火星人は音も無く現れると、伯爵の前に傅いた。
「出掛けるぞ。車を用意しろ。」
「はい。承知致しました。して、彼奴等はいかが致しますので。」
「派手には動けぬ。未だ、完全に疑っては居らぬようだ。只、監視だけは続けるようにな。決して、手を出すな。その内に嫌が応でも、対決する時が来るであろう。」
「全く虫の好かねえ野郎ですぜ、あのコウネルとか言う野郎は。」
浮遊車を運転しながら、燕は仕切りに隊長に話しかけた。よほど、伯爵が気に入らなかったらしい。
「あんなに嫌な野郎は居ませんぜ。変に気どりやがって、しかも、ちょいとしくじったからって、女中さんを打ちやがるなんざあ、畜生にも劣るってぇ奴だ。ありゃ、怪しいなんてもんじゃねぇ。怪しいが服着て歩いてる見てぇなもんだ。ねえ、隊長。ちょっと、聞いてんですかい、隊長。」
隊長は燕の言葉など気にしていないかの様である。突如、背伸びをして大欠伸をしたかと思うと、燕の肩に手を回して言った。
「ふぁああ。おい、燕。どうだい、折角、地球に来たのだから、皆で箱根の温泉にでも物見遊山に行って見ないか。」
「へっ!?箱根?ちょっと、隊長。何考えてんですかい。えっ大体...。」
そこまで言った時、燕は、肩に掛かった隊長の指が微妙な動きをしているのを気付いた。
何か一定の感覚で燕の肩を叩いている。電信符合だ。隊長は電信符合で何かを伝えようとしているのだ。
ウシロ・ウシロ・ツケラレテイル・ウシロ・ウシロ・・・
「箱根ねぇ。温泉につかって、ちょいと一杯ってのも乙なもんですね...。」
燕は、隊長の様に伸びをすると、チラリと後ろをみた。燕の眼力は常人を遥かに凌ぐ。その眼は、彼等の浮遊車の背後を飛んで付けてくる小さな物を見逃さなかった。それからの燕の動作は驚くべきものであった。目にも停まらぬ早技で、懐から十字手裏剣を取り出すと、さっと後方の飛行物体へと投げつけた。手裏剣は、寸分違わずにその物に命中し、それは、地上へと落下した。
二人は浮遊車から降りると、その物の所へと向かった。そこには、手裏剣によって破壊された見慣れぬ機械が有った。望遠鏡らしき物や、小型のプロペラ等が辺りに散らばっている。
「こいつぁ、飛行写真機ですぜ。するってぇと、屋敷を出てからこいつがずっと後を付けてたって訳ですかい。」
隊長は軽く頷いた。燕は、飛行写真機の残骸を蹴飛ばしながら毒付いた。
「かあ、なんてこったい。こんこんちきのこん畜生。しかし、こんな物にあっし等の後を付けさせるなんざぁ、あの糞伯爵の野郎、益々もって怪しい野郎だ。」
「それにな、燕。」
隊長は話ながら、搭乗服のポケットから、一枚の紙切れを取り出した。
「こいつは、先刻、伯爵の屋敷で、金星人の女中が、僕のポケットの中に紛れこました物だ。ほら、カフェイをこぼして、拭こうとした時だ。」
隊長がその紙切れを開いて見ると、そこには婦人の字でこう書いてあった。
−御嬢様を御助け下さい。−
「御嬢様。御嬢様って一体、誰のこってすか。」
「さてな。こいつは仲々面白くなって来たぞ。燕。どうやら、御前の出番らしいぞ。」
燕の眼が、嬉しそうにキラリと光った。
「あの屋敷を探って来いってこってすね。合点でい。ついでに、あの糞伯爵の鼻の穴から指突っ込んで、眼ん玉ひっくり返して、奥歯ガタガタ言わしてやりますぜ。」
「余り、調子に乗ってドジを踏むんじゃあないぞ。」
「へい、任せて下さいよ。」
その言葉と共に、燕はさっとその姿を消した。
隊長は浮遊車に戻ると、腕時計に仕込まれた小型無線機で、佐衛門博士を呼び出した。佐衛門は、鉄人の分析の為、上野の帝国博物館にいた。隊長は今までの経過を話すと共に、佐衛門達の怪鉄人についての報告を聞いた。
「ほほう。それは仲々、面白いですな、若。こちらも、ちょっと面白い事が判りましたぞ。あの怪鉄人の部品には、ギヤマニウムが使われておるのです。」
「ギヤマニウムだって。」
隊長は、驚きの声を挙げた。ギヤマニウムと言うのは、古代火星の遺跡から見付かった透明金属で、今の太陽系文明では、合成不可能な物質なのである。
「それに、まだまだ有りますぞ。怪鉄人の裝甲板の間に挟まっていた土くれは、百万年前の火星の極冠地方の地層に見られる砂と同質の物ですぞ。」
「と、言う事は、あの怪鉄人は、百万年前の火星で製造され、今まで、極冠に埋もれていた。」
「そう言う事に成りますな。」
「古代火星で造られた怪鉄人、それを操る火星鉄仮面と言う怪人、そして、リヒャルト・コウネルか...。こいつはもしかすると。」
「ああ、それと若。ちょっと浅草警察署まで行ってくれぬかのう。」
色々な謎を頭の中で整理しようとしていた隊長は、佐衛門の思いがけぬ言葉に面食らった。
「あ、浅草警察署だって。一体、どうしたんだ。」
「ふむ。ちょいと、多力王の奴が面倒を起こしてのう。」
「ううん。あの粗忽ものが、一体、何をしでかしたんだ。」
隊長は、浮遊車を急いで発進させると、一路、都心へと向かっていった。
多力王は、不機嫌であった。仲間の燕が隊長と共に、事件の最前線を飛び回っていると言うのに、自分は怪鉄人の破片集めに、調査分析の手伝いと、地味な仕事ばかりやらされて居るからである。別に、科学調査が嫌いな訳では無い。只、この手の仕事では、彼が誇る無類の豪力も使い様が無いし、まして、調査が細かい段階に入ると、佐衛門博士が一人で処理することが多く、多力王は暇を持て余すばかりである。そこで、彼は隙を見て、帝国博物館の研究室を抜け出し、気晴らしの散歩と洒落こむ事とした。
上野から、浅草へと歩いて来ると、気分もかなり晴れてきて、何となく、心がうきうきして来た。浅草は、銀座とは、又、違った意味で華やかな場所である。銀座がモダアンな上品さを持つ、太陽系の文化の中心ならば、浅草は、もっと庶民的な娯楽の殿堂といった所である。盛り場に入っていくと、両側には立体映画館や、芝居小屋、見世物小屋が立ち並び、辻々には、香具師が露店を並べ、大道芸人がそれぞれの得意技を披露している。つい、昨日、銀座であれだけの大騒ぎが有ったというのに、ここの活気は少しも変わっていない。
「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。可哀相なのはこの子でござい。幼いころに、木星コングにさらわれて、この年になるまで、木星の大密林に暮らしたと言う。文明の光も知らず、野獣に育てられた、奇跡の木星少女の花ちゃんやあい。」
「金星の山奥に居るという、六尺の大鼬だよ、御立ち会い。こいつを見なけりゃ、末代までの恥だよ、お客さん。」
「蟇は蟇でも、四六の蟇、これより遥ぁるか遠くの天王星の大山岳地帯の麓に棲むと言う....。」
雑多な呼び声が割れんばかりに響き渡る。その中を多力王は、のっしのっしと歩いていった。道行く人々は、この巨大な鉄人を見て、皆一応に驚きの声を挙げた。
「おうおう、何だい、あいつは。」
「ちんどん屋だよ、きっと。」
兎に角、多力王は目立つ。実は隊長が多力王を連れていかなかったのは、この為でも有るのだ。誰だって、七尺もある鉄人が堂々と歩いていれば気が付かない訳がない。いつの間にやら多力王の後ろには、近所の悪童共が列をなし、多力王の真似をしながら、ぞろぞろとくっついて歩いていた。ところが、当の多力王はそんな事にはてんで御構い無しで、街の賑わいを楽しみながら、『太陽系行進曲』なぞを鼻歌で歌って、腕を大きく振って、陽気そうに歩いて行く。
「うほほ。こいつは愉快、愉快。」
最早、多力王は先刻の不平なぞすっかりと忘れ去っていた。
「おお、そうだ、疾風丸に、何か土産を買っていってやらねば。」
疾風丸と言うのは多力王が可愛がっている、星狸と言う小動物の事である。この、星狸というのは、土星の衛星、テイタンに棲んでいる小犬程の動物で、アルコウル類を好む。しかし、何と言っても、この星狸の特徴といえるのは、人の心を読み、相手に幻覚の様な物を見せる能力があると言う事だ。だから、テイタン人の間では、テイタン餅のかわりに、土星馬の糞を喰わされただの、風呂と思って入ったら肥溜めだったとか、星狸に化かされたと言う話が山の様に有る。多力王は、先頃、或る事件でテイタンに行った時、村人に捕まって、狸汁にされ掛かっていた星狸を譲り受け、これに疾風丸と言う名を付けて飼って居るのだ。
「ふむ。何が良いかな。玩具か、さもなければあいつの好きな酒の類か。」
多力王は辺りを見回すと、威勢のいい売り声を響かせている、金星産の宇宙バナナの叩き売りに目を付けた。
「おう。あれだ、あれだ。疾風丸にも滋養を付けてやらねばな。」
多力王が、そのバナナの叩き売りの方へと向かおうとした時、人混みの中から、大きな声がした。
「おおい。誰かそいつを捕まえてくれい。泥棒だあ。」
声のした方を振り返ると、道行く人々の間を縫うように、小さな影がこちらへと走って来るではないか。その後ろから、さっきの声が追い掛けてくる。
「その餓鬼だ。そいつを捕まえてくれい。」
「どうれ。」
小さな影が近寄ったのを見計らい、多力王はその鉄の腕を延ばし、走ってきた影の着物の襟首を摘まみ上げた。
「放せ、放せ。放しやがれ。」
それは、十才位の子供であった。野球帽をちょこんと被り、所々擦り切れた絣の着物を着ている。その子は、多力王に猫の子の様に摘まみ上げられながら、足をじたばたさせて、毒突いた。
「放せってんだ、この化け物。おまえの頭なんざかち割ってくれるぞ。」
「ほほう。随分と威勢のいい小僧だな。」
多力王は、光電管の目でじっくりと小僧を見つめた。
と、やっとこさ、後ろから追い掛けていた声の主がやって来た。そいつは、山高帽を被った、背の低い、でっぷりとした木星人で、手には、電気鞭を持っていた。その後ろから、腕っぷしの強そうな男が二、三人やって来る。はあはあと、息を切らしながらやってきたそいつ等は、雲を突かんばかりの大鉄人の姿に思わずぎょっと驚いた。
「御主らが、この小僧を追っかけていたのかな。」
多力王の意外に優しい口振りに安心したものか、木星人は顔中に作り笑いを浮かべた。どうやら、多力王の事を何かの宣伝の作り物だと思ったらしい。
「いやあ、有り難う御座います。何分、逃げ足の速い餓鬼でして。私等も随分と往生してたんで御座いますよ。さあ、その餓鬼を御渡し下さいな。」
まだ、じたばたしている小僧をぶら下げながら、多力王は言った。
「渡さん事はないが、この小僧さんが一体何をしたのかね。」
「あたしは、そこで、興行を営んでおります太陽系曲馬団の団長で、タ・マジャクと言う者です。その餓鬼は、すっとび小僧と言いまして、この界隈じゃ、ちょっと名の知れた盗人小僧で御座います。今日もうちの一座の中に入り込み、盗みを働こうとしたんで御座いますよ。」
多力王は暫く考えると言った。
「成程、よく判った。しかし、それならば、巡査に突き出すのが筋道。某が一緒に付いていって進ぜよう。」
タ・マジャク団長は慌てて、かぶりを振った。
「いえいえ、とんでも御座いません。なあに、まだ、何も盗られた訳じゃあ御座いません。巡査の手や、貴方様の手を煩わせるまでも無い。ちょいと、こちらで御説教をして、放してやるつもりで御座います。」
「嘘付き。」
多力王の手の先にぶら下げられていた小僧が叫んだ。
「なあにが、御説教だい。その電気鞭で打ち殺すつもりだろう。鉄のおいちゃん。騙されちゃいやだよ。こいつはトンでもない悪者なんだよ。あの電気鞭で自分の言う事を聞かない団員さんや動物達を酷くいじめるんだよ。鬼、悪魔、畜生。」
「旦那、こんな小僧の言う事なんぞ間に受けちゃいけませんぜ。あたしはこれでも、仏のタ・マジャクと世間じゃ言われている男なんですぜ。ねえ、その餓鬼を大人しく渡しちゃあくれませんかい。」
「仏のタ・マジャクが聞いてあきれらあ。この大ほら吹きのこんこんちき。鉄のおいちゃん、こんな悪者の言う事を信じちゃあいけないよ。」
二人の言い合いを聞きながら多力王はずっと考え込んでいたが、どうも、このタ・マジャクと言う木星人が、いやに巡査を嫌っているし、今一つ、信用出来そうな男ではないので、試しに鎌を掛けて見る事にした。
「やはり、この一件は巡査に任せた方がよろしいと思う。御主達が、某と一緒に巡査のところに行くのでなければ、この小僧を渡す事は出来ぬ。」
その言葉を聞いて、タ・マジャク団長は態度を一変させた。それまでの作り笑いをかなぐり捨てて、声にも凄みを聞かせ、多力王を睨み付けた。後ろの男達も、多力王の周りをぐるりと取り囲んだ。
「おいおい、兄ちゃん、いい気になるんじゃねえぜ。こちとらが大人しくしてるうちに、にさっさとその餓鬼を渡しやがれ。」
多力王はそんな言葉は全く気にしない。いや、むしろ、内心、こいつは面白くなってきたと思っていた。
「ほう。それでも、渡さないと言ったら、一体どうするね。」
「このちんどん屋風情が、でかい口を叩くんじゃねえ。そんな、格好をしてるからって、強がってると痛い目にあうぜ。」
「ちんどん屋だと、某を誰だと思う。太陽系にその名も高き....。」
多力王が名乗りを挙げようとした時、警笛が鳴り響き、数人の巡査がやって来た。この騒ぎを誰かが通報したらしい。タ・マジャクとその一党は、巡査の姿を見ると、一目散に、逃げ出した。多力王は巡査にむかって怒鳴った。
「おお、巡査諸君。悪者は向こうに逃げ出したぞ。」
ところが、巡査達は、逃げていくタ・マジャク達には目もくれずに、ぐるりと、多力王の周りを取り囲んだ。
「おいおい、悪者はあっちだぞ。」
あっけに取られた多力王を尻目に、巡査達は、手に手に力線ピストルを構え、じりじりと迫ってくる。その中の長らしき年かさの巡査が叫んだ。
「帝都を騒がす怪鉄人の一味め。神妙に御縄を頂戴しろ。」
「な、何だって!?」
「貴様が、昨日、銀座を襲った怪鉄人の仲間だという事は判っているんだぞ。」
「ちょっ、ちょっと待て。某は違うんだ。」
多力王が、いくら言っても巡査達は一向に聞きはしない。多力王にしても、まさか、巡査を薙倒す訳にもいかず、只、大人しく言う事を聞かざるをおえなかった。
浅草警察署の木村又兵衛署長は、上機嫌であった。なにしろ自分の部下が、帝都を騒がしている怪鉄人の一味を捕まえたのだから、喜びもひとしおだ。部下には勿論、きっと自分にも何らかの賞が有るであろう。自分の生涯でまさに最良の日で有る事は間違い無かろう。
と、机の上の電話が鳴った。交換手が、高倉遊星巡査局長からである事を告げると、木村署長は益々有頂天になった。局長じきじきの御褒めの言葉に違いない。
「もしもし、署長で御座います。」
「大馬鹿者が!貴様、一体誰を逮捕したと思って居るのだ。」
開口一番、高倉局長の怒声が響いた。電話口で、木村署長の顔は段々に蒼白になっていき、受話器を置くと、大慌てで、部屋から飛出していった。
幾許かして、多力王とすっとび小僧は、それまで入れられていた牢屋から、突如として、豪華な特別室へと移された。署長や巡査達は二人が部屋を移る間、ずっと謝り通しであった。
「へえ。鉄のおいちゃんが、あの神風隊の多力王だなんて、びっくりしたなあ。俺等、神風隊の贔屓なんだぜ。」
すっとび小僧は、お詫びにと出されたカツ丼を、口一杯にほうばりながら言った。
「文武両道の隊長に、天下の奇才、佐衛門博士、忍術使いの燕に、とりわけ凄いのがおいちゃんだ。豪力無双の鉄人、多力王。」
「おほ、そんなに某は有名か。」
多力王は、これも、お詫びとして差し入れられた機械油を関節へと差しながら答えた。自分の事が褒められるのは悪くない。
「有名なんてもんじゃないよ、おいちゃん。どんな敵でも何のその、怪物、怪人怖い者無しってんだから凄いもんだよ。弁慶か坂田の金時か多力王かって言う評判だよ。只、玉に瑕なのが...。」
多力王は思わず小僧の方へと身を乗り出した。
「玉に瑕なのが?」
「ちょいと、粗忽で頑固すぎるってとこだな。大男総身に知恵が回りかねって奴だな、これが。」
多力王は怒鳴りそうになったが、そこはそれ、子供相手という事で、どうにか心を抑えつけると、半ば、照れ隠しで、又、少しこの小僧に御説教をしてやろうと思い立ち、言った。
「うう、ううむ。それにしても小僧、御前は盗みを働いているそうじゃあないか。よいか、盗人なぞ、真の偉丈夫のする事ではないぞ。真の偉丈夫たる者はの...。」
「ちぇっ、多力のおいちゃんたら、てんで判っちゃいねえんだな。」
小僧は舌打ちをすると、多力王に言い聞かせる様に言った。
「いいかい、このすっとび小僧様はね、確かに盗みはするけれど、善良な人からは、びた一文だつて盗んじゃいねえんだい。ぜぇんぶ、金持ちや成り金の、胸くその悪い連中の懐からだい。言うなれば、義賊って奴よ。判るかい。」
「義賊と言えども、賊は賊だぞ。」
「そいつはそうだけどもね。そりゃ、おいちゃん達みたいな正義の味方だって居るし、立派な人だって、沢山居るのは知ってるぜ。だけど、悪い奴だって、幾らも居やがるんだ。悪い奴が、御天道様の下を堂々と歩いてやがることだってあるんだぜ。俺等、そういう奴等をへこましてやってるんだ。言ってみりゃ、毒を以て毒を制すって奴よ。今日だって、あのタ・マジャクの野郎に一泡吹かせてやろうとしたんだが、運悪く、見付かっちまったって訳よ。」
「タ・マジャクと言うのは、そんなに悪い奴なのか。」
「悪い。悪いなんてもんじゃねえ。弱い者いじめはするし、人さらいだってやってやがるんだぜ。いろんな星の子供を拐しちゃあ、芸を仕込んで、見世物にしてやがるんだ。手下の中にも、不気味な連中がごろごろ居て、あの太陽系曲馬団ってのは、悪人の博覧会みたいなもんだ。」
「で、その悪人の巣窟から、一体、何を盗もうと思ったのだ。」
いつの間にやら、多力王は小僧の立て板に水の調子に、御説教の腰を折られて、聞き役に回らされていた。小僧は手に持った箸を振り回して、調子をとる。
「よくぞ、聞いてくれました。実はね、おいちゃん。俺等、大変な物を見ちまったんだ。曲馬団の裏手の団員さん達の天幕を探っていたと思いねえ。御役者クル・カルって言う、火星人の百面相の芸人の天幕のなかにね、どえれえ物が有ったんだよ。何だと思う。」
「ええい、じらすんじゃあ無い。一体何なのだ。」
小僧は、もったいつけて、少し間を置くと続けた。
「それがね、鶏の卵ほども有る大きな紅玉なんだ。」
その言葉を聞いた途端、多力王は動力炉が停まる程驚いた。小僧は、そんな事は御構い無しに先を続ける。
「あんな、見事な紅玉、見たことも聞いた事も無え。あいつはきっと、どこぞから、盗んできた物に違ぇねえと、俺等、ふんでるんだけど....。あれ、おいちゃん、どうかしたのかい、固い体を更に、固くしちまって。」
小僧は漸く、多力王の様子がおかしいのに気がついた。と、突然、多力王が叫んだ。
「こ、小僧!」
その、余りの大声に、小僧はかつ丼の丼を放り投げ、椅子から転げ落ちた。
「今の話、嘘じゃあ無いだろうな。」
「おお、びっくりした。自慢じゃないが、俺等、嘘と坊主の頭は結った事がねえや。」 「こいつは、隊長に知らせなくちゃ。」
多力王はがばっと立ち上がると、扉の方に向かった。と、丁度、扉が開き、そこに隊長と、佐衛門が、署長と共に入って来た。
「た、隊長!」
「隊長では無いは、この大馬鹿ものが。」
隊長は、開口一番、多力王を叱り付けた。が、多力王は、そんな事を気にしているどころではなかった。
「隊長、それどころでは有りませんぞ。と、兎に角、某の話を。」
多力王は、小僧の話を隊長に伝えた。隊長は大きく頷いた。
「すると、火星の雫が、太陽系曲馬団とやらに有るというのだな。」
「そうです。しかも、百面相の芸人が噛んでいると言うのが、臭いじゃあ有りませんか。きっと、そいつが、シ.・クロロイに化けていたに相違有りません。」
「うむ。こいつは一つ、探ってみなければならぬ様だな。署長、太陽系曲馬団について、何か、ご存知ですか。」
「ふむ。余り、詳しくは知らないのですが、何でも、何処かの伯爵の持ち物だとか言って居りましたな。そう、リヒャルト、なんやらとか。」
「リヒャルト・コウネル!」
隊長は思わず叫んだ。佐衛門博士は、多力王に笑いかけた。
「ほほほ。多力王、どうやら、思いがけず、御手柄の様じゃのう。」
「どうやら、コウネル伯が、火星鉄仮面の一味に関わっているのは、間違いの無い所だな。」
「隊長、そうと判れば、曲馬団にとっとと乗り込んで、悪漢どもを皆討ち取って、火星の雫を取り戻し、返す刀で、そのコウネル伯とか言うをひっ捕らえてくれましょうぞ。」
多力王が吠える。だが、隊長は静かに言った。
「悪くはないが、まだ、ちょいと無理があるな。」
「若の言うとおりじゃ。怪しいのは間違いないが、儂等はまだ、確たる証拠を掴んではおらぬ。今、下手な事をすると、かえって事態を悪くするだけじゃ。」
隊長は暫く考えていたが、何か、思い付いたらしく、不意に、傍らのすっとび小僧に話しかけた。
「そうだ、小僧君。君は曲馬団の中を良く知っているそうだね。」
「ああ、知っているよ。なにしろ、何回も忍び込んでやったからね。」
小僧は、鼻の頭を擦ると得意気に言った。隊長はその言葉を聞くと、にこりと笑い、皆に向かって言った。
「よし。決まった。今夜は一つ、楽しい曲馬見物と洒落込むとしようじゃあないか。」
夜が暮れかかっても、浅草界隈の熱気は少しも収まりはしない。辺りは、色とりどりの電飾で飾られ、露店や、見世物の呼び込みの声や、音楽も、益々、活気を帯びてくる。中でも、今、この界隈で一番の人気は、太陽系曲馬団の興行であった。軽金属の七色に輝く大天幕、その入り口には飾り立てられた印度象や木星の六本の牙を持つ赤象が、愛敬を振りまき、水星人の小人が、肩に金星の人真似猿を乗せ、甲高い呼び込みの声を張り上げていた。
「さあ、いらはい、いらはい、太陽系最大の見物、諸遊星より集められました、最高の芸の数々、ここでしか見られぬ、星の世界の珍獣、奇獣。紳士、淑女の話題の種に、坊ちゃん、嬢ちゃんの学習に、是ほどの物はちょいと無いよ。さあ、今なら、まだ、座って見れるよ。さあ、急いだ、急いだ。」
自動楽団の奏でる、『九遊星の美』の曲の調べに乗り、老若男女が、次々と入り口にと吸い込まれていく。その中に、一人の金持ちの子供と、その御付きの爺や、書生の三人組の姿があった。これこそ、変装した神風隊長、佐衛門博士、すっとび小僧の三人である。すっとび小僧は目をきらきらと輝かせ、興奮した口調で、書生姿の隊長に話しかけた。
「へへ。俺等、金を払って正面から入るなんて、初めてだ。」
「おいおい、仮にもいい所の坊ちゃんなんだぜ。情け無い事を言うなよ。」
隊長が笑いながら、小僧に囁く。その後ろでは、普段、着流しの佐衛門博士が呟いた。
「ふむ。どうも、洋服という奴は、しっくりとこないのう。」
「それにしても、多力のおいちゃんは可愛相だね。あんなに来たがっていたのに。」
多力王は、どうしても付いて行くと聞かなかったが、隊長と佐衛門の説得に渋々と従い、曲馬団の天幕の外の貨物自動車の中に、その身を潜めていた。隊長は、貨物自動車の荷台の中で、ぶつぶつ言いながらじっと待機している鉄人の姿を想像して、ふっと可笑しくなった。
さて、三人が席に着くと、やがて部分照明に照らされたタ・マジャク団長の姿が舞台の上に現れ、口上を述べ始めた。
「紳士並びに淑女の皆々様。今宵はよくぞ、我が太陽系曲馬団においでくださいました。遊星世界から寄り選ぐりましたる、驚異と爆笑、美と芸術の数々。どうか、最後まで御ゆるりと、御楽しみくださいませ。」
口上に続いて、華やかな金星人の踊り子の群舞が始まり、それに続いて、冥王星人と水星人の凸凹道化、海王星産の星海驢の曲芸、火星人の曲芸師、支那人の奇術等など、目にも彩な出し物が、次々に繰り広げられていった。
その中で、隊長達の目を引いたのは、『驚異の遊星世界』と題された、数々の奇人達の見世物であった。
「さあ、御次は海王星からやって来ました、驚異の蛸男で御座ぁい。」
口上の後に出てきた海王星人は、体中が骨無しの状態で、狭い梯子の間をくぐり抜けたり、足の指で頭を掻く等、通常では考えられぬ格好をとったりした。
「ひゃあ、こいつは凄いや。」
小僧が目を丸くして、驚きの声を挙げた。
「若、あいつは、何か、体の骨を柔らかくする手術を受けている様ですな。」
佐衛門博士の言葉に、隊長は軽く頷いた。
「うむ。おっと、次の奴のお出ましだぞ。」
蛸男に続いて現れたのは、大柄の西洋人。彼が全身をぶるぶると震わせると、彼の体中から、獣の毛がもじゃもじゃと生えだし、口は耳まで裂け、牙がにょっきりと生え、耳は尖り、瞬く間に彼は一匹の熊の様に変化した。観客から悲鳴ともつかぬ歓声が挙がる。
「見ろ。奴も、体の中を改造されているに違いない。コウネル伯の屋敷でも、改造されたらしい怪力男を見た。是が皆、コウネル伯の仕業だとしたら、こいつは恐るべき相手だぞ。」
隊長は思わず呟いた。佐衛門博士も驚いた様に言った。
「是だけの事が出来る科学者が野に居るとはのう。宇宙は広い物じゃ。」
『驚異の遊星世界』の最後に舞台に挙がったのは、一人の火星人であった。
「あ、あいつが、クル・カルだ。」
小僧が叫んだ。火星人は、客席に向かって一礼すると、自分の顔を、くにゃくにゃとこねくり回し始めた。それに連れて、彼の顔がまるで粘土細工の様に形を変えていくではないか。彼の顔の皮膚は、特殊なゴムの様な物に張り替えられており、自由自在に変化出来るのだ。火星人の顔は、忽ち、当代の人気映画俳優、天原長四郎の顔へと変わっていった。
「成程。燕と同じ様な変装法だな。あれなら滅多な事で見破れない訳だ。」
その間にもクル・カルの顔は、もう、次の顔へと変わっていた。今度は、人気横綱の大彗星だ。観客が、一際、沸き上がる。頃合いを見計らって、隊長が言った。
「さあ、小僧君。見とれていないで、そろそろ行くぞ。」
隊長は、芸に熱中している小僧を促すと、手洗いにでも行く様な感じで席を立った。
「じゃあ、博士。留守番をたのんだよ。」
「おうおう。若も余り、無理をせぬ様にな。」
隊長と、小僧は、熱狂する観客の中に消えていった。
その少し前。曲馬団の楽屋にて、タ・マジャク団長は、一人の紳士を出迎えた。紳士は、誰有ろう、リヒャルト・コウネル伯爵その人であった。タ・マジャクは、顔面一杯に笑顔、を作り、揉み手をしながら伯爵に挨拶した。
「やあ、これはコウネル伯爵。今日は何の御用で。伯爵に提供頂いた改造人達は、それはもう、大変な人気で御座いますよ。お陰で、当一座は大繁盛。」
伯爵は、そんなタ・マジャクの言葉には答えようともせずに言った。
「クル・カルは何処に居る。」
「まあまあ、そう、急がなくても。御茶でも、御一つ。」
しかし、伯爵は立ち止まらず、ずかずかと奥へと入っていった。
「余は急いで居る。クル・カルは何処に居るのだ。」
「は、はあ。奴なら、今、舞台に挙がって居りますが。」
「よし。ならば、舞台の袖まで、案内しろ。」
伯爵は、タ・マジャク団長に案内され、舞台の袖までやって来た。舞台の上では、クル・カルが大熱演の真最中であった。舞台の上の、クル・カルの見事な変裝に、伯爵は、思わず、ほくそ笑んだ。
「さすがに、余が手塩に掛けて作り挙げた男だ。やりおるわ。」
「それはもう、当一座の花形で御座います。」
伯爵は、暫く、クル・カルの舞台を満足気に見ていたが、ふと、目をやった客席に信じ難い人物を見付けて、あっと驚いた。それは、客席を立った、書生と子供。そう、神風隊長とすっとび小僧の姿であった。
「おお、あの悪魔め。何か感づいたと見えるな....。タ・マジャク団長。」
不意に、名を呼ばれた、タ・マジャクは、びくっとして答えた。
「な、何か御用で御座いますか。」
「うむ。あそこに立って出ていく書生と小僧が居るであろう。」
「はあ、何処ぞの坊ちゃんとお供の書生らしいですな。」
「あの書生は、余にとって不倶戴天の敵が化けて居るのだ。団長、何か、手を打って、奴の動きを封じるのだ。それと、クル・カルの奴を、早く引っ込めさせろ。」
急変した伯爵の態度を、タ・マジャク団長は不思議に思って、聞いた。
「あんな若造如き、一体何を恐れるのです。伯爵らしくも有りませんな。」
「別に恐れる訳では無い。しかし、奴をなめて掛かった奴等は一人残らず、奴に破れ去って居る。決して、侮ってはならぬ男なのだ。ええい、愚図々々するな。」
伯爵に睨まれたタ・マジャク団長は、大慌てでその場を離れていった。
席を離れた隊長と小僧は、客達が舞台に熱中している隙に、まんまと天幕の外へと抜け出し、裏手の団員達の居住区へと入っていった。勿論、地理に明るい、小僧の御手柄で有る。幾つかの小天幕を通り越し、猛獣の檻の前を通り、二人は、目的のクル・カルの天幕の前までやって来た。
「隊長さん。あれがクル・カルの天幕だよ。」
天幕の方へと隊長が歩み出した時、隊長は殺気を感じ、さっと飛びのくと共に、小僧をかばう様にその場に伏せった。間一髪、隊長の頭の上を短剣が飛んで行く。隊長はさっと立ち上がると、辺りを見回して叫んだ。
「何者だ。出てこい。」
隊長の声と同時に、天幕や、資材の影から数人の男達が姿を現わした。例の蛸男の海王星人、熊に変化する西洋人、でっぷりとして、両の手に青竜刀を持った巨漢の東洋人、そして、今、隊長に向けて短剣を放ったらしい、傴僂で半分白髪の小男といった、一癖も二癖も有ろうかという連中だ。傴僂が、短剣をかちゃかちゃ鳴らしながら言った。
「何者だとは、こっちの台詞よ、若いの。ここで何を嗅ぎ回っていやがる。」
「いや、ちょっと散歩をね。」
「ふざけやがって!」
隊長の言葉が終わるか、否や、傴僂が短剣を投げつけてきた。が、隊長は、少しばかり、首を曲げたのみで、紙一重で、短剣をやり過ごした。そのあまりの芸当に、傴僂は、一瞬、あっけに取られた。隊長は、足元の小石を幾つか拾い挙げると、手の中で弄びながら、傴僂に向かって笑い掛けた。
「傴僂君、もう、おしまいかな。」
怒り心頭に発した傴僂は、次々と短剣を投げつけた。それに対し、隊長は、掌の中の小石をつぶてとして、連続に弾き飛ばした。唸りを挙げて迫る短剣は、石つぶての邀撃に会い、全てが、ものの見事に空中にて叩き落とされた。更に一発、隊長の放った石つぶては、唖然として為す術も無い傴僂の額を直撃した。傴僂は、額を割られて、たまらずにその場にぶっ倒れた。傴僂がやられたのを見て、今度は蛸男が隊長に踊り掛かった。隊長は得意の柔術で、蛸男を地面へと叩き付けた。しかし、相手は骨無しの蛸男だ。体をぼんと弾ませると、何も無かったかの様に立ち上がり、不気味に笑い声をあげた。
「ひゃひゃひゃ、こいつは仲々やりおるわ。」
休む間も無く、熊の姿に変化した西洋人が猛突進で隊長に襲い掛かる。
「いやあ!」
気合い一声、隊長の体が舞い上がる。隊長は、勢いよく突っ込んで来た熊男の頭上を軽々と飛び越えると、熊男の首の付け根へと、強烈な蹴りを一発お見舞いした。勢い付いた熊男は、そのまま前につんのめって、どうっとばかりに傍らに積んであった材木の山へと突っ込み、材木を吹っ飛ばして、その場にぶっ倒れた。
「お、おのれい。」
次に巨漢の東洋人が、両の手に持った青竜刀を風車の如くに振り回すと、隊長に踊りかかつて来た。今度ばかりは、隊長も少しばかり分が悪い。巨漢の武術は仲々のもので、さすがの隊長も、素手ではおいそれとは反撃に移れないのだ。隊長は次第に後ろへと追い詰められていった。
「隊長さん!」
隊長と改造人の闘いをずっと見ていたすっとび小僧は、隊長危うしと見るや、傍らに在った木の棒を、隊長に向かって投げ渡した。隊長はそれを空中で受け取ると、にこりと笑った。
「さあて、少し御返しと行くとするか。」
隊長は、棒を持ってさっと身構えると、猛然と反撃を開始した。二丁の青竜刀と、棒の渡り合う事、数十合。竜虎相打つとはまさしくこの事だ。が、渡り合ううちにも腕の差が出てきたのか、次第に巨漢の息が乱れ始めた。それに連れて、青竜刀の刃先もふらつきだす。隊長はこの機を逃さず一気に攻め立てた。焦った巨漢の剣捌きはいよいよ怪しくなり、遂には隊長の棒の一撃によって、二本の青竜刀は、巨漢の手より叩き落とされた。隊長は、棒の先を巨漢の目の前に突き付け、じりじりと迫った。
「降参するなら、今のうちだぞ。」
が、巨漢は思い切り息を吸い込むと、突如、その口から、猛烈な火炎を吹き出した。常人ならば、この不意打ちに、その体を炎と化したであろう。が、神風隊長は、持ちまえの機敏さで、咄差にその炎をかわした。隊長の髪が炎にあぶられて焦げる。隊長は素早く体を立て直すと、第二撃の来る前に、棒を巨漢のみぞおちへと打ち込んだ。
「ぐうっ!」
巨漢は急所を突かれた苦しさに、思わず体を折った。巨漢の顔が、見る間に真っ青となっていく。巨漢は手で口を押さえると、何とも言えぬ苦しそうな呻き声を挙げ始めた。
と、突然に、口から爆発したかの様に炎が噴き出したかと思うと、その炎は、瞬く間に巨漢の全身を包み、巨漢の体は火だるまと化した。どうやら、隊長の一撃が、巨漢の腹の中の火炎噴射装置を直撃し、装置が故障したらしい。
「た、助けてくれい。」
火だるまと化した巨漢は、もの凄い悲鳴をあげると、頼りとばかりに、側に居た蛸男にしがみついた。
「ひ、ひゃあ!」
どんな衝撃にも耐えられる蛸男でも、炎の固まりにしがみつかれてはどうにもならない。同じく体中を炎に包まれると、巨漢をどうにか振りほどき、一目散に逃げ出した。
「小僧、佐衛門博士の所へ戻れ。」
その隙を見て、隊長は、小僧に声を掛けると同時に、クル・カルの天幕の中へと突っ込んで行った。
隊長が天幕の中に突入すると、中に居た一人の男が、ぎょっとして振り向いた。クル・カルだ。火星人は、今まさに、その手の中に火星の雫を収め、裏手より逃げ出す所であった。隊長の声が、火星人を一喝する。
「待てい!そこな火星人。」
余りの隊長の大音声に、クル・カルはびくっとして、思わずその場に立ちすくんだ。その迫力は、先日、宇宙軍省で見た優しそうな青年とはとても思えない程だ。隊長の厳しい目で睨まれたクル・カルは、さながら、蛇に睨まれた蛙の様で、金縛りにでも会ったかの様に、ぶるぶると震え上がり、一歩もその場を動く事が出来なかった。隊長は、つかつかとクル・カルの側にやってくると、震える火星人の手から、火星の雫をいとも簡単にもぎ取った。隊長は強い調子でクル・カルを詰問した。
「クル・カル。おまえに、火星の雫の強奪を命じたのは、一体、何者だ。」
怯えきったクル・カルは答えた。
「そ、それは、か、火星鉄仮面....。」
「その火星鉄仮面の正体は?御前はそれを知っている筈だ。」
「か、火星鉄仮面の正体は...、ぎゃあ!」
クル・カルの言葉の途中で、突然、背後から力線が走り、クル・カルの背中を貫いた。何者かが、クル・カルを狙撃したのだ。クル・カルは、どうと、その場に崩れ落ちた。
「しまった!」
隊長は、すぐに、力線の放たれた方へと身を踊らせた。天幕の外へと出て見ると、先程の火だるまの二人の炎が飛び火したらしく、辺りはそこら中に火の手が挙がっており、火消しやら、逃げる人々で、大騒ぎの有り様。クル・カルを射殺した犯人は、その騒ぎの中へと紛れ混んでしまった様で、最早、その姿を見いだす事は出来なかった。
「隊長。大丈夫ですか。」
多力王が、余りの騒ぎに隊長の身を案じてやって来た。佐衛門博士も一緒だ。
「僕は大丈夫だ。それより、怪しい奴を見掛けなかったか。」
「あ、怪しい奴と言われても、この騒ぎじゃ、誰が誰だか判りませぬぞ。」
多力王は、とりあえず、辺りをぐるりと見回すと言った。
「そうか。火星の雫を取り戻しただけでも、良しとするか...。そう言えば、博士、すっとび小僧はどうした。」
「えっ。儂は小僧には会っておらんぞ。」
「博士の所に戻る様にと言ったのだが。まあ、あの小僧の事だから、大丈夫だとは思うが。」
そうしている間にも、火事はどんどん大きくなっていった。辺りは次第に火の海と化していく。遠くから聞こえる動物達の鳴き声、人々の声、そして、消防隊の電気半鐘の音。
「このままではこちらの身も危ない。ここはひとまず、退散するとしよう。」
隊長の声に、三人はその場より離れて行った。
さて、こちらは、すっとび小僧。隊長に、「戻れ」と、言われはしたが、これからどうなる事かと、気が気では無く、戻る振りをして、近くの荷物の影へと身を隠し、クル・カルの天幕をじっと、見守っていた。何処かで、「火事だ。」との声が起こり、事実、隣の天幕から、煙が噴き出し、ちょっと先の材木が燃え初めても、小僧はそこから、動こうとはしなかった。
「こんな、面白い活劇を見逃してたまるもんかい。」
しばらくして、痩身の西洋人らしき紳士が、クル・カルの天幕に近付くのが見えた。紳士はコウネル伯爵であった。伯爵は、手に力線ピストルを取ると、天幕の中に力線を撃ち込み、さっと逃げ出した。
「あっ。あいつは、悪者の一味に違いないぞ。一つ、正体をみてやろう。」
小僧は、荷物の陰から飛出すと、伯爵の後を追った。こういう事なら、小僧は大の得意である。幸い、行き交う人々のお陰で、後を付けている事は相手に判りそうも無かった。紳士は、曲馬団の通用口から抜け出すと、少し、離れた路地へと入っていった。小僧は傍らの防火用水の影に身を潜めた。そこには、黒塗りの大きな、高級浮遊車が停まっていた。紳士が近付いていくと、運転手の火星人が扉を開け、紳士を中に入れようとした。すると、そこへ、何者かが走ってきた。
「おおい、待ってくれい。」
声と共に、そこへやって来たのは、曲馬団のタ・マジャク団長であった。山高帽も、燕尾服も、ぼろぼろで、真っ黒な顔をしている。
「なんだ、貴様か。」
紳士は冷たく言い放った。
「なんだとは酷いじゃあ無いですか、伯爵。あんたの騒ぎのお陰で、一座はめちゃくちゃだ。あたしゃ、命からがら逃げてきたんですぜ。」
「それは、貴様のやり方が悪いのだ。誰が、あんな派手な手を使えと言った。」
「しかし、あの若造が、あんなに強い奴だとは、伯爵、一言だって、言わなかったじやあ有りませんか。一体、あの若造、何者です。」
「ええい。愚図々々言わずに、早く車に乗れ。こんな所を人に見られたら、それこそ大変だ。」
伯爵は、タ・マジャクを、無理矢理に車の中に押し込んだ。
そのやり取りをすっかりと見ていたすっとび小僧は、一刻も早く隊長に知らせようと、隠れ場所を飛出した。が、余りに急いだので、小僧は足元の小石に気がつかず、足を取られて、その場にすっ転んでしまった。
「誰だ!捕まえろ。」
その気配に気付いた伯爵が叫ぶ。途端に、運転手の火星人が飛出して、再び駆け出そうとしたすっとび小僧めがけて、捕縛力線ピストルを発射した。目に見えぬ力線の縄が、小僧の体にまとわり付き、小僧は身動きが取れなくなって、その場へと倒れ込んだ。
「ほう、こいつはさっき、奴等と一緒にいた小僧だな。」
引っ立てられてきた小僧を見て、伯爵が言った。タ・マジャクも、小僧の姿を見て、驚いた。
「やや、こいつぁ、すっとび小僧じゃあないか。こいつは、この辺の悪餓鬼で、あたしも、酷い目にあったんでさぁ。ここで会ったが百年目。こいつの始末は、一つ、あたしに任せておくんなさい。」
タ・マジャクは、残忍な目で小僧を睨みつけた。
「待て。その小僧、少しは役にたつかもしれぬ。」
「いや、しかし、伯爵。」
「ほう、タ・マジャク。余の命令が聞けんというのか。」
伯爵の言葉の奥に隠された凄みに、タ・マジャクは震え上がった。
「そ、そんな、滅相も無い。」
「よろしい。行くぞ。早くしろ。」
黒い浮遊車は、伯爵と、タ・マジャク、小僧を乗せると、猛速度で、走り去って行った。