余桁分彌(現 藤倉珊)著
TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行
なにやら世間が騒がしいようですが、みなさんお元気ですか。なんかTVでやたら戦前の記録なんて流すと、なんだか今が戦前のような気になってしまうんですが錯覚なんでしょうねぇ。
さて、今回はなにをしようか。新年だから『ごでんSF福袋』という企画も考えたのだが、諸般の事情により自粛せざるを得ない。そのかわりと言ってはなんだが、最近は昭和の時代を回顧する−というのが流行のようだから、今回は昭和のSF史の貴重な資料を公開することにしよう。『アメージングストーリーズ日本語版』がそれだ。
これが何を意味するかは、たぶん説明する必要はあるまい。昭和二十五年四月に誠文堂新光社から<怪奇小説叢書>という名で『アメージングストーリーズ日本語版』が三冊同時出版され、最終的に七冊まで出たことは『こてん古典』56回に紹介されている。しかしその内容は紹介にあたいしないということで主要作品の名のみ掲げているにすぎない。
しかし「紹介にあたいしない」作品を紹介するというのが我が『ごでん誤伝』の精神である。ここはひとつ、どれだけ作品選定がまずいか見てやろうではないか。
もっとも僕が持っている『アメージングストーリーズ日本語版』は第三巻一冊きりである。あの横田さんに「きわめて入手しにくい」と言わせるほどのシリーズだからこれは仕方がない。ついでに言うと、この本の入手価格は二千五百円であった。
古代人の挑戦 ロバート・F・フィッツパトリック作 坂本登訳 (83ページ)
I paint from death By Robert F.Fitzpatrich
蚤のサーカス オーガスト・マイスナー作 胡桃正樹訳 (36ページ)
The flea circus By August Meissner
世界計画 ジャック・ヘス作 磯部佑一郎訳 (30ページ)
Project By Jack Hess
緑の血 T.S.ストリブリンブ作 黒沼健訳 (33ページ)
The green splotches By T.S.Stribling
このなかでは、『こてん古典』でも名が出ている『古代人の挑戦』が一番おもしろい作品だろう。
これは、なぜだか死体ばかり描く変態画家が博物館からミイラを手に入れたのだが、間違えてミイラを復活させてしまうという話だ。なお甦ったミイラはズロナという、ちょっと『洞窟の女王』のアシャを思わせる美女であるから誤解してはいけない。実はズロナは古代地球文明人とあらそった宇宙人の尖兵であった。ズロナは真空管式テレビなどを改造して月に潜んでいた古代の地球侵略軍に誘導信号を送った。たちまち甦る円盤の大群、地球に危機が迫る。しかし、変態画家の美しい娘と恋人の青年の活躍によりズロナは倒され、誘導信号を失った円盤軍団はそのまま海に突っ込み大爆発。めでたし、めでたし。という、まるで四十年前のB級SFドラマのような話だ。(まあ約四十年前なのだが)
『蚤のサーカス』は核戦争後、知恵を持ったノミが発生する話なのだが、老科学者は危険を承知のくせになんで蚤にサーカスをさせていたのか、よくわからない変な話だ。
『世界計画』は宇宙人に信号を送ろうという壮大な計画が予算不足で挫折したとき、謎のスポンサーがあったが、実は、その正体は石鹸メーカーで全宇宙に向けて石鹸のCMを流してしまうという、唯一のユーモアもの。ちなみに、この本が出たのはオズマ計画の十年前。
ここで気がついたが、第三巻に収録されている4編はいずれも時代がほぼ現代、舞台は地球である。これは、いきなり舞台が宇宙である本格的SFを訳しても、とても受け入れてもらえないだろうと考えた結果ではなかろうか。
早川書房がハヤカワSFシリーズを出す時は、まずファンタジイの名で『盗まれた町』を出したように、また創元推理文庫でも、まずブラウンの『未来世界から来た男』から始めたように最初のうちは日本人に馴れない宇宙もの、未来ものはさけるという配慮を払った結果なのではなかろうか。
こう考えれば作品選択のまずさも説明がつく。当時、宇宙でも未来でもない作品をアメージングから選び出すのは困難だったろうと思う。現代からみると無用な配慮だが、こうした配慮をしなかった室町や元々社は見事につぶれていることから考えれば無理のないことかもしれない。(第三巻しか見ていないのに、こんな説を立てていいのだろうか。)
さて、もっとも『ごでん誤伝』向きなのは最後の『緑の血』だろう。これは一応、宇宙人が出てくるが作者が何をいいたいのかサッパリわからない怪作である。
時は一九二〇年、舞台はペルーの秘境「地獄川の渓谷」、ここに踏み込んだのは3人の白人探検隊員と2人のインディオである。彼らは、そこで奇妙な男に出会う。男は一と言う国から来た一七五三−一二、六五七、一〇九−六五四−三と名乗り、探検隊は彼をミスター三と呼ぶことにした。(漢数字を使うところが昭和二十五年だなあと思わせる。)
さて探検隊がこの男に最初にしたことは『アイスランドの馴鹿』という自分の著書を売りつけること。引用するとこんな具合。
「これは、あなた達が買っている三文小説とは、ちょっと訳が違う。これこそは、アイスランドの馴鹿の実情をあなたに忠実に伝えるものです。先ず彼らは何を食べているのかに始まって、その力量、その忍耐力、それから世界中のあらゆる貨幣で計算したその値打ちが書いてあります。また、その最も大きな群れは何処に住んでいるのか。馴鹿の皮の効用、その肉、乳、その乳から造ったチーズの味、その血液から造るブディングの製法が書いてあります。その他、その牝の物凄い喧嘩、その叫び声−これについては、恋人を呼ぶ時の声、お腹が空いた時の鳴き声と仲々くわしいです。それから彼等の年令の数え方、角の又で見る法から、歯の渦、更に尻尾の襞で数える法まで実に親切を極めているという可です。全くの話がね」
「ですから、この一冊を持っていたら、先ず絶対安心、相手がどんな狡猾な不正直な野郎でも、あなたに向かっては、おいぼれの馴鹿を引っ張ってきて、こいつはまだ年も若く敏捷で素直でと弁舌を儘くして売りつけようたって、そうは問屋が卸さない、ってものです。(後略)」
まあ、こんな本をよくもペルーの秘境に持ってきたものだと思う。しかし、さすがにミスター三。この本を五十四セントで売りつけられてしまう。
ところが対価に受け取った金塊にラジウムが入っていたから大変、もうけたと喜んだ男は一晩で白髪になってしまう。(こんなもので済むとも思えないが)翌日、抗議をするのだが、このまぬけ探検隊がなにを考えているのかよくわからない。
ミスター三に圧倒的な科学力と知的能力を示されているのに、下等なインディオと扱おうとする白人の姿が可笑しいが、人種差別を皮肉っているようにはみえない。ミスター三のほうでも自分の能力を見せつけるため、突然チェスをやろうと言い出し、十手で相手を打ち負かすという、よく考えてみると無意味なことをする。だいたい、名前が数字でなければ非科学的だと言い出すあたりに、この作者のセンスのしょうもなさがある。
さて、ミスター三の正体はやっぱり宇宙人であった。彼はラジウムの採掘を終わり標本用として地球人を一体さらい宇宙船に乗って帰っていく。
ところが、残った探検隊が信じられないほど間抜けであり、一人はいまだにミスター三はインカの子孫と思い込んでいるし、もう一人はオーストリアかロシアの陰謀と信じているのだ。(書き忘れたが、時代は一九二〇年なのだ。)
ここで唐突に地理学協会長デロング博士の報告書という形になる。デロング博士は、このまぬけ探検隊の報告書を分析し、ミスター三が木星から来た植物から進化した宇宙人であるという大胆な推理をしたのち、この探検隊員達にノーベル賞を与えるべきだと言い出す。
なんで、ここで伏線もなにもなしにノーベル賞が出てくるのかデミング博士の発想がわからない。博士によると受賞の理由はラジウムの利用,読心術の利用,遊星間旅行の可能性を示したからだという。これはノーベル賞のうちどの賞に該当するのだろうか。ところがラストを見ると仰天する。ノーベル賞はミスター三の正体を推理したデミング博士に送られたというのだ。未知との遭遇をした割にあまりにもヘンな落ちだ。これはノーベル推理学賞なのだろうか。
僕はこの作品を読んだ後、その意味に大変悩んだが、未だにわからない。とにかく宇宙人を出すためだけに出てきた宇宙人という雰囲気なのだ。これはひょっとして一九五〇年ごろの作品ではなく、かなり古いものなのかもしれない。
さて、今回は日本SF史に残る貴重な資料、これまで紹介してきたトンデモ本とは少々趣が違う−ということでやってみたが読者の感想はいかがなものだろう。それにしても、昔の本の紹介は本当に難しい。困ったものだ。
さて、昭和が終わって平成となった。これに関するトンデモ本があるかと思うと、なぜだかあるのだ。昭和61年3月9日にでた『ハレー彗星と新・昭和』(佐藤一段著:情報センター出版局発行)という本だ。前にハレー彗星の本の大部分には目を通したことがあるが、まさかハレー彗星が去ってからキワものが出るとは思わなかったので最近まで気がつかなかったが、これが、やっぱりトンデもない本なのである。
タイトルの新・昭和は昭和の次の年号を意味している。この本によると、前回ハレー彗星が接近した一九一〇年の二年後に明治が終わっている。ゆえにあと二年で昭和も終わるという荒っぽい論理だが、なぜか結果は的中しているといってよい。
この本の副題は「あの彗星が告げた世紀末経済の時代学」というが、書いてあることはほとんどみんなおかしい。スペースシャトルが爆発したのも、田中角栄が倒れたのもハレー彗星のためにしてしまう論理がすごい。ハレー彗星の出現は常に歴史の転換点にあったといい、年表まで書いているが、どんな年にも何かの事件は起きているもので説得力は全くない。(秦の始皇帝もシーザーもハレー彗星のために滅びたと著者は主張する。)
しかし最大の予言を的中させているのだから少しくらい威張ってもいいかもしれない。あの『ヘンリー大王とヤマト救世主』の著者は、最近『21世紀超予言』という続編を出し、前作の予言は全くはずれているのに威張っている。
『21世紀超予言』は笑えるという意味では笑えるので書店で見かけたら多少ページをめくってみることをお勧めする。買うことはないと思うけど・・・
・・・・という原稿を書き上げたところ、けたたましく電話のベルが鳴り、「と」の編集長が焦った口調で言った。
「余桁さん、第4回で紹介している『ハレー彗星の大陰謀』という本、SFマガジンで紹介されていますよ。」
「な、なに!?」
「SFマガジン第二七六号のSFレビュウ、評者は大宮信光さんです。」
「そんな、なにかの間違いだろ。いくら何でも、あんなデタラメ本を・・・」
「いえ、確かです。大宮さんも「解せない」とは書いていますが、紹介していることは確かです。」
「ま、まずい。俺の立場はどうなる。誰も紹介していないと信じていたから書いたのに。」
これは重大な種類のミスである。なにしろ、横田さんが『月面の盗賊』に気がつかずに『火星航空賊』を紹介してしまったら、たちまち超人気コラム『こてん古典』が不定期連載になり、数回にして終了という事態になってしまったくらいだ。おまけに、この夏には『ごでん誤伝』の単行本化が控えている。いまさら誤魔化すわけにはいかない。これは、相当に面倒だぞと思っていると、さらに攻撃が続いた。
「それにしても、余桁さん。SFマガジンを読んでなかったんですか。」
知るかい!そんなもの。とは言うものの、この編集長、休日には一人でインデックスを作るのが趣味という恐ろしい男である。だから、古いSFマガジンを読み返すなどという人がやらないようなことを平気でするのだ。
「あ… あの、新しい第4回を、これからすぐ書くよ。ハレー彗星は抜かして、なにか別のネタを入れて・・・」
「まあ、無理でしょうねえ。」
「で…でもさあ、アマチュアなら、そんなことをやることもあるかもしれないじゃないか。プロと名のつく人ではないんだし。」
「ま、とりあえず、来月号は続けることにしましょう。ところで余桁さん、「と」に、なにかおもしろい連載のできる人いたら紹介していただけませんか?」
「あ、あの『日本SFごでん誤伝』おもしろいですよ。」
「さ〜どうですかねえ。あれもアイデアだけの一発ものですからねえ。」
「わあっ〜!!」(激しく泣きじゃくる)
ここで編集長はひとこと「アホ」と小声でつぶやき、電話をきったのだった。はたして次回の「と」に『ごでん誤伝』は載るか。筆者に迫る危機!又危機!!