TDSF叢書1

日本SFごでん誤伝

余桁分彌(現 藤倉珊)著

TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行

第三部 見ないへの旅



第17回  ぼくのごでん誤伝日記

 なーがい間、お休みしてしまったあとで申し訳ないが、現在僕の頭は大混乱におちいっていてまともな原稿など書けそうにないのである。なんで、こんなに混乱しているかというと、(1)書店クジが全然当たらない。 (2)横田順彌が僕の美貌の秘密を探ろうとしている。 (3)米国の対日貿易赤字が増大している。(4)トイレのドアが閉まらなくなった。 (5)服を脱いでからお風呂に入った、そのほか、数十の事情が重なって、とうとう神田古本祭りが中止になるという理不尽なことになってしまった。
 こういう状態だから、まともに本など読めっこない。よめが来ないと僕の人生は真っ暗だけど、いいのだ。どうせ僕の人生など一生まっくらに決まっているのだ。原稿なんて知ったことか。さあ、殺せ!
 と言うわけで(どういう訳だ?)今回は横田大師匠にならって〆切までに原稿が書けなかった経緯などを書いて『ぼくのごでん誤伝日記』と称して公開することにする。するんだってば。

10月○日
 この前のTDSFの会合で『ごでん誤伝』の数少ない熱心な読者である凹凹氏が
「こんな本は、お役に立ちませんか?」
といって、講談社現代新書の『ゾロアスターの神秘思想』という本を持ってきてくれた。発行は今年の2月。まえから少し気にはしていた本である。僕がフムフムなどと唸っていると凹凹氏は
「これ、前半はマトモそうだけども、後半がトンデモ本ですねぇ」
と教えてくれた。僕は、とにかくその本を借りることにした。自分の趣味が前提になっているにしろ、わざわざ、僕のために持ってきてくれた気持ちがとてもうれしかったからだし、そのうえ借りるのはタダなのだ。
 さっそく読んでみたが前半は確かにまじめな解説書、マイナーなゾロアスター教の資料としては貴重な本といえるだろう。
 しかし後半、「東西宗教への影響」あたりから怪しくなってくる。なんでもかんでもゾロアスターに結びつける強引さが目立つのだ。ついには、こんなことを言い始める。

むろんベーメも、ピコの場合と同じく、ゾロアスターに結びつく歴史的事実 は何一つない。しかし、人間の霊性は、一般人の思っている以上に不可思議で あって、容易に時空を超越する。ユングの主張するように、無意識の領域にお いてさえ、マンダラの名を聞いたこともないヨーロッパ人が、インドの密教的 な絵図を夢に見る。それゆえ、人智学のシュタイナーの説くような、全人類の 記録がのこされているとするアーカーシック・レコードの存在を信じなくても 古代ペルシアの予言者と感応道交することは十分可能である。まして、ゾロア スター教の説にあるように、天界に守護霊が存在し、有縁の人に働きかけてい るとするのなら、なおさらである。

 これは確かにトンデモなさそうである。しかしこれ以上引用しても中近東の宗教史について知識がなければわからないだろう。一回読んだ僕もよく分からない・・・これ以上書くには勉強が必要だし、どのみちこれ一冊では一章もちそうにないし、〆切までによ〜く考えてみよう!

十月×日
 岩波文庫から『中谷宇吉郎随筆集』が出たので買う。それで思い出したのが『「立春の卵」と「コロンブスの卵」』(津野正郎著:出版研 S62年)という本のこと。
 中谷宇吉郎の随筆のなかで最も有名な作品は『立春の卵』であろうが、この本はギネスブックにも載っている立卵数世界記録を樹立したという立卵研究家!と名のる人物が卵を立たせるというテーマのみで一冊の本にしてしまったという、まるで信じられないような恐ろしい本なのだ。キャッチフレーズが「あなたにも立てられる…」というのだから、なんだかわからないけど、とにかくスゴい。
 『ごでん誤伝』でも前からこの本の紹介をしようとは思っていたが、うまい機会がみつからないままになっていたのだ。『中谷宇吉郎随筆集』に絡めてなんとか考えてみよう。

十月○日
 予想以上に『中谷宇吉郎随筆集』が面白く一気に読んでしまう。さすがに一流の科学者ともなるとSFへの理解もたいしたもので、教育のために娘に『ロストワールド』を読ませたなどという話はSFファンとしてもおもしろい。卵を立たせる話にしても『「立春の卵」と「コロンブスの卵」』と比べると当たり前ながら雲泥の差。なんで僕はわざわざトンデモない本を読んでいるのか分からなくなって悩む。考えても分からないので寝る。原稿書かず。

十月△日
 荒俣宏氏の『奇っ怪紳士録』をようやく読み終わる。この中でトンデモ本に関係したところで面白いのは、大正時代に『成吉思汗は源義経也』という本を出した小谷部全一郎という人のエピソード。さらに彼の先輩として『ごでん誤伝』第11回でとりあげた木村鷹太郎氏が紹介されている。
 これを見て思ったが、こういった奇っ怪な歴史学も独立してあるのではなく、異説の流れがあるのではなかろうか。つまり、明治の木村鷹太郎、大正の小谷部全一郎、昭和の八切止夫というような連続的な系統樹が書けるのではなかろうか。歴史学にしても自然科学にしても表の流れとは別に裏の流れがあるのではなかろうか。
 話が大きくなってしまったが、こうした人はいつの時代にもいるという話にすぎないのかもしれない。こうした奇説を集めて分析してみたいような気もするが、とても僕の力の及ぶ範囲ではないのでパスしよう。ただ注意しておきたいのは、大正時代だから小谷部全一郎のような人が出てきたわけではないことだ。『成吉思汗の秘密』という本がベストセラーになったのはつい最近のことなのだから。
 なお、高木彬光氏の『成吉思汗の秘密』に依ると、義経=ジンギスカン説は少なくとも江戸時代にはすでに成立していたようだ。すると、この系譜はさらに遡ることになる。どうかんがえても僕の手には余る課題だ。ところで『成吉思汗は源義経也』とその続編である『続、成吉思汗は源義経也、著述の動機と再論』という本は実は近所の古本屋にあるのだが、一冊四千円などという値をつけているので、とても買う気になれない。

十月×日
 前々から欲しいと思っていた『万葉集の謎』(安田徳太郎著、カッパブックス:昭和三十年)という本を手に入れる。この本は「日本語のもとはレプチャ語である」と主張し、当時たいへんなベストセラーになったと聞いているが、案外みつからないもので、今日ようやく百円で入手したものである。ベストセラーといえどもはかないものである。
 レプチャ語とは、あまり聞かない名前だが、ヒマラヤの谷間の少数民族が使っている言葉である。僕が何でこの本を探していたかというと、この新説に当時の学者が総攻撃し、当時の言語学・日本史関係の本にたいてい日本語レプチャ語起源説の罵倒が載るという現象を起こしているからだ。今では、こんな説を知っている人のほうが珍しいのではないかと思えるが、罵倒を載せた本のほうは今日まで残っている。
 どうしてレプチャ語説が罵倒されたかというと、木村鷹太郎の語呂あわせと同様に、単語の語呂あわせしかしていなかったからだという。実際、内容はほぼ語呂あわせの羅列で、始めはおもしろいが、一冊続くと非常に疲れてくる。チュー・チュー・タコ・カイ・ナはレプチャ語で一二三四五の意味だなどという興味深い指摘もあるが、総じてなんでベストセラーになったのかわからない。
 この本は昭和三十年ごろに大ブームを巻き起こしたが、注目したいことは大学者、金田一春彦氏が、「万葉集の謎は英語で解ける」という反論を文芸春秋に書いていること。この記事は未見だが、ようするに単に語呂あわせならば、英語と日本語でも無数に例があるということを実例をもって示したものという。
 清水義範氏のパステーシュ小説に『序文』という作品があり、英語の語源は日本語であるという説を立てた人が書いた序文という形になっているが、そのヒントになったのは恐らくこの事件だろう。しかし日本語の語源についてはあやしげな本がかなり多いようだから、ほんとのところはわからない。この分野は奇説怪説の宝庫だとは思うのだが、調べていく時間がない。誰かやってくれる人はないものだろうか。

十月□日
 もう締切も近い。レプチャ語もうまく原稿になりそうにないのでたいへんアセる。なにか無いかと本棚を物色していると、なんにもなくて、少女マンガが三十冊くらい崩れ落ちてきただけだった。で、佐々木倫子などを読み返して時間がつぶれてしまったのだが、これではいかんと再度、本棚を物色してようやく『国史異論奇説新學説考』という本をひっぱりだした。これは昭和十二年の本。藤井尚治という新聞記者が趣味で?奇説を集めてまとめた本。日本書荘という出版社から定価一円五十銭で発行されている。名前につられて買ったものの今日まで忘れていた本だ。
 さっそく読み始めたものの、第一章が『山男と日本に於ける類人猿』といい、これがなにかというと、富山県の山奥に今も未知の類人猿が住んでいるというもの。いくら戦前でもこれはヒドいのではないかい。あの小栗虫太郎『人外魔境』のなかでも未知の類人猿がいるのは大アマゾンの奥地なのである。
 なんでも『北越奇談』という本に江戸時代にこの辺りで原始人みたいな「山男」をみたという記録があるということにふれたあと、昭和九年の富山県新川郡泊区域の小学校長会の報告では、いま(昭和九年)も山奥に類人猿がいるので教育上の問題になっているということが書いてある。教育上の問題とはいったいどういうことなのか、よく分からない。類人猿が人間としたら義務教育を受けさせねばならないと考えたのだろうか。うーん。だけど、ひょっとしたら被差別部落問題が絡んでいるのかもしれない。そーだとしたら気安く原稿にするわけにもいかない。困った。などと思っていたら、もう午前2時、少女マンガに時間を取られ過ぎて時間がないのでもう寝る。

十月○日
 原稿を書こうと思って、参考のためこれまで『と』に書いた『ごでん誤伝』を読み返す。おもしろい。読み進むうちに、ほんとうに、これを自分で書いたのかと、ふしぎな気持ちになってくる。同時に、けれど、これを喜ぶ読者は、そうは多くないと確信する。
 TDSFでO凹と行在氏が『ごでん誤伝』をおもしろいと言ってくれる。たとえ仲間うちの言であっても、おもしろいといわれるのは、うれしい。同人誌といえども、ものを書く人間にとっては、なによりの励みだ。次回も、そういわれたい。
 今日も原稿書かず。明日よりノルマ一ページと決めて、必ず〆切には間に合わせるつもりと日記には書いておこう。

十月×日  ああ、もう原稿まにあわない。

 その後、富山県の類人猿について、SFマガジンの二八五号(82年4月号)掲載の『科学冒険時代』で會津信吾氏が『北越雪譜』という本のなかに野人のことが書いているということを既に書かれていることに気がついた。
 『北越雪譜』と『北越奇談』がどういう関係にあるのかは不明だが、同一の事件を示しているのは明らかのようだ。




日本SFごでん誤伝連載第18回に続く


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