江戸門 晴美 著
昭和一八年一二月三日
帝国科学振興舎 発行
平成二年八月 南 要復刻
連載第三回
コウネル伯の屋敷を探るべく、隊長と別れた燕は、屋敷の側にやってくると、手頃な木の上へと登り、夜になるのを待った。その間に、コウネル伯は、黒塗りの浮遊車に乗って、何処かへと出掛けていった。燕は、日が暮れるまでに、屋敷の自動不寝番や力線放射器の位置を、しっかと頭の中へ叩き込んだ。
やがて、夜になると、燕は活動を開始した。空には三日月。どちらかと言えば、新月に近い。
「こりゃ、忍び込むにはもってこいの御月和だ。」
自動不寝番の出す目に見えぬ探知力線を見る事の出来る、偏光硝子製の暗視眼鏡を掛け、力線網を掻い潜り、大跳躍で鉄柵を飛び越える。身の軽い合成人間で、甲賀流忍術を会得している燕ならではの芸当だ。まるで、舞い踊るかの様に仕掛けられたあらゆる機械の目や、耳を欺き、一気に屋敷の前庭を突っ切った。
「なんだ、ありゃ。」
燕の目は、庭のあちらこちらに蠢く不思議な影を捉えた。それは、ぶよぶよとした寒天状の生物、そう、あの狩人アミイバアだ。そいつらが、庭中に放し飼いにされているのだ。しかし、燕の素早い動きは探知出来ないらしく、それらは、只、燕の側を這い回るのみであった。それでも燕にとっては、余り気持ちの良い光景ではなかった。
「ふう、ぞっとしねぇな。こりゃ、御素人衆じゃ、とても忍び込めねえぜ。」
屋敷の壁際までたどり着いた燕は、今度は壁石の僅かなすき間に手掛り、足掛りを求め、壁を登り始めた。
「御嬢様とやらは何処かいな。」
屋敷の高みの一室で、その少女は寂しげに、窓の外の三日月を見つめていた。年の頃なら、十六、七。長い黒髪に細面の顔立ち、何処かの深窓の令嬢といった風だ。
「嗚呼、お父様。今、お父様はどうしていらっしゃるのかしら。」
少女は、呟いた。と、扉を叩く音がした。
「何方。鍵は掛かっておりませぬわ。」
扉が開くと、入ってきたのは、昼間、隊長に手紙を託した、金星人の女中であった。
「まあ、キ・ロロウ、貴方だったの。」
キ・ロロウと呼ばれた女中は、少女の側へとやって来た。
「御嬢様、又、月を見ていらっしゃいましたの。」
「ええ。御月様に、お父様の御無事を御祈りしてましたのよ...。嗚呼、お父様。」
少女は、再び月の方へと振り返った。少女の目には、涙が光っていた。
「なんて、可愛相な御嬢様。でも、泣いてばかり居てはいけません事よ。御気を強くお持ちに成りませんと、御身体にも障ります。」
キ・ロロウは、少女を優しく慰めた。
「それに、今日、私、大変な御方とお会いしましたのよ。」
少女は顔を挙げ、キ・ロロウの顔を見た。彼女は、この少しばかり年上の金星人の女中を、姉の如くに慕っていた。
「大変な御方。一体、誰なの。」
「ふふ。さあ。」
「まあ、キ・ロロウったら意地悪ねぇ。そんな事を言わずに教えてちょうだいな。」
キ・ロロウは、少女が、少し元気になってきたのを見て、ほっとした。
「今日、私がお会いしたのは、神風隊長さん。」
「ええ!神風隊長さんって、あの神風隊長さんですの。」
少女の顔が、ぱっと明るくなった。神風隊長の事は少女もよく聞いていた。
「ええ。今日、何かの御用で、伯爵に会いに見えられたのよ。そして、私、その時に。」
キ・ロロウは昼間の一件を少女を話した。
「嗚呼、キ・ロロウ。打たれて、さぞや痛かった事でしょう。この私なぞの為に、貴方に、そんな苦労を掛けてしまうなんて。私、なんて言ったらいいか。」
「いいえ。御嬢様、あの伯爵の悪巧みを世間に知らせ、御嬢様を自由の身にする為ならば、何の苦労が有りましょう。」
キ・ロロウは、そっと少女の手を取って、微笑んだ。
「よっ、泣けるねぇ。美しい主従愛。これで、泣けねぇ奴ぁ、人間じゃねえ。」
不意の男の声に、二人はぎょっとした。二人が声の方を振り返ると、窓の縁に、月の光りを背に受けて、一人の男が立っていた。ここは地上より遥かな高み。並みの人間の来れる所では無い。少女は声も出せず、がたがたと震えるのみ。キ・ロロウは、健気にも、少女の前に立ち、男を見据えたが、やはり、その肩は小刻みに震えていた。
「な、何者。御嬢様には、指一本触れさせませんよ。」
「ちょいと、脅かしちまったかな。大丈夫、怪しい者じゃ有りませんぜ。」
男はずけずけと、部屋の中へと入ってきた。その姿を見たキ・ロロウは、思わず叫んだ。 「あ、貴方は。昼間、隊長さんと一緒に見えた。」
人間離れした不敵な面構え、全く毛髪の無い頭。男は燕であった。
「しい。声が高ぇ...。おうよ。太陽系にその名も高き、神風隊長の一の子分、燕様たぁ、俺等のこったい。」
二人は、ほっと息をなで下ろした。
「ところで、キ・ロロウさんとか言ったなぁ。あんたが手紙に書いていた、御嬢様ってぇなぁ、そこに居る娘さんの事かい。」
キ・ロロウは無言で頷いた。
「ふうん。するってぇと、その娘さんは、一体ぇ全体ぇ、何処のどいつの御嬢様なんだい。」
「この方は、帝大の元教授で、遊星考古学の権威、関清隆博士の御令嬢、良子様で御座います。」
「せ、関博士?!関博士って言やあ、伯爵と共に火星へ行って遭難した?」
「いいえ!父は生きて居ります。」
今まで、黙っていた良子嬢が強く言った。その言葉の強さに、燕はちょっと驚いた。
「父は生きて居るのです。伯爵に、火星に捕らえられて居り、そこで、父は何か恐ろしい研究をさせられているのです。伯爵は、私の事を人質に取って、父が裏切らない様にしているのです。」
「伯爵は卑劣極まり無い男です。私は、前の御主人、エドワルド・コウネル伯に御仕えしていたのですが、伯爵は、エドワルド様が、御人が良いのに付け込んで、その財産を奪い、あげくの果てに、エドワルド様に毒を盛って殺してしまったのです。」
気丈夫なキ・ロロウさえも、涙を浮かべて訴えた。やっと、救いの主が現れた事で、張り詰めていた神経の糸がほぐれたらしい。燕も、思わず、貰い泣きしそうになりながら言った。
「うんうん。御嬢さん方も、苦労したんだねぇ。でも、もう、でぇ丈夫だ。神風隊が一枚噛んだからにゃあ、大船にのったつもりでいりゃあいいぜ。俺達が悪漢共を、一人残らずぎたぎたにしてやっからよ。」
その時、浮遊車の音が下から聞こえてきた。どうやら伯爵が帰ってきたらしい。
「おっと、悪の親玉のお出ましだぞ。よし、ちょっと、探りをいれてくるか。待ってなよ、御嬢さん方。」
燕はそう言い残すと、窓からさっと出ていった。
コウネル伯は、タ・マジャク団長と共に、屋敷の中へと入ってきた。コウネル伯は、手を打って、グ・デデウを呼ぶと、言った。
「者共を集めろ。『魔王』号の用意を。火星にむかって出発する。」
グ・デデウは、驚いて聞き返した。
「火星にで御座いますか。これは又、急な。」
「出来るだけ急げ。この屋敷を引き払うのだ。」
グ・デデウは、はっと一礼すると、足早に奥へと退った。コウネル伯は、タ・マジャクを連れて、私室へと向かった。
「一体、どういう事なんですかい、伯爵。火星へなんて、そんな、唐突に。」
廊下を歩きながら、タ・マジャクが聞いた。
「別に来たくなければいいのだぞ。但し、あれだけの騒ぎを起こしたのだ。このままではおまえは、『奪衣婆』(冥王星の衛星の一つ)の監獄で終身刑だぞ。それに、おまえは、ちと、色々な事を知り過ぎて居る。残られると余の立場も危うい。つまりだ。」
伯爵は、立ち止まってタ・マジャクを見ると、冷たい笑いを浮かべながら、懐から力線ピストルを取り出した。タ・マジャクは、それを見て震え上がった。
「御、御冗談を。あたしゃあ、金鉱捜しに失敗して、小遊星帯をさまよっている所を貴方様に拾われてからというものの、只の一度だって、逆らった事なぞ無い男ですぜ。」
「ふっ。判ればよろしい。」
伯爵は力線ピストルを仕舞うと、再び歩きだした。タ・マジャクは、その後を、すごすごと付いて行った。
二人が通り過ぎたあと、廊下の壁がぺらりと捲れ上がり、その中から、燕が姿を現わした。周りの色に反応して、自由に色を変える事の出来る特殊な布、『七節布』を使って、身を潜め、伯爵の行動を見張って居たのだ。
「野郎、あの『魔王』号とか言うロケット艇で、とんずらするつもりでやがるな。そうは問屋が卸すもんかい。先回りして、あのポンコツロケットを、叩っ壊してくれるぞ。」 燕は、『七節布』を小さく畳んで仕舞うと、さっと姿を消した。
屋敷の外の、ロケット艇の離着陸場に向かって疾走していた燕は、人の気配にその足を停めた。見れば、何人かの男達が、良子、キ・ロロウ、そして、新しく虜となったすっとび小僧をひったてて、こちらにやって来る所であった。男達は、火星人と地球人で、どいつもこいつも一癖ありそうな輩だ。そいつ等が、手に手に力線ピストルや小銃を持ち、婦人達と小僧を促していた。小僧だけは、随分と手を焼かせたらしく、荒縄でぐるぐると縛り挙げられていた。
「さあ、とっとと歩くのだ。」
わざとのらりくらり歩いている小僧を、髭ぼうぼうの地球人が、小銃の先で小突いた。小僧は男を睨みつけると、男に怒鳴りつけた。縛られて自由を奪われていても、どうして、口だけは威勢がいい。
「うるせいやい。この、おたんこなすのすっとこどっこい。誰がおまえ等みてぇな悪漢の言う事なんぞ、聞くものか。」
男は、かっとして、銃を構えると凄んだ。
「小僧、静かにしねぇと、ぶち殺すぞ。」
ところが小僧は、ちっとも怯みはしない。
「やれるもんなら、やってみな。撃って赤い血がでなけりゃ、銭はいらねぇ西瓜野郎ってんだ。さあ、撃って貰おうじゃねぇか。こちとら江戸っ子でぃ。」
「こ、この餓鬼が!」
頭に血が昇った男は、小銃を振り上げると、その台尻で、小僧を打ちのめそうとした。それを見て、キ・ロロウが叫ぶ。
「御止めなさい。この卑怯者。こんな小さな子をぶって、何が面白いの。」
その言葉を聞いて、男は銃を振り降ろすのを止め、キ・ロロウの方へと振り返り、嫌らしい目でキ・ロロウをねめまわし、にたりと笑った。
「へへ。威勢のいい御婦人だ。」
「やめて、キ・ロロウに手をださないで。」
良子は叫ぶと、キ・ロロウの方へ駆け寄ろうとした。傍らの火星人が、飛出そうとする良子の腕を、がちっと掴んで言った。
「この御嬢さんも、なかなかの美人だぜ。」
「嗚呼、お嬢様。」
「御姉ぇちゃん達をいじめるな。」
悪漢共に囲まれた、二人の婦人と小僧の姿を見て、燕が黙っていられる訳は無い。いや、大和魂を持つ者ならば、誰もがそうで有ろう。燕は、さっとばかりに、悪漢達の前へと踊り出た。
「おうおう。この悪漢共、その手を離しやがれ!言う事聞かねぇんなら容赦はしねぇ。素っ首、揃えて討ち取ってくれるぞ。」
「どこの馬の骨かしらねぇが、やっちまえ!」
男達は燕の正体を知らない。相手は一人だとばかり、舐め切って素手で踊りかかった。燕の動きはその名の如く、飛燕の様である。油断しきっていた男共は、燕に指を触れる間もなく、次々と地面へと叩き伏せられていった。最後の一人をあっさりと叩きのめすと、燕は、小僧達の方にやってきた。
「この燕様にかかりゃあ、ざっとこんなもんよ。怪我はなかったかい?御嬢さん方。」
「嗚呼、燕さん。危ない所を有り難うございます。」
小僧の縄を解きながら、燕は答えた。
「なあに、こんな位は朝飯前よ。安心しな。隊長には、もう、一報入れてある。すぐに、巡査隊を引き連れた隊長達がやってきて、あの糞伯爵と、一味を、一網打尽て言う寸法よ。」
「ファッハハハハ。燕君。それはどうかな。」
突如の声に驚いた燕が、顔を挙げると、そこには、グ・デデウ、タ・マジャク団長、サンマルチノを引き連れた、コウネル伯爵の姿があった。その腕には、何か異様な物を持っている。燕は、それを見てぎょっとした。白銀色の不可思議な顔をした鉄仮面だ。燕は、それが話に聞いた、スル・スレセヨの仮面に違い無いと思った。
「出たな、悪党の親玉めが。火星鉄仮面ってぇのは、やっぱり手前ぇか。もう、手前ぇも年貢の収め時だ。大人しく、観念しやがれ。」
伯爵は、落ち着き払い、燕に向かって言った。
「ファッハハハハ。是は又、随分と威勢の良い。だがね、燕君。君の考えている様に、上手くゆくかな。例え、神風隊長が御出ましになったとしてもね。」
「神風隊長!伯爵の相手ってのは、神風隊長だったんですかい。」
タ・マジャク団長が、神風隊長の名を聞いて震え上がった。
「フフフ。タ・マジャクよ。恐れる事は無い。我にこの仮面のある限り、神風隊とて、何ができようぞ。」
「なにを。手前ぇなんざあ、隊長の手を煩わすまでもねぇ。この燕様がふん捕まえてくれるぞ。その高慢ちきな鼻ぁへし折ってやるから、見てやがれ。」
燕は、両の手で印を結ぶと、口の中で、えいと気合いを入れた。すると何とした事であろうか。燕の影からもう一人の燕が現れたではないか。更にその影からもう一人、又々その影から一人と、燕の姿は幾人もにも増えていく。
「ひ、ひゃあ。あいつは化け物だあ。」
その奇っ怪な光景をみて、タ・マジャクが叫ぶ。今や十人程になった燕は、口を揃えて言った。
「見たか。甲賀忍法、影分身。それ、行くぞ。」
十人の燕は、伯爵達の周りをぐるりと取り囲んだ。
「さあ、糞伯爵、降参するなら、今のうちだぞ。」
燕は別に魔術や幻術を使っている訳では無い。読者諸君は、残像現象という物を御存知であろうか。物を見たあと、暫くはその物の像は目から消えない。例えば、一本の指を素早く動かして見給え。指が二本有る様に見えるだろう。燕の分身の術は、この原理を応用しているのだ。つまり、燕が猛烈な速さで動き回っているので、端から見ると、まるで、大勢の燕が居る様に見えるのである。
タ・マジャク団長、サン・マルチノは、力線ピストルを構えてはみたが、どれが本物の燕か判かり兼ね、只、うろたえているばかり。しかし、伯爵は、燕の秘術を目の当たりにしても、口元に薄笑いを浮かべ、一向に怯んだ様子を見せなかった。
「ほほう。仲々どうして、見事な芸当だ。だが、余には、そんな目眩ましは、何の役にも立たんぞ。」
そう言うと、伯爵は、手に持っていた鉄仮面をすっぽりと頭に被った。
「へへ。そんな、虚威しがなんだってんだ。」
燕は、愈々敵に突進せんと身構えた。残りの燕も同時に身構える。が、其の瞬間、燕は、不意に頭の中に何かが侵入したのを感じた。その何かは、燕の人造脳の中で、こう叫んだ。
『動キヲ停メヨ。』
頭の中の命令に、一瞬、燕の体はその動きを停めようとした。
「野郎、催眠術を使いやがるな。」
燕はそう考えたが、それは、催眠術等という生易しい物では無かった。頭の中に、全く別人の意識が入り込んだのだ。その邪悪な感覚に燕は戦慄を覚えた。伯爵は、鉄仮面の力により、自分の意志を直接、燕の脳へと送り込み、燕の精神を支配せんとしているのだ。燕の脳の中に居座った伯爵の意識は、彼の頭の中を稲妻の如く走り回り、彼の意識に直接に揺さぶりを掛け始めた。
『動キヲ停メヨ。我ニ従エ。』
燕の分身の姿が何やらぼやけて来る。心の中の葛藤で、燕の動きが少し鈍り始めたのだ。燕はどうにか心を集中して、攻めよせてくる伯爵の意識に反撃を試みた。が、邪悪な意志は、海綿に水が滲み込むが如く、燕の意識の隙間から、その触手を心の奥にまでねじ込み、徐々に燕の心を征服していく。
はっと燕が我に返った時は、もう、遅かった。彼の分身は残らず消滅しており、彼は、敵の目の前に無防備に立ち尽くしていた。燕の目に、力線ピストルを構えた、タ・マジャク団長とサンマルチノの姿が映った。と、見る間に、二丁の力線ピストルは火を吹き、その破壊力線が燕を襲った。
「はぁっ!」
燕は反射的に空へと飛んだ。力線がそれを追い掛ける。如何に素早い燕でも、流石に力線には叶わなかったか、上空の影は二本の力線に捕らえられたかと思うと、全身を炎に包まれて地面へと落下した。
「嗚呼!燕さん。」
「燕のおいちゃん!」
絶叫する両婦人と小僧。頼りの神風隊が、目の前で悪漢の手によって敗れ去ったのだ。それを尻目に、伯爵は高らかに笑った。
「ファッハハハ。見たか。天下の神風隊と雖も、余の手に掛かればこれ、この通りだ」
その笑いが終わると時を同じくして、彼方から、一機のロケット艇がこちらに近付いて来るのが見えた。涙の雫を引き延ばした様な滑らかな形。これぞ、太陽系にその名も高き、神風隊の愛機、旭光艇であった。
「やや、やって来おったな。さあ、者共、急ぐぞ。」
悪党達は、両婦人と小僧を連れて、ロケット艇の離着陸場へと急いだ。
旭光艇は、船底噴射管を轟かし、丘の麓へと着陸した。着陸したと同時に、降りてきたのは神風隊長以下、神風隊の面々だ。隊長が後ろを振り返ると、彼方の道を遊星巡査局の浮遊車が連なってやって来るのが見えた。
「おお、やって来た、やって来た。絶景かな、絶景かな。」
多力王が、手をかざしてその様子を眺めながら言った。浮遊車は、続々とこちらに向かって来る。
「よし。一足速く討ち入るぞ。皆、用心しろ。」
隊長は、超電ピストルを抜き、備前長船を腰に差すと、先頭に立って走りだした。その後に続きながら、心配そうに多力王が言った。
「燕は大丈夫ですかね。」
普段は、顔を合わせれば喧嘩しているのに、いざとなるとお互い、心配で仕様が無いのである。隊長が、からかう様に言った。
「ほう、そんなに奴の事が心配なのかい。」
「いや、その、あやつは、どじを踏むのが商売みたいな奴ですからね。某の活躍の場まで、邪魔をしかねんから。」
照れ隠しの多力王の言葉を聞きながら、隊長の笑顔は、ふと、真剣な表情へと戻った。
「無事でいてくれるとは思うが。」
隊長達が、丘を登る階段を中途まで来た時、行く手にロケットの音が響き、屋敷の裏手より、一隻のロケット艇が舞い上がった。
「おお、『魔王』号だ。」
『魔王』号は、中天を目指し、ぐんぐんと上昇していった。
それを見て、隊長の胸をふと不安がよぎった。燕の身に何か起こったのではなかろうか。隊長は足を速めた。多力王と佐衛門も、同じ思いの様だ。
と、突然、丘を揺るがす大音響が轟いた。見よ、目指す洋館が巨大な火柱に包まれ、木っ端微塵に吹き飛んだではないか。炎と突風が逆巻き、大地が震える。隊長達は、さっとその場に身を伏せた。悪党共が、証拠を隠さんとして屋敷に爆薬を仕掛けたのだ。
「燕!燕!」
爆発が収まるや否や多力王が駆け出した。隊長と、佐衛門も、すぐに続く。
屋敷は、最早、跡形も無くなっていた。多力王は、所々燻ぶっている瓦礫の山を、辺り構わずひっくり返しながら、懸命に燕の名を呼んだ。隊長と佐衛門博士も、必死に辺りを探し回った。
「こ、これは。」
やがて、多力王が、瓦礫の中から、ずたぼろになった、黒焦げの黒装束を見付けて引っ張りだした。三人は、その衣装を無言で見つめた。
「どうやら、燕の物の様じゃのう。」
佐衛門博士が、重い口を開いた。誰も認めたくは無かったが、認めざる負えない事実であった。
「お、おのれ、リヒャルト・コウネル!この世の果てまで追い掛けても、必ずこの手で、仇をとってやるぞ。」
隊長が、普段では見せない程激昂した。佐衛門博士は、黙って、空を見上げてた。多力王は、全身の力が抜けた様に地面に跪くと、寂しげに言った。
「燕よ。御主がやられてしまうとはのう。某は、今日程、涙が出ない体が不自由だと思った日はないぞ。」
多力王の声は震えていた。彼の無敵金属の体も、震えている。
「御主とは、会えば、喧嘩ばかりしておったが、某は何故、御主に悪口雑言ばかり言ったのだろう。嗚呼、今となっては、既に遅かりし。」
「なあに、まだ、間に合うぜ。」
どこからともなく、誰かの声がした。が、多力王は全く気付かない。
「間に合うものか。燕は、既に逝ってしまったのだ。」
「でけぇ図体の割りには、女々しい奴だな。」
「なにを言うか。燕は、某の大事な友柄だぞ。」
「おうおう、こちとら、手前ぇが、そんなに大事な御友達なんぞと思っちゃいねえぜ。このトタン細工。」
けたたましい怒声と共に、多力王の目の前の瓦礫の山がグラリと揺れたかと思うと、その下から、一人の男が現れた。
「つ、燕!」
多力王は絶句した。男は誰あろう、燕、その人であった。燕は、丸裸で、体に付いた土埃をはたきながら、言った。
「なんでぇ、多力王。そのしけた面ぁ。大体、俺が、そう簡単にやられる訳ゃぁ無ぇだろうが。ちょいと、やばかったのは事実だけどよ。甲賀流秘伝、変わり身の術って奴で、どうにか助かったって訳よ。」
「き、貴様ぁ!何故、無事なら無事で、とっとと出てこなかったのだ。」
あっけに取られていた多力王が、漸く、叫んだ。
「俺等だって、すぐに出てくつもりだったのよ。それをてめぇが、あんまり臭ぇ台詞吐きゃあがるからよ、こちとら、こっ恥ずかしくって出るに出られねえじゃあねえか。」
「ふ、ふん。某だとて、隊長や、佐衛門博士の手前、悲しい振りをしたまでだ。御主なんぞ、死のうが、何しようが、別にどうって事も無いわい。」
「言いやがったな。俺等だってな...。」
二人のやり取りを見ていた隊長は、肩を竦め、佐衛門博士と顔を見合わせた。その顔には、安堵の表情が浮かんでいる。
「仕方の無い連中だ。が、いつまでも、喧嘩させておく訳にも行くまい。」
佐衛門博士も、笑いながら頷いた。
「そうですのう。続きは、事件が解決してからにしてもらわんと。勝負は、まだ、始まったばかりじゃからの。」
二人は、多力王と、燕の間に入っていった。
月。そこに、我等が、神風隊の基地が有るのは、太陽系の人々の中では、公然の秘密となっていた。月の南半球にある新昭和クレイタアこそがその場所だ。ここは、日本人として、いや、地球人として、初めて月世界に降り立った、中村重太郎少佐の着陸地点としても名高い。神風隊の基地は、そのクレイタアの底に有った。天井を、堅牢硝子で造られた、その基地は、神風隊の根拠地であり、多力王、燕、そして、神風隊長こと、桜木日出雄青年にとっては、生まれ育った故郷でもあった。
無念にもコウネル伯爵一味に逃げられてしまった神風隊は、唯一の手掛かりである『火星の雫』を調べるべく、この基地に戻って来ていた。基地の中には、敷島機関を利用した、無限力動力炉を始め、大型万能記憶装置『文殊』や、各種の工作機械、観測装置が備え付けられ、あらゆる遊星の資料や標本が用意されており、その設備は、太陽系でも最高峰の物であった。
「よし、博士。もう少し、出力を上げて見てくれ給え。」
研究室の中央の実験台の上に固定された、『火星の雫』に、隊長は、今、透視力線を浴びせ、特殊拡大鏡でその様子を観察していた。
「若。何ぞ、見えましたかな。」
「ううむ。駄目だ。何も変わった所は見付からぬぞ。」
火星古代科学の秘法、『火星大王』の秘密を隠したと言われる紅玉、『火星の雫』。神風隊長達は、その隠された秘密を解読しようと、この一両日、ずっと色々な実験を繰り返していたのだ。
「隊長、首尾は如何ですか。」
多力王が茶を載せた盆を持ち、研究室に入って来た。が、彼は、隊長の憔悴した顔をみて、その返事を悟った。
「まだ駄目なのですか。」
隊長は、ふうっと一息付いて言った。
「うむ。この中に何か伝言が隠されていると睨んでいるんだが、その引き出し方が、まるで判らぬのだ。電気、薬品、各種力線、音波、電波、等など試してはみたのだが。」
「まあ、隊長、ここらで一服入れたらどうです。丁度、宇治のいいのが手に入ったんですよ。」
多力王は、机の上に茶碗を置いた。
「おお、有り難い。御前の入れてくれる茶はうまいからな。」
隊長は茶碗に手を伸ばし、一口啜った。
「隊長。火星大王というのは、一体、どのような物なのでしょうね。」
多力王が傍らの椅子に腰かけながら言った。
「まるで判らぬ。兎に角、数千の木星戦艦隊を一瞬にして壊滅させたと言うのだから、余程、凄まじい物だったのだろう。」
「そんな物が本当に有ったんでしょうかねぇ。」
「ふむ。その実在を唱えたのが、ほれ、例の関博士じゃ。もっとも、余りに突飛だと言う事で、博士は学会を追われてしまったのじゃがね。」
佐衛門博士が茶を啜りながら答えた。
「関博士の説によれば、戦場は、火星と木星の間にある小遊星帯付近だと言うのじゃ。小遊星帯の小遊星に、かなり多くの木星の地質と同一の小遊星が有るんじゃが、関博士は、それが、木星艦隊が、補給用に持ってきた、木星の衛星群のかけらだというんじゃよ。確かに小遊星帯からは、当時の物と見られる遺物が、かなり発見されてはおるがのう。」
「そいつは、余りにも、突飛すぎやしませんか。」
そこへ、今度は燕が入ってきた。手には菓子鉢を持っている。
「おう、多力王。てめぇは気がきかねぇなぁ。御茶菓子の一つももってこねえでよ。ねえ、隊長。こんな、気のきかねぇ野郎の茶なんか、うまかぁねえでしょ。口直しに、煎餅でも一つどうですかい。」
「おい、燕。聞き捨てならんぞ。某は、これでも心を込めて入れておるのだ。隊長とて、うまいと言ってくれて居るではないか。」
「何を!このスットコドッコイ。褒める所の何も無い手前ぇの事を、無理に褒めようとしてる隊長の優しさがわかんねぇのかね。大体、飲めもしねぇくせに偉そうにぬかすない!茶運び人形。」
「た、隊長!なんとか言ってやってくださいよ。大体、自分だって、飲めるだけで、味なんてわからぬのですぞ。」
多力王が怯んだと見た燕は、更に続けた。
「へん。それに、手前ぇ見てぇなブリキ細工が入れたらよ、どんな宇治の玉露だって泥水と一緒でぃ。やっぱり、茶なんてのは、何処ぞの御姉ぇさんが、どうぞ何て言ってよ、こう、三つ指ついて...。」
そこまで言った時、燕の目の前に、突然、和服姿の妙齢の婦人が現れた。婦人は手に、天目茶碗を持って居り、燕に向かってにこりと微笑んだ。
「な、な、何だぁ。」
燕はあっけに取られたが、やがて、ハタと気が付くと、叫んだ。
「手前ぇ、狸公、出てきやがれぃ。」
その声と共に、婦人の姿はすぅっと消え、傍らの戸棚の影から、小犬程の茶色の生き物がのこのこと姿を現わした。多力王の愛玩している、星狸の疾風丸だ。今の婦人は、燕の心に反応した疾風丸が作り挙げた幻だったのだ。隊長は思わず吹き出した。
「こ、こん畜生。やい、多力王。この罰当たりの狐狸妖怪を何とかしやがれ。大体、こん畜生ときやがったら。」
多力王は燕の言葉が聞こえない振りをしながら、側にやってきた疾風丸を抱き上げた。
「おうおう、怖い小父さんが何か言って居るが、怖がらなくてもいいんだよ。全く、小動物に対しての慈愛もしらぬゴム人形が。おや?」
多力王は、疾風丸の様子が、どうもおかしいのに気がついた。何かを、キョトンと見つめているのだ。多力王がその視線を追うと、どうも、星狸は、実験台の上の火星の雫を見つめているらしい。
「おいおい。あの紅玉が、一体どうしたのだ。」
疾風丸は火星の雫を見つめながら、小さく唸った。何事かと、隊長達が見守る中、実験室の床の上に、何かぼんやりとした影が像を結び始めた。どうもはっきりしないが、何か人影のようだ。
人影は、はっきりと結ぶ事が出来ない様で、もやもやしたまま暫く浮かんでいたが、やがて、何かを喋り始めた。何処の言葉とも判らない不思議な言葉だ。すると、佐衛門博士が何かに気がついたらしく、大声を挙げた。
「燕、録音器だ。早くせい。」
言われた燕は録音器の前に飛びつく。佐衛門博士は、唾を飲んで言った。
「若、これは、古代火星語ですぞ。」
「古代火星語だって。すると、これは。」
佐衛門博士の声に、隊長が驚く。
「さよう。疾風丸の読心力が火星の雫に反応しておるのじゃ。」
一同は、じっと声に聞き入った。やがて、影は見えなくなり、声も聞こえなくなった。一同は、暫く黙ったままであった。
「博士。一体、今の声は、何と言ってたんですかい。あっしにゃあ、ちいっとも判らねぇ」
燕が口を開いた。
「ふむ。とぎれとぎれで、良く判らぬが、『我ハ、火星ノ究学ノ士、スル・スレセヨ。汝ハ何者ナル也。答エヨ。』と、繰り返していた様じゃ。」
「そうか。火星の雫は、伝心波に反応する様になっていたのか。」
隊長が言った。
「隊長。その、伝心波と言うのは、何なんです。」
多力王が聞いた。
「うむ。伝心波というのは、人の念の様な物だ。言葉では無く、自分の心を、そのまま、相手の心の中に伝えると言うのだが。最近、人の精神と言う物も一種の電気作用の様な物だと言う説が唱えられているだろ。言うなれば伝心波というのは、精神の電波と言える物なのだよ。疾風丸にはそれを読む力がある。たまたま、波長が合って像を結んだのであろう。恐らく、火星の雫に正しい波長の伝心波を当ててやれば、その者の頭の中に、自動的に記録が入る仕掛けになっているのだろう。」
「あっ!鉄仮面だ。」
突如、燕がすっとんきょうな声を挙げた。
「あっしが、伯爵に術を破られた時、あっしの心の中に、奴は、何か得体の知れねぇ物を送りこんで来やがったけれど、あれが伝心波だったんですぜ。だから、あの仮面は。」 「火星の雫と話をする為の道具だって事か。」
隊長の言葉に、佐衛門博士が大きく頷いた。
「どんな波長の伝心波も出せる、送受信機といった所じゃろうな。」
佐衛門博士の言葉が終わると同時に、突如、基地全体に警報が響いた。基地の周りに備えてある自動不寝番が、何か、基地に近付く物を捕らえたのだ。多力王が、自動不寝番の反応位置を示すランプを指して言った。
「南からやって来ますぞ。どうやらロケット艇らしいですな。」
その声と共に、燕が、高性能自在望遠鏡に飛びついて南の空を見る。
「やや、確かにロケット艇だ。こっちに向かって飛んで来やがるぞ。」
ややあって、燕が驚きの声を挙げた。
「てぇへんだ。あいつぁ、『魔王』号だ。」
なんと、大胆不敵にも、賊のロケット艇が、神風隊の基地へと接近して来るのだ。隊長の声が飛ぶ。
「高射超電砲、用意。防衛力線、展開。」
「高射砲、準備よし。」
多力王が高射砲の操作装置に付くや、クレイタアの周りの岩山に備えられた、無線操作の超電砲が、その砲身を引き起こした。更に、基地の周りを防衛力線の見えない壁が被った。隊長達は、『魔王』号が超電砲の射程に入ってくるのを、固唾をのんで待ち受けた。
『神風隊に告ぐ。神風隊に告ぐ。』
傍らの無線機から声がした。伯爵の声だ。
「我等は攻撃に来た訳では無い。神風隊長、君と君と話がしたいのだ。」
「けっ。御話合いだってよ。悪党がこきゃあがるぜ。」
燕が吐き捨てる様に言った。
「隊長、構わねぇから、撃ち落としてやりましょうぜ。」
「まあ、待て。話とやらを聞いてやろうじゃないか。」
隊長はそう言うと、通信機に歩み寄り、『魔王』号へと了解の意志を伝えた。
『魔王』号は、基地のすぐ側までやって来ると、上空に停止した。天井の堅牢硝子の大窓からその様子がよく見えた。やがて、『魔王』号から光が放たれると、その光は、巨大な火星鉄仮面の姿となった。立体映画だ。声が無線機から聞こえてくる。
『余の話とは、他でもない。余の持ち物たる紅玉を返して貰いたいのだ。どうだ、素直に余に返してはくれまいか。』
「断る。火星鉄仮面、否、コウネル伯爵。貴様なぞに、渡せるものか。」
神風隊長は強く言った。
『ファッハハハ。そう言うだろうとは思ったよ、神風隊長。だが、それは、余が持ってこそ価値のある物。君はそれをどうするつもりだね。余ならば、その紅玉の真の力を発揮させる事が出来るのだぞ。』
「確かに、今の僕にはその秘密を知る事は出来ぬ。だが、貴様なぞにその秘密を渡したら、太陽系の恐怖の的となるのは目に見えている。貴様の悪巧み等御見通しだぞ。」
『ファッハハハハハ。』
伯爵の笑い声が、大きく響いた。
『悪巧みだと。余は、只、地球人共に虐げられて居る可哀相な火星人を開放して、火星人の国を作ろうとして居るのだぞ。言うなれば、正義は我に有りだ。』
「何が正義なものか。貴様は只、火星人達を扇動して、自分の野望の為に利用しようとしているだけではないか。貴様こそ太陽系の敵ではないか。」
毅然とした神風隊長の態度を見て、伯爵は、不気味な含み笑いをした。
『フフフフ。思った通りの男だな、君は。では、取り引きといこうではないか。』
「取り引きだと、貴様等と、取り引きの余地は無い。」
『だが、これを見ても、そう言って居られるかな。』
鉄仮面の立体像の横に、三つの新たな立体像が浮かんだ。それを見て、神風隊は、あっと驚いた。それは、良子嬢、キ・ロロウ、すっとび小僧の三人の姿であった。
「この三人は、今、余の要塞の中に虜となっているのだ。君が、火星の雫を余に渡さぬのなら、この三人の生命は保証できぬぞ。」
「卑怯者!」
隊長が叫んだ。しかし、後の言葉が続かない。
「ううむ。卑怯千万。男子たる者のする事か。」
多力王が激怒する。その余りの怒り様に、多力王の足元にじゃれ付いていた疾風丸が驚いて飛び退った。
「さあ、どうするね、神風隊長。天下の神風隊長が、か弱い婦女子を見殺しにするつもりかね。」
伯爵は勝ち誇った様に言った。が、隊長は、只、黙って歯を食い縛っているのみであった。佐衛門達は、じっと隊長を見つめた。
『火星の雫』が、悪漢の手に渡るならば、火星大王の秘密が何であれ、太陽系の多くの人々に不幸が訪れる事になろう。結果を考えれば、この悪漢に『火星の雫』を渡す事は、絶対に阻止せねばなるまい。しかし、しかしである。『火星の雫』を渡さねば、虜になっている三人の婦女子の命が無くなってしまうのだ。
「判った。」
隊長が小さく答えた。その体は小刻みに震えている。隊長は、込み上げる怒りを押さえながら言った。
「火星の雫を渡そう。」
『ファッハハハハハハ。流石は神風隊長、物分かりが宜しい。』
「取り引きは、どうすれば良いのだ。」
『そう。取り引き場所は火星の『浮遊城』だ。三日後、そこに、隊長一人で、『火星の雫』を持ってこい。』
『浮遊城』とは、火星にある、数万年前の古代の遺跡の事で、火星七不思議の一つに数えられる、大きな城の事である。
「よし。判った。『浮遊城』だな。人質の命は保証するな。」
『ファッハハハハハ。心配するな。余は、それほど鬼畜ではない。では、待って居るぞ。ファッハハハハハハハハ。』
高らかな笑い声と共に、立体映像が消えた。そして、『魔王』号は堂々と神風隊の基地から離れ、虚空の彼方へと消えていった。
「隊長。あっしぁ悔しい。なんで、あっしら神風隊が、あんな悪党の言いなりにならなきゃならねぇんですかい。」
燕が地団駄踏んで悔しがった。多力王も叫ぶ。
「今に見て居れ、悪党伯爵。今日の屈辱、決して忘れぬぞ。」
隊長は、只、黙っていた。この件に付いて、誰よりも悔しいのは、神風隊長その人に他ならない。佐衛門博士が、そっと、隊長の側へやって来た。それに気付いた隊長は、佐衛門博士を振り返ると決然と言った。
「なあに、負けはしない。正義は必ず勝つのだ。」
続いて、隊長の声が基地内に響いた。
「旭光艇、発進準備急げ。目標、火星の『浮遊城』。」
宇宙の空間を切り裂く様に、旭光艇は、凄まじい速度で火星に向けて飛行を続けた。太陽系最高速を誇る旭光艇ならではの猛進撃だ。搭載された敷島機関は、燃料の無限力素の原子の中に秘められた特別の力を導きだす。石油や電気の動力とは、比するべきもない高出力だ。皇紀二千九百年に敷島博士によって発明された、新元素『無限力素』を使用した原子動力機は、それまで使われていた銅や、ラヂュウムを燃料とした原子動力機を遥かに凌ぐ性能を持っていた。この敷島機関の高性能によって、太陽系共栄圏は、ここ百年の間に飛躍的に発展したのだ。旭光艇に搭載された敷島機関は、従来の物に、隊長と佐衛門博士が手を加えた物で、小型ながら大出力を誇っていた。
旭光艇の行く手に、赤く輝く火星がぐんぐんと迫ってきた。操縦席に座っていた燕は、口ずさんでいた『火星夜曲』を止めて、隣の席にいる多力王に声をかけた。
「そろそろ、火星に到着だ。隊長に声を掛けてくるぜ。」
燕は、席を立つと、操縦席の後方にある船室兼研究室に向かった。そこは、月の秘密基地の研究室の縮小版といった所で、色々な工作機械や、観測機器で埋め尽くされており、簡単な台所や、机、椅子、寝棚といったものが、効率良く配置されていた。折しも、隊長は、佐衛門博士と二人で、何か、機械を作成中であった。
「隊長、火星に着きますぜ。」
「おう。丁度、こいつも仕上がった所だ。」
「なんなんです、そいつぁ。」
隊長の手にある機械は、銅線や、電極らしき物の付いた、小型の鉄兜の様な物であった。
「ああ、こいつか。まあ、火星鉄仮面とやり合う時の、御守りみたいな物さ。」
隊長はにこりと笑うと、操縦室へ入っていった。
「隊長、良い按配に、『浮遊城』は丁度、夜の側にまわってますぞ。」
多力王の声に頷くと、隊長は主操縦席にと着いた。
「よし。降下準備。全員位置に着け。」
隊長を中心に、多力王と燕が両脇の副操縦士席へと着き、佐衛門博士が横にある、観測士席に着いた。速度を落とす為の制動ロケット噴射管が吹かされると、ガクっとした衝撃と共に、旭光艇の速度が鈍り始めた。もう火星は、窓の外を圧する巨大な円盤へとその姿を変えていた。旭光艇は、火星をぐるりと半周し、夜の側に回りこむと、機動用噴射管を細かく吹かし、姿勢を修正しながら、螺旋状に降下を開始した。
火星の二つの月の光を浴び、雲を突っ切って、旭光艇は降下を続ける。目標は、辺りに都市の全く無い砂漠のど真ん中。二つの月も雲に隠れ、回りは一面の闇である。やがて、砂漠の中に、高い尖塔を持つ小山の様な建物の影が認められた。
「隊長、『浮遊城』ですぜ。」
「流石に真夜中だけあって、観光客も居りませぬな。」
旭光艇は『浮遊城』の側の砂丘の影へと着陸した。闇の中、これだけ正確な着陸が出来るのは、太陽系広しと雖も、神風隊長ぐらいのもので有ろう。隊長は、『火星の雫』を、戸棚から取りだすと、合成絹の風呂敷に包み、超電ピストルを点検し、下船の準備をしながら多力王に声を掛けた。
「多力王、ちょっと貸して貰いたい物があるのだが。」
「はあ、構いませんが、一体何を。」
「御前の大事な、疾風丸を貸して欲しいのだ。」
「は、疾風丸ですか。何で又。」
それを聞いた燕が横から口をだす。
「何言ってんですかい、隊長。あんな、薄汚い豆狸なんざぁ、何の役にも立ちゃあしやせんぜ。大体、大悪党と決戦てな時に、寄りによってあの糞狸を連れてくなんざ、正気の沙汰じゃねぇ。」
「何を燕。疾風丸は貴様なんぞより余程賢いわい。しかし、隊長、某も、余り御勧めは出来ぬのですが。」
「何、大丈夫だ。こいつを使う為にも、疾風丸は大事なのだ。」
隊長は、例の小型の鉄兜を取り出した。多力王も、隊長の言う事にはそれ以上逆らえず、研究室の隅にうずくまっていた疾風丸を隊長に渡した。隊長は、小型の鉄兜を疾風丸の頭に被せると、疾風丸に言い聞かせる様に言い、その星狸を下げ袋の中へと入れ、肩へと掛けた。
「おい、疾風丸。頼んだぞ。この勝負は、おまえの働きに掛かっているのだからな。」
「若。その機械は試験もなにもしていない代物じゃ。余り、無理はせぬ様にの。」
佐衛門博士が隊長に声を掛ける。多力王も、燕も、心配そうに隊長を見つめていた。隊長はそれに答える様に、明るく言った。
「なあに、細工は流々、仕上げをごろうじろって奴さ。」
旭光艇の気密扉を開け、隊長は外へと飛び降りた。足元の砂がざっと鳴る。
「では、行って来るとするか。留守を頼んだぞ。」
隊長は、まるで、何処か、近所にでも遊びに行く様な口振りである。
「隊長!やはり、某達も。」
多力王が飛び降りた。燕も後に続こうと身構える。それを見て隊長は厳しく言った。
「待っていろというのが判らんか。奴は、僕、一人で来いと言ったのだ。いいか、これは命令だ。」
その言葉には、多力王も燕も逆らえない。彼等は砂丘を超えて行く隊長を、只、じっと見守るしか無かった。佐衛門博士が二人に向かって、そっと言った。
「儂とて思いは同じじゃよ。しかし、若は行かねばならぬのじゃ。」
やがて、隊長の姿は、砂丘の向こうへと消えていった。
隊長は、行く手にそびえる小山の様な『浮遊城』を見上げた。雲が切れたか、小さな火星の二つの月の弱々しい光の中、『浮遊城』はその姿を浮かびあがらしていた。高くそびゆる幾本もの尖塔は、東京や紐育の摩天楼をも凌ぎ、その大きさは、古今東西の如何なる城郭にもひけを取らない。合成石で作られた高い城壁がぐるりと周りを取り囲み、只、一つの門の両脇には、火星神話の荒ぶる魔人の像が侵入者を睨み付けるが如く立っていた。その壮麗な姿は、とても、数万年前の物とは思えなかった。
しかし、何と言ってもこの城の最たる驚異は、その名の如く、城全体が、地上五尺程の宙に浮かんでいる事で有ろう。この城の中心部には、巨大な重力操作機が据え付けられており、その自動機械は数万年間もの間、休む事なく、この巨大な城を宙に浮かばせ続けているのだ。その動力源については、未だ、はっきりとは判っていない。学者の言うところに寄れば、『浮遊城』は火星の貴族の別荘で、浮遊したまま移動できる、動く城で在ったと言う。火星の貴族達は、気分により、季節によって、城の位置を変え、火星中を遊び歩いていたのだ。彼等は、ここで謡い、酔い、笑い、華やかな宴を繰り広げたであろう。その主人達が、時の彼方に滅び去ってしまった後も、この城は、当時のまま、その場に浮かんでいるのである。昼間は、観光客で賑わうこの場所も、真夜中の今は、人っ子一人居りはしない。それが、一層、主に忘れ去られたこの城の悲哀を感じさせた。
隊長は、魔人像の見下ろす中、城門をくぐり、火星蘭が咲く庭を通り抜けた。すると、背後から隊長に近付く気配がした。隊長が振り向くと、そこに懐中電灯を持った、グ・デデウが立っていた。老火星人は、慇懃に礼をした。
「ようこそおいで下さいました。御主人様が、お待ちかねになって居ります。」
グ・デデウに案内され、隊長は建物の中へと入っていった。建物の中には電気松明が備えられ、辺りをぼぉっと照らしていた。両脇に古代火星の戦士の像が並ぶ、長い廊下を通り、隊長は大広間へと通された。恐らく、昔の貴族達が、宴を開き、舞い踊った所なのであろう。五十畳程の広さの石造りの部屋で、周りの壁には、極彩色の、花鳥風月や、火星の貴婦人を描いた浮き彫りが施してあった。そして、その部屋の奥まった所にある、一段高くなった、主の座に、一人の男が立っていた。火星鉄仮面である。その無表情な仮面は、電気松明の明かりに浮かび上がり、周りの雰囲気も相まって、なんとも、不可思議な光景であった。まるで、数万年の時を越え、古代火星帝国が復活したかの様であった。
「閣下。お客人を連れて参りました。」
グ・デデウは、一礼すると、隊長の側を離れ、消え去った。
「おお。神風隊長。よくぞ来られた。余は嬉しいぞ。」
鉄仮面は両の手を広げると言った。
「御芝居は大概にしたらどうかね。コウネル伯爵。」
隊長は、少し皮肉気味に言った。
「フォッホホホホ。余は、本当の事を言ったまでだよ。君の様な男に巡りあえて、余は本当に嬉しいのだよ。判るかね。」
隊長も、にこりと微笑んで言う。
「それは、何とも光栄な事だ。貴様の様な悪党に会えるとは、僕も非常に嬉しいよ。」
「ところで、隊長。約束の物は持ってきてくれたかな。」
隊長はその言葉を聞くと、合成絹の袋から『火星の雫』を取り出し、鉄仮面に指し示した。
「このとおりだよ、コウネル伯。君のほうこそ、小僧君や、御嬢さん方に危害を加えてはいないだろうね。」
「勿論だとも。余も貴族の一員だ。何もしてはおらぬよ。さあ、それを渡すのだ。」
うそぶく鉄仮面に、隊長が言った。
「ならば、彼等を返して貰おう。火星の雫は、それまで御預けだ。」
「貴君は何か勘違いをしておるようだな。神風隊長。」
鉄仮面は冷たく言った。その言葉には、なんとも言えぬ凄みがあった。
「この取り引きの主導は、あくまで余の手の中にあるのだよ。君が御望みならば、この取り引きは御破産にしてもよいが、そうなると、可哀相なお嬢さん達はどうなるのかな。君にも、想像はできるだろう。」
「とんだ貴族だよ、貴様は。」
隊長は、吐き捨てるように言うと、『火星の雫』を鉄仮面に向けて放った。鉄仮面は『火星の雫』を受け取ると、それを天にかざして言った。
「おお。火星最大の秘宝、火星の雫よ。今こそ、余の掌中に。余は、この日を如何に待ち望んでいたことか。」
「伯爵。火星の雫は、渡したのだ。早く、御嬢さん方を解放し給え。」
神風隊長が語気を強めて言ったのを聞くと、鉄仮面は大きく笑った。
「ファッハハハハハハ。さすがは隊長。自分の事よりも、人質の事の方が心配らしい。噂にたがわぬ男よのう。」
鉄仮面がさっと片手を挙げて合図を送ると、柱や調度品の影から、三人の男が飛出した。一人は隻眼の火星人、残る二人は西洋人だ。男達は手に力線ピストルを構えていた。隊長は、男達をぐるりと見回すと言った。
「ほう。これは大層な歓迎振りだな。仲々、好男子揃いではないか。」
隊長の口調はあくまでも柔らかで、顔には笑みが浮かんでいたが、その手は、いつでも超電ピストルが抜ける様に、腰の近くに持っていかれていた。それを見て、鉄仮面が笑う。
「ファッハハハハ。君と面と向かって銃の撃ちあいをしようとは、思っておらんよ。何しろ、貴君の射撃の腕は太陽系随一だからねぇ。」
「それはどうも。御褒めに預かって恐縮ですな。僕としても、そうして頂けると有り難い。」
隊長はそう言いながらも、超電ピストルの把手に手を掛けた。何かあれば、すぐにでも射撃出来る態勢である。
「そう。まともな撃ちあいでは、君に敵う訳はない。まともな撃ちあいではね。」
そう、鉄仮面が言い終わるや否や、隊長の頭の中に、稲妻の様な衝撃が走った。伝心波だ。そう悟った隊長は、必死で邪悪な意志を振り払うと、持っていた袋の中に手を突っ込み、疾風丸の頭に付いた例の機械の機動釦を押した。
第一撃の伝心波が功をなさなかったのを見た鉄仮面は、すぐさま第二撃目の伝心波を放った。
『動クノヲ止メヨ。我ニ従エ。』
第二撃を受けた隊長の動きがぴたりと停まった。隊長は目を見開いたまま、その場に立ち尽くした。腰の超電ピストルに伸びた腕も、超電ピストルを半分抜きかかったまま、止まっている。その様子を見て、鉄仮面は高らかに笑った。
「見ろや、天下に名高き神風隊長も、余の伝心波には叶いはせぬのだ。こうなっては、神風隊長と雖も赤子の手を捻る様なものだ。」
全く動かなくなった隊長の姿を見て、鉄仮面の手下共も安心した様で、構えた力線ピストルを降ろすと、隊長の回りに集まってきた。
「全く、鉄仮面様の術はすげぇや。こいつが、俺達悪党の仇敵、神風隊長ですかい。」
「そうだ。さあ、貴様達。今のうちに、この男の体を力線で焼き尽くしてしまえ。そして、その後は、表にいるこの男の一党を、残らず討ち取ってくれるのだ。」
鉄仮面の命令に、手下達は、隊長の体から少し離れると、力線ピストルを構え、隊長に狙いを定めた。
嗚呼、神風隊長も、遂にその最期を迎えるのか。だが、見よ。手下達が力線ピストルの引き金を絞ろうとした、まさにその時。それまで微動だにしなかった隊長の体が、目にも停まらぬ速さで動きだすと、隊長は鉄仮面の手下よりも一瞬速く超電ピストルを引き抜き、続け様に悪漢の手下共めがけて撃ち放った。油断仕切っていた手下共は、あっと驚く間も無いほどに、その正確無比な射撃によって石の床にと撃ち倒された。
隊長は手下共を撃ち倒すと、くるりと向き直り、超電ピストルの銃口を鉄仮面に突き付けた。
「ハッハッハッ。御自慢の伝心波も、ちょっとばかり役に立たなかった様だな。なあに、超電ピストルの威力は弱めてある。貴様の手下共は、少しばかり気を失っただけだよ。言わば、峰打ちといった所だ。」
銃口を突き付けられた鉄仮面は、動揺して言った。
「な、何故だ。余の伝心波が通用しなかったとは。」
隊長はにやりと笑うと、肩に掛かった袋の中の口を開いた。すると、その口から、例の機械を頭に付けた疾風丸が、クウンと鳴きながら顔を出した。それを見た鉄仮面が、思わず叫んだ。
「そうか。貴様、星狸の力を利用したのか。」
「その通り。この星狸という奴は伝心波を感じる事ができるのだ。そこで、僕は、貴様の伝心波をこの疾風丸に感じさせ、同じ波長の伝心波を放射する様な仕掛けを作った訳だ。言わば、妨害電波発信機と言った所かな。」
「ううむ。何と言う奴だ。やはり、貴様は我が不倶戴天の敵の様だな。」
「さあ、コウネル伯。科学の時間はそれまでだ。とっととそんな鉄仮面は脱いで、降参し給え。抵抗せねば、命まで取ろうとは言わぬ。」
真剣な顔に戻った隊長が言った。だが、鉄仮面は不気味に笑った。
「フフフフ、神風隊長。今日の所は、余が一本取られた様だ。が、余はまだ負けた訳では無いぞ。ましてや、降伏なぞするものか。」
「何。もう、貴様に逃げ道はないぞ。無駄な抵抗はやめよ。」
隊長は、更に語気を強めると、ぐいと超電ピストルを突き出して、鉄仮面を威嚇した。 だが、鉄仮面は、全く怯まずに、堂々と宣言した。
「ファッハハハハ、神風隊長、汝に勝利無し。」
その声と共に、鉄仮面は緋色のマントをばっさと翻し、くるりと反対側に向き返ると、後方に向かって走りだした。
「やや、待て。停まらぬと撃つぞ。」
隊長が叫ぶ。しかし、鉄仮面は停まろうとはしない。隊長は、それを見ると、鉄仮面めがけて超電ピストルを発射した。
次の瞬間、隊長は信じ難き光景を見た。超電ピストルの黄金色の光線は、確実に鉄仮面の背中へと命中した。その筈なのに、その光線は、すっと鉄の仮面の体をすり抜けてしまったではないか。まるで、鉄仮面の体がそこには存在しないかの様に、光線は鉄仮面の体を通り抜けて、その向こうの壁に当たって火花をちらした。
「ファッハハハハハ。」
鉄仮面は、不気味に笑いながら、そのまま壁へと突っ込んだ。見よ。何とした事であろうか。壁に激突する筈の鉄仮面の体が、そのまま壁の中へと吸い込まれていくではないか。隊長は、それに向かって、次々と超電ピストルを撃ち込んだ。だが、鉄仮面には何の影響も及ぼさない。
「ファッハハハハハハ。」
隊長の見守る中、不気味な笑いを残しながら、鉄仮面の体は壁の中へと消えていった。鉄仮面の消えた壁には、隊長の放った超電ピストルの焦げ跡が残るのみであった。
「しまった!」
隊長はくるりと踵を帰すと、出口へと向かって走りだした。
隊長が城門を走り抜けた時、後方でロケットの噴射音が響いた。鉄仮面がロケットで逃げ出そうとしているのだ。隊長は、それにも振り向かず、只、ひたすらに旭光艇に向かって走った。
旭光艇に近付くと、隊長の姿を認めた多力王が声を掛けた。
「隊長。今、向こうからロケットが飛び立ちましたが、あれは一体。」
その問いには答えずに、隊長は、旭光艇に飛び込むと同時に、叫んだ。
「旭光艇、緊急発進。離陸急げ。」
その声に、多力王、燕が、弾かれたように配置に着く。隊長は主操縦席に滑りこんだ。後方の機関室から敷島機関の唸り声が高鳴る。
「目標、上昇中の怪ロケット。旭光艇発進。」
隊長の声と共に、爆発にも似た轟音が響き、旭光艇はその船底噴射管を最大出力で噴かすと、もの凄い勢いで上昇を開始した。その恐るべき勢いに、旭光艇の頑丈な船体も、ぎしぎしと身をきしませる。勿論、こんな乱暴な離陸は、神風隊長の操縦の腕と、旭光艇の高性能がなせる技である。その急激な発進に伴い、艇内の乗組員にもものすごい圧力がかかる。燕は、その圧力に顔を歪めながら、毒づいた。
「全く、隊長の運転ときたら、命が幾つ有っても足りゃあしねぇ。」
旭光艇は、ある程度まで垂直上昇すると、今度は艇尾の主噴射管に点火し、一直線に敵の後を追った。火星鉄仮面のロケットは、旭光艇の遥か上空をロケットの噴射炎を引きながら、光の点となり、宇宙空間へと向かって行く。
隊長の右隣の副操縦席で、前方監視用望遠鏡を覗いていた燕が叫んだ。
「『魔王』号だ。ありゃ『魔王』号ですぜ。」
燕は、望遠鏡から目を離すと、指を鳴らした。
「あの糞伯爵の野郎。こないだは、旭光艇を小馬鹿にしやがって。旭光艇と、あのポンコツロケットの違いを嫌と言う程、見せてくれるぞ。」
二隻のロケットは、お互いにもの凄い速度で火星の引力圏を飛出した。が、やはり、速度の点では旭光艇の方が一歩勝っていたのか、二隻のロケットの間の差は、ぐんぐんと狭まっていった。やがて、肉眼でも、はっきりと『魔王』号の姿が認められる様になった。
「よし。『魔王』号の前方へと回りこむぞ。」
隊長の命令一下、旭光艇は機動ロケットを点火して、『魔王』号の進路を塞ぐべく、その進路を変更した。と、それに気が付いたか、『魔王』号の方にも動きがあった。
「ややや。」
神風隊一同の目の前で、『魔王』号は、その姿を変えていった。その武骨な船体からは、次々と大小の力線砲塔が姿を現わし、船腹からは巨大な砲身がにょっきりと顔をだす。そこに現れたのは、重火器を針鼠の様にまとった要塞、まさしく、天駆ける要塞と化した『魔王』号の姿であった。『魔王』号の各火砲は、一斉に旭光艇にその砲口を向けると、猛烈な射撃を開始した。恐るべき破壊力を秘めた光の奔流が、旭光艇に襲い掛かる。
神風隊長の反応は速い。隊長は信じられぬ様な速さで、操縦捍を、方向転換用ペダルを動かし、旭光艇の各所に設置された自在機動用の小噴射管を巧みに操り、宇宙空間を舞い踊るかの様に、力線の嵐を除けた。
「派手に撃って来たな。こちらも超電砲を用意しろ。」
てきぱきと、操縦装置を動かしながら隊長が言った。
「諒解。」
多力王と、燕が、旭光艇の船首の左右にある、遠隔操作で動く超電砲の照準装置を起動させた。この超電砲は比較的小型ながら、その最大火力は二等巡天艦の主砲にも匹敵する。照準用の小型潜望鏡を覗き込み、砲を操作しながら多力王が言う。
「よし。強力な奴を喰わして、宇宙の塵と化してくれようぞ。」
「おうよ。かけら一つ残さずにぎったぎたにやったろうじゃねえか。」
意気込む二人に、隊長の声が飛んだ。
「よいか、我々の目的は悪漢を捕まえる事だ。判っているな。先ずは、敵の主噴射管を狙って、敵の動きを止めるのだ。」
「へいへい。判ってますぜ、隊長。ちょこっと景気付けに言ったまでですよ。」
言い訳する燕に、隊長が言い返した。
「燕、軽口を叩かずに、しっかりと狙えよ。」
隊長は、噴射管を巧みに操りながら敵の力線を躱し、旭光艇を敵船の後方へと持っていった。
『魔王』号の猛射撃は一向に止む気配は無い。だが、旭光艇の素早い動きに照準が付いていかないらしく、只、やみくもに撃ちまくるのみであった。
「下手っくそが、動力の無駄遣いしやがって。射撃ってぇのはこうやるんだよ。」
燕が、超電砲の引き金を引いた。旭光艇の船首から黄金色の稲妻が走る。が、稲妻は、『魔王』号の主噴射管の少しばかり上を通り過ぎた。
「この馬鹿者。大口を叩いた割りにはだらしのない。」
「てやんでぇ、ちょいと、試し撃ちをしただけでぃ。」
多力王が言うと、燕が負け惜しみを言う。
「こんどこそ、見てやがれ。」
燕が、今一度と、照準を合わそうとした時、観測士席の佐衛門博士がエイテル探知機を見て叫んだ。物体が動く事によって生じるエイテルの波動で、接近するロケット等を探知する機械である。
「直上から、怪物体が急速に接近してきますぞ。」
その途端、目も眩むばかりの閃光が窓を覆い、ドオウンと言う衝撃が旭光艇の船体を揺さぶった。と、それに続いて、窓の外を、二隻のロケット艇が、直角に降下して行く。黒塗りのカァチス型の戦闘ロケット艇だ。火星の外に待機していた火星鉄仮面の一味の船が、首領の危機を見て、攻撃を仕掛けてきたのだ。操縦席の計器盤の中の推力計の針が少し下がったのを見て、隊長が言った。
「どうやら、機関部に被弾したらしい。燕、見て来てくれ。」
「合点だ。」
燕は、船体の急激な運動による揺れもものかはと、素早く機関室へと向かった。旭光艇の速度が落ちる。隊長は、必死の操作で推力を維持しようと奮闘した。
<隊長。右舷噴射管に損傷有り。>
燕の声が、伝声管より響いた。
<通常航行には支障は無いと思われますが、速度がかなり落ちますぜ。>
「ええい。何と言う事だ。」
隊長が地団駄を踏む。
「やや、奴め、一目散に逃げ始めましたぞ。」
多力王が叫んだ様に、『魔王』号は、旭光艇に変事有りと見るや、船体を元の飛行体型に戻すと、全速力で離脱を計った。
「いや、まだ、超電砲の射程には持ち込めるかもしれぬ。」
隊長はそう言うと、残った推力を使って、再び追撃に移ろうとした。が、そこへ、さっきのカァチス型ロケットがまたもや攻撃を掛けてきたではないか。二隻のカァチス型は、今度は正面から、力線を乱射しながら突っ込んできた。どうしても『魔王』号を追わせぬつもりらしい。旭光艇はその力線をさっと避けると、堂々と正面から敵を迎え討つべく、突撃を開始した。カァチス型二隻の力線と、旭光艇の超電砲の電光が、目も眩むばかりに交差する。もの凄い速度で三隻のロケット艇は擦れ違った。その瞬間、旭光艇の放った超電砲がカァチス型の一隻を捉えた。凄まじいばかりの光が閃く。それは、爆発等と言う言葉ではとても言い表わせぬ光景だ。超電砲の恐るべき熱と力は、カァチス型の船体の金属を、一瞬の内に蒸発させ、原子の粒にと戻してしまった。只、一閃の光の跡、そこには、一片の金属片すら存在していなかった。
「うぉっほほ。見たか。見たか。」
多力王がどんと胸を叩いた。
僚船を失ったもう一隻は、戦意を失ったのか、そのまま遁走して、何処かへと消えていった。しかし、この戦闘の間に、肝心の『魔王』号の姿は、既に見えなくなっていた。
「鳴呼、口惜しや。又もや、悪漢を取り逃がしてしまうとは。」
いくら、悔しがっても最早、どうなるものでもなかった。
「こうしていても、仕方の無い。とりあえず、大門港か、フォボス港にでも行って、旭光艇を修繕する事にしてはどうかのう。」
佐衛門博士の考えに一同は賛成した。と、隊長が、突然、何かに気がついた様に、目を輝かせた。
「そうか、大門港か。すっかり忘れていたぞ。あの人の力を得られれば、火星鉄仮面に付いて、何らかの情報が手に入るかも知れぬぞ。」
「若の言うのは、もしかして、支那人街の夏候大人の事かな。成程、あの人ならば何かを知って居るかもしれませぬな。」
「よし。そうと決まれば、行く先は大門港だ。進路変更。直ちに出発する。」
旭光艇はその進路を大門港へと定めた。
---<以下、連載第第四回に続く>---