余桁分彌(現 藤倉珊)著
TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行
その蘭は一人きりの探検旅行に出て姿を消した友人の遺品か、それともまた、どこかの競売場の閉めぎわに「雑」と分類された品目のうちから入手したものか、いまさらくわしい事情はわからぬが、だいたいまあ、そんなところと考えてまちがいない。
いきなり『ごでん誤伝』とは思えぬ名文が出てきたが、これはジョン・コリアの『みどりの想い』の冒頭である。今回、紹介する『SF・環状世界』を入手したときを思い起こすと、ちょうどこの蘭と似ているような気がする。
僕がトンデモ本をどこで入手するのかというと、四冊百円均一の古本屋の台とか、市民バザーの売れ残りの山の中とかが、やっぱり多い。はっきり言って、とてもじゃないが、まともに金を払っているわけではないのだ。
もちろん、初めからトンデモ本を買おうと思って、そういう場所を探すわけではない。百円均一だといってばかにしてはいけないのだ。ときには信じられないような掘り出し物が、こういう所で出てくることは古本屋を歩くひとは皆知っている。実際、講談社版『裸の太陽』が50円均一の台にあったり、HSFS『地球の緑の丘』が閉め際のバザーに出ていたので頼まれて百円で買ったり、『宇宙人フライデイ』が定価の半値(75円)の棚にあったこともあるのだ。
しかし、こうしたことは滅多にあるものではなく、正体のわからない怪しげな本を格安の値で持ち帰ることが多い。こうして、しょうもない本が増えていくのである。
もっとも、この連載が開始されてからは、すっかり人生が狂ってしまって逆にトンデモ本はないかと、あさるようになってしまったのだが。
話をもとに戻そう。『SF・環状世界』(刀根広篤作)は昭和61年5月22日にアポリア出版というところから出たゲームブックである。このころは右も左もゲームブックという御時世で、この本もそんな風潮に便乗した粗製乱造本の一冊であった。
いや、ひとえに粗製乱造と言えないかも知れない。この本が他の本に比べて抜きんでていると思う。それはそのつまらなさである。いや、つまらなさなら幾らでもあると言われるかも知れないが、とにかく全くゲームをやってみる気にならない、あるいは本を売る気が全く無いことを、ここまであらわにしている本も珍しかろうと思ってあえて取り上げることにした。
まず、プロローグからみてもらいたい。
この本は、永久運動なのです。
この世界は陸と海と空と全てに生活圏があり、全てが連続しています。人々は何をしているのか全くわからず、文字で会話をし、妙なウデを操って不思議な建造物を造ります。これこそムダの極致とでも言えましょう。しかし、何がムダなのか・・・
考えてみると、まるで意味のないような事を一生懸命やるなどというのは、すばらしいことではないのか・・・(後略)
なんか『ごでん誤伝』のことを言われているような気もしないでもない。その次から、この本の進め方について解説があるのだが、ややこしいので要約しよう。
1.見開き左ページ下に二つのメーターがあり、針の指している数字を読む。
2.上下のメーターの値から巻末の対応表で進むページを探す。
3.メーターの値が中間に見えるときは、自分で選択する。
4.選択にはレーダー(と言っても表示するのは曖昧な3角形だけ)を参考にする(?)
5.換算表は午前と午後とあって任意に選択する。
もちろん、内容が無いから選択といっても空しいだけ。実際に少しやってみたが、このシステムはややこしく、見にくく、続ける気が全く起こらないので、すぐに止めてしまった。だいたい中盤からはメーター通りに進むのと、単にページをめくるのとで差が無い。なぜなら、コマごとの因果関係がほとんど無いからである。いや、あっても内容が無意味なのだから無いに等しいと言うべきだろう。書いてあることといえば、
「これはいったいなんだろう。石があって木があって、わからないまま次へ。」とか
「骨組みは何になるのかわからない。でもこのままの方がおもしろい。」とか
「家の中にも腕がある。なにをしているのか理解できないがゴンゴン、ゴンゴンと動いている。主人は動かない人形だ。」
のような意味なしフレーズばかりである。これで二三〇ページも進む気は全くしない。しかも、上手くいくと終わりが無くなります、と言うのだから空しさの上に空しさが重なるばかり。意味がないといって、これほど意味の無い本はないだろう。
もちろん著者が故意に高踏的に構えて自己満足しているだけというのは、よく読み取れるのだが、そんな著者の愚劣さすら可愛く思えるほど無意味なのだ。
それでも、どういう訳か僕には、この本が気にかかる。ひとつには、このころ異常な出版状況にあったゲームブックの粗製乱造ぶりのパロティになっているようにも見える点だろう。いわば、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という雰囲気で、殆どの乱作本が死滅したあとに記憶に残ったのは、これだったのだ。作者にこういう狙いがあったとは考えにくいが。
それにしても粗製乱造ブームの後でも確かに「ホンモノ」?は残ったが、ホンモノだけが残るという状態ははっきり言ってつまらない。まるで岩波文庫以外の文庫が無くなってしまったようなものだ。
どうして、無意味な本があったほうがいいのか、僕には理屈は付けがたいがそうなのだ。
今、平成元年、わずか三年で日本のゲームブック界がいかに進歩したか。今回の紹介のために再読して、改めて感じたことはそんなことだった。
ここでページが余ったので、窮すれば安易に走るの略で、Q&Aをやってみることにした。どーなるかなー。
質問その1
こてん古典で紹介されている『怪人魔シリーズ』のような、いーかげんで、脈絡がなくて、とにかく活字さえならんでいればいいといった手の本がありましたら、紹介してください。
僕には質問の意味がよく分かりません。−いーかげんで、脈絡がなくて、活字さえならんでいればいい本−など今日、珍しくもありません。終戦直後には珍しかったかもしれませんが、今、本屋に行けば、その手の本が幾らでも出ています。疑うならば、本屋に行ってみるといい。いや、活字が並んでいるどころか、下半分はほとんど空白の本がたくさん売られていて、これをお金を払って買って読んで、ある程度納得どころかファングループがドカドカできるほど感激している人が大勢いるというのだから、昭和末期から平成初期というのは、まあえらい時代とか言いようがありません。
ま、それでも現代のなかで怪人魔のようなキャラクターが出てくるSFを紹介することにしましょう。(『怪人魔シリーズ』を読んでる訳ではないのですが。)
去年の秋、長編超バイオレンスサスペンスと称する『黒豹スペース・コンバット』という本が出版された。光文社文庫で上中下三巻計千六百枚同時発売という大胆な戦略があたったのか、かなりのベストセラーになったから知っている人も多いはずだ。
しかし、SFファンという人種はたいてい、この手の本を嫌う傾向にあると僕は信じているし、実際僕のまわりの人間で読んだ人はいないから、一応読者がこの本を知らないという前提のもとで紹介させていただく。
これは特命武装検事黒木豹介、通称黒豹(まったくなんという名だ。)がひたすら暴れまくるシリーズの第十三作目にあたる。千六百枚の構想・調査・執筆に四年を要したと称する作品が三年前から刊行されているシリーズの第十三作目なのだから世の中はおもしろい。
特命武装検事とは要するに、相手が悪人ならば逮捕も処罰も自由で、殆どの場合に抹殺することが許されるという機動刑事みたいなものである。この超人検事は過去、KGBやCIAはおろか忍者も超能力者も倒してしまい、この作品では、とうとう宇宙船に乗って月に行って戦うのだ。
さてストーリーを紹介しよう。はっきり言ってスゴイものだ。実際、僕はこの小説を読んで、文字通りブッとんでしまったのだ。理性が負けてしまう描写、よほどの推理力を持つ人でも、まず一ページ先の予測できないような展開など、おそらく怪人魔よりも上であろうと思う。ともあれ、話は次のように始まる。
黒豹が新しい秘密基地で美人秘書と一緒にパラボラアンテナをテストしていると、謎の暗号電波をキャッチした。それは0と1からなる暗号で月から発信されたものだった。怪しんだ黒豹は、日本の誇る電波天文学の権威、嵐山教授に解読を頼む。しかし、すでに謎の組織が動き始め、教授は「月、SOS、ワシーリ」というメモを残して殺されてしまう。
まるで発端は昭和三十年代の少年小説のようだ。しかも「0と1からなる暗号」の描写にすごくもったいをつけることから考えて、この著者はデジタル信号の存在をよく知らないらしい。しかも暗号解読を電波天文学者に頼むというのも、なにか大きな誤解をしているとしか思えない。
それとは別に、そのころソ連で大変なことが起きていた。ドニエプルの大原子力発電所がチャイナシンドロームを起こしたのだ。もっとも、この作者にかかるとチャイナシンドロームもギャグになってしまう。
「このままですと、火球は地球を貫通し、ソビエトの裏側にある国に潰滅的被害を与える恐れがあります。いいえ、地球そのものが危ないかもしれません。」
「ええ、たぶん地球そのものが危ないでしょう。その火球が、下部マントルや内核に作用すると、地球は木端微塵になるかもしれませんね。」
この作者はチャイナシンドロームを文字通りに解釈し、本当に溶けた原子炉が地球の裏側まで届くと思っているのだ。
それは、ともかく謎の信号の内容は、月に誘拐されたソ連の原子物理学者ワシーリ博士が日本の黒豹あてに救援を頼んだものだった。謎の組織は月に秘密基地を持ち、しかも月で地球にはない超高性能の原子燃料を採掘していたのだ。そしてチャイナシンドロームを止められるのは世界中でワシーリ博士一人しかいないのだ。刻一刻と原子炉は地球の中心に沈んでいく。時間は無い。
そこで黒豹は内之浦から日本製HIIIロケットに乗って月に向かう。いよいよSFになるかと思うとこれがトンデモない。なにしろ衛星軌道上で迎撃ミサイルをベレッタで撃破する、月のすぐそばで真っ赤に燃える流星とすれちがう、UFOが襲ってくると、これもベレッタで撃破する(なぜ撃破できるかというと、UFOが出す光線が遅いからだ!)。もう、これが現代に書かれた小説とは到底思えない描写が続出する。
堪らないのは、月に行ってみると知的生命体がいること。しかも、月の知的生命体は某A国の悪玉による秘密組織によって貴重な原子燃料を搾取されてしまって困っていた。義憤に燃えた日東剣侠児本郷義昭…じゃなかった黒木豹介は、またもやベレッタで・・・
これで話は約半分、この後まだまだ続くのだが、さすがに強気の僕も、とうていこれ以上は紹介する気にならないので、このあたりでおしまい。しかし、それにしても、ほんとに、なんていうか・・ことわっておくけど、これベストセラーなんだよ、現代の。
質問その2
あの学天則の製作者、西村真琴博士は『五十年後の太平洋』以外にSFを書いていたのでしょうか?教えて下さい。
自然科學小説はまだ開拓されてゐない。私はこれを新鮮な思索の對象であると考へてゐます−生けるもののあらゆる慾望を最も大膽に、又明快に示す生物界から人間社會への深刻なる暗示を得たいと思ひます。さうした考えで試みた私の處女作はさの「蟻供養」の一篇であります。
これが處女作と言うと『五十年後の太平洋』は何だったのか。それはともかく内容はと言うと、蟻の群れの大移動から始まる。なぜ蟻が移動しなければならないかと言えば××川の氾濫のためであった。蟻達は杉の古洞に住み着くが、前からそこにいたカタツムリは全滅してしまう。ところで、この杉は近くの北村と南村の御神木でもあった。北村の男達は蟻達を神木を侵すと考え、殺してしまった。そのため蟻は皆南村へ移動したのだが、そのため北村にはマムシが大発生してしまう。反省した北村の人達は蟻を移植するようになる。しかし、今度は蟻のために溜池の水が漏れてしまうのだ・・・
というような内容なのだが、あまりSFだと言う気はしない。エコロジーテーマのはしりだと言って持ち上げるのは容易だけれども、ちょっと違う気がする。かといってトンデモ本と言う訳でもないし、まあ今だに開拓されていないジャンルなのかもしれない。
西村博士の本は、探してみると結構たくさんあるもので、他にも『科学の話題』とか『科学随想』などを入手できたが、きりがないしトンデモ本でもないので、これくらいで終わることにする。
質問その三
『こてん古典』では明治のSFと森永のSFを紹介していましたが、今度はグリコのSFを紹介してください。
答え:知りません。あしからず。
では、また来月。