TDSF叢書1

日本SFごでん誤伝

余桁分彌(現 藤倉珊)著

TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行

第三部 見ないへの旅



最終回  昭和のハチャハチャ、平成のハチャハチャ

 荒俣宏先生の『奇っ怪紳士録』の第十七回「パラノイア日本史の巨人」には、大正時代の日本人の頭を叩くと「誇大妄想」の音がした・・・と思う、と書いてある。
 本当かどうか、知らない。しかし平成時代の日本人の頭を叩いてみても、これまた誇大妄想の音がするんじゃなかろうか。貿易黒字が一時的に世界一になったくらいで、経済大国とか言って浮かれだしてしまっているけど、これは大正時代に一等国日本とか称して浮かれていたのと似てるじゃないかと思うが、よくわからない。
 さて、大正時代には『ジンギスカンは源義経也』などという説が、当時の日本人の優越感を刺激して、大評判になったと聞くが、平成の世には、さっそくそれをしのぐトンデモ本が現れた。
 その名も、聞いて驚け!『孫悟空は日本人だった』という。この本を見たときは、さすがの僕もおどろいた。ジンギスカンやキリストを日本人にしてしまう妄想狂はいても、まさか孫悟空とは。だいたい人じゃなくて猿だろう。
 それにも増してビックリするのは帯に「一九九九年、地底から孫悟空が甦る」と大書されていること。これは一体なんなんだー。

 さて、ジンギスカンならともかく孫悟空は日本人だったと言うのは、どういう意味だろうか。まさか孫悟空が実在したというわけでは無いだろう、と思うのが普通だろうが、答えは、そのまさか、である。プロローグで著者は、こういっている。

 『西遊記』は実に不思議な書物である。その荒唐無稽なストーリー展開は、常識的な人間の創造する範疇を大きく逸脱しているように思われる。(中略)
 しかし、『西遊記』同様の荒唐無稽な物語は他にもある。それは、西洋の『聖書』であり、日本の『古事記』だ。これらの書と比較して言えることは、「人間の常識を逸脱した発想は人間が考え出したものではない」ということではないだろうか。
 これまで私は『古事記』の解釈書『真説古事記』(I〜IV徳間書店)及び、『聖書』の解釈書『世界経済崩壊の日』(サンケイ出版/扶桑社)を通して、人間の想像を絶した内容を持つ奇書は、すべて、人間の考え出したものすなわちフィクションではなく、実は歴史上の事実を記述したノンフィクションであるという主張を繰り返してきた。
 そうした意味からは『西遊記』もまさに想像を絶した奇書ということになる。したがって、『西遊記』に書かれていることの大部分は、なんらかの歴史上の事実に基づくノンフィクションである、と私は考えている。

 これは冗談としか思えないが、著者は大真面目だ。この論理だと横田順彌氏のSFはみんな事実ということになってしまう。我田引水な資料解釈はトンデモ本の常だが、ここまで極端なものは空前絶後かもしれない。
 この本は、今年の六月に、あのヤマトメシアも出している扶桑社から出版された平成初年度の最高トンデモ本の呼び声もたかい怪著である。著者は山田久延彦氏(やまだくえひこ、と読む。)、前記の引用にもあるように、この本の前にも多数のトンデモ本を出版している大家である。
 略歴によると、一九三七年東京生まれ。東京大学卒業後、某重工業KKに入社、現在、某自動車工業KKにて先行技術開発に従事。機械工学、コンピュータサイエンス、企業経営論などの応用科学から物理、地球科学、生物学などの基礎自然科学や古事記、超古代史、経済学などの人文社会科学に及ぶ広範囲な研究活動に従事。ハイポロジックス研究会主宰。神秘学の科学的再評価を提唱、啓蒙活動を推進中、とある。
 たぶん、彼の最も有名な著書は『日本にピラミッドが実在した』だろう。この本の最後には「皆神山ピラミッド祭り」その他の催しについて勧め、「皆神山ピラミッド委員会」の連絡先が記してあるほどだ。しかし僕も皆神山ピラミッド説の存在は知ってはいたものの、ここまで狂っているとは知らなかった。どれほど狂っているか、この本の内容を見れば、だれでも唖然茫然また愕然すること、うけあいである。まずは内容の紹介をしようと思ったが、この本には僕にとってはありがたいことに、プロローグに要点が書いてある。これを、そのまま引用しよう。(ああ、楽だなあ。)

 孫悟空は、「美猴王、行者」等の異名を持っているが『古事記』、『風土記』、『神社縁起書』などの日本の古文献、伝承などを頼りに、孫悟空が「大山咋の神」という国つ神で、天界の美女神として誉れの高い弁財天を妻とした神であることが判明。『西遊記』の天界大暴れの記述と日本の神話の記述と対応させつつ解釈を行った結果、色々な天界情報が明確になってきた。
 たとえば、南天門(常時南天にある門)という言葉が出てくるが、これは日本の古 文書『富士文書』に記述された天津国巡り州(天にあって、国即ち地球を回っている国)に対応し、静止衛星都市の事である。また、有頂天は土星、色究境天は冥王星、そして冥王星の外にある四つの宇宙都市を含めて、宇宙空間似は二八の人工惑星都市が建設されている。
 孫悟空は釈迦尊によって、五行山の地下に五百年間閉じ込められてしまったが、こ れは地下都市の建設、またはそのために必要な材料を調達するために鉱山の採掘作業を行っていた。
 唐の太宗皇帝の時代、孫悟空は「行者」という名で、玄奘三蔵の従者として西域冒険旅行をした後、日本の大峰山の「行者還岳」に舞い戻り、普賢岳(賢人普光王の岳の意)で山岳仏教の開祖「役の行者(猿の行者)」となった。役の行者の引き連れている「前鬼・後鬼」は「猪八戒・沙悟浄」である。
 こればかりではない。古文献、伝説、古代遺跡等をたどりつつ、まったく奇想天外な歴史の事実が明確になってきたのである。
 孫悟空・役行者は失意のうちに日本を去り、青春時代に修行をしたチベットに行き、そこで怪僧シェブラになった。チベットのラマ教はこのチベットの怪僧シェブラの流れを汲むものである。
 その後、孫悟空はジンギスカンの背後神となって、陰謀的経済システムを操って覇を唱えた中央アジアのホラズム帝国を壊滅させた。
 また、その後には、日本の豊臣秀吉の背後神となり、商業都市・堺の商人達の攪乱によって作り出された戦国の乱世を平定し堺を焼き討ちにした。
 また、明治維新の時代は、西郷隆盛の背後神として、西欧の謀略による明治維新を日本独自の明治維新に書き換える働きをした。
 また、第一次世界大戦後のドイツ国民を搾取する経済陰謀であったワイマール体制を解除すべく、ヒットラーの背後神となって第二次世界大戦を巻き起こし、対立する自由魔尊との戦いに敗北して、大きな痛手を被ったが、その後、大いに勉強した孫悟空は、経済戦略の面でも渡り合える力量を身につけ、第二次大戦後は、トヨタ自動車の背後神として、日本の経済的世界支配の戦略を影で操っている。
 そして、この孫悟空の世界戦略の歴史は、山梨県の白州町にある石尊神社の石仏として刻まれている。
 このように『西遊記』を通して、我々は真の人類文明の歴史を知ることができ、それに係わった神々の経倫とその究極的意図を推測する事ができる。
 そればかりではない。これまでの人類の歴史に深く関わってきた神々が、世界の各地に地下都市を作って現在も実在しており、自分の背後神の存在を察知したヒットラーは科学的にその存在を立証するために国家的なプロジェクトで地下都市文明の調査研究を推進した。
 そして、ヒットラーの調査結果に出てくる中国に古くから伝承されている地下都市「チピン(寺平)にある須弥山の下の地下都市(洞天)」は、長野県一帯の地下に存在し、その地下王国の首都が、松代町の皆神山の地下に、長径二キロメートル、短径一・六キロメートル、高さ四〇〇メートルの空洞を作って現在も実在していることが判明した。
 この事は、東京大学地震研究所の調査結果である重力異常の測定データからも論証することが出来る。
 このように、我々の孫悟空研究は正に呉承恩の『西遊記』以上に奇想天外な結末になった。何はともあれ、孫悟空の足跡をきわめて身近なところから辿っていってみよう。

 こいつは、いったい何と言ったらよいのか。あの孫悟空が、ジンギスカンや西郷隆盛、ヒットラー、さらにはトヨタ自動車の背後神(?)だと言うのだから、トンデモないを越えてトンデモない。
 しかし、この本は、ジンギスカンは日本人だったという大正時代の思想の、平成時代における正統的な継承者なのではなかろうか。前に、トンデモ本は、ただまともな本に成り損ねた本が独立して存在しているのではなく、トンデモ本同志が、相互に関連しあいつつ、目にみえない流れを作っているのではないかと想像していたが、どうも事実らしい。これは、もう隠れた文化、いや文明というべきではなかろうか。
 その文化は、我々から見ると、まさに狂気であり、非現実的、非生産的、非論理的であり、愚劣で、異常で、滅びるのが当然と見なされているが、にもかかわらず力のある精神なのである。注目せよ。一般に正統的と見なされている本よりも、これらの本のほうが売れているのだ。『ノストラダムス・メシアの法』を見よ、『ヘンリー大王とヤマトメシア』を見よ。いずれも版を重ね、大部分のSFなど足下にも及ばぬほどに売れ、そして読まれているのだ。『大霊界』に到ってはもはや、売れてるという言葉で表現できる段階ではない。
 で、僕がなにを言いたかったかというと、『こてん古典』などを読むと、こうしたトンデモ本は明治・大正や戦後の一時期だけに存在していたように出ているが、実際はそうでもない、どころか現代に入って、ますます進化・発展を遂げているんだね、と、これまで、この『ごでん誤伝』で再三にわたって言ってきたことの、ダメをもう一回押しておきたかったのだ。
 そして、トンデモ本を扱えない文化論や出版論は、どんなものであっても、それは不完全なものなのだということなのだ。トンデモ本が売れ、読まれるのは、単に読者がバカだからでは理由にならない。僕にいい考えがあるわけじゃないけれど。
 ただ、誰でも一度はトンデモ本を読んでおき、このような本を書く人と読む人がいるということを知っていたほうが、いいと思う。信じられないかもしれないが、それが世の中の正しい姿−少なくても無視できない大きさの一面であるのだ。
 もし我々が、傲慢で、貪欲で、実利的で、自分たちだけを正当とし、科学的効用以外に真実を認めず、権力以外の目標に目をむけることが逃避だと思い込むような人間ではないならば−つまり典型的な社会人(エッドール人)ではないならば−トンデモ本(アリシア−銀河文明)がもつ意義(レンズ)とその大きさがわかるはずだ。

 と、大風呂敷をひろげたところで、三年間の長きにわたって読者諸兄姉にご愛読、ご声援いただいたこの『日本SFごでん誤伝』、今回をもって終了ということにさせていただく。
 横田順彌先生の傑作に刺激されて始めたこのパロディ、このへんでやめておかないと、あまりにも先生に失礼になってしまいそうだ。それでは、僕の初志に反するし、いいかげんにしておかないと僕がトンデモ本の読み過ぎで気が狂ってしまう。すでに狂っているという人もいるくらいだ。けれど、今回を限りにまともに復帰することが出来そうで、これでどうやら、一安心だ。
 長い間、『日本SFごでん誤伝』を応援してくれたみなさん、ほんとうにありがとう。さようなら。




日本SFごでん誤伝 著者あとがきに続く


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