余桁分彌(現 藤倉珊)著
TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行
横田順彌氏が『こてん古典』に書いていることころによると、『日本沈没』やノストラダムスの『大予言』の影響で占いがはやっているけど、どこの馬の骨だかわからないような占い屋がでてきて、口から出まかせをいうのはおもしろくないという。
前々回紹介した『ヘンリー大王とヤマトメシア』はホントに出まかせな予言ばかりだったが、予言自体は面白かったと思う。あのくらいメチャクチャだと始めから当たる心配はしなくてすむ。本人はどーいうつもりか知らんけど。
『こてん古典』の連載が始まってからしばらくして、五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』が大ブームを起こし、社会現象にまでなった。あれからもう十五年。SF界もずいぶんと変わったものだが、予言書界にも大きな変化があった。
まず五島勉氏がああも沢山『ノストラ』の続編を書き続けるとは、おそらくは当人にも予言できなかったことに違いない。このままでは一九九九年までに『ノストラダムスの大予言』はXIIぐらいになり、二千年になると『本当の解釈はこうだった』という本を出すに違いない。
こんど五島勉氏には
『先生。十年先の予言を解読するのに十年かかってもやっぱり予言って言うんですか?』と聞いてみたいと思う。
さて、この十年のうちにノストラダムスに関する資料が原典を含めて多数出版され、誰でも気軽に(?)ノストラダムスを論じられるようになってきてしまった。高木彬光氏の『ノストラダムス大予言の秘密』を見ると五島氏への反論を立証するのにかなり苦労されたようであるが、今ならばそれほどのこともない。第一、真にうける人がいない。(それにしても、反論のほうが文庫になるのに五島氏の大予言シリーズが文庫にならないのはなぜだろうか。)
さて今では、ノストラ関係の本は数多く出ているが、この九月、ついにトンデモないノストラダムスの決定版ともいうべき本がでた。川尻徹著の『ノストラダムス−メシアの法』(二見書房)がその本である。『諸世紀』戦慄の新解釈と称しているが、これは爆笑の新解釈にしたほうがよさそう。とにかく笑えるノストラダムス。
川尻氏は本職は医者であり、この本についている略歴によると
航空神経症および老人性精神医学を専門に研究する傍ら、あまたの歴史資料をひもとき、驚くべき洞察によって、独自の川尻流ノストラダムス解釈を打ちたてる。
とある。この驚くべき洞察とは掛け値なしに本当に驚いたものである。今までいろいろな予言を見てきたが、これほど途方もない方法は初めてだ。さっそく実例を示そう。エイズを予言しているとする部分の解釈を次に引用する。
〔原文〕Grand cite a soldats abandonnee 兵士たちにゆだねられた大都市 Onc ny eut mortel tumult si proche, 致命的な騒乱がこれほどまで切迫した例はない O qu'elle hideuse calamite s'approche, おお 世にも恐るべき災厄が近づく Fors une offense n'y sera pardonnee. ひとつの攻撃しか許されないだろうまず一行目の原文を見てみよう。Grand cite a soldats abandonnee,
下線部をつないで並べ換えれば、はっきり「AIDS」が浮かびあがってくる。となればこの一行目の「兵士たちにゆだねられた大都市」とは「エイズの猛威に晒された大都市」の意になるであろう。その大都市の名が、二行目の原文に記されている。
ny
NY。そう、もちろんエイズ発祥の地・ニューヨークのことにほかならない。そして「致命的な騒乱が これほどまで切迫した例はない」には、文字どおり、過去に例のない致命的な病気・エイズが、アメリカに深刻な危機を投げかけることがはっきり予言されているだろう。
では四行目の「ひとつの攻撃しか許されないだろう」とはどういう意味か?当然ながら、エイズを攻撃−撲滅する方法はひとつしかないとの意味に解釈できよう。その方法が、三行目の原文に暗示されている、と私は考える。
O qu'elle hideuse calamite s'approche,
まず四番目の単語「calamite」に注目。これはローマ字読みすればカラミテ−−搦め手と読めるだろう。つまりノストラダムスは、エイズ撲滅はワクチン等の正攻法は効き目がなく、いわば搦め手から攻めるしかないとここでいっているのだ。それが三番目の単語に示されている。「hideuse 」−−火で消せ。
具体的には明らかではないが、何らかの形で火を用いる療法がエイズ治療に効果を発揮すると、ノストラダムスは暗示しているのである。そういえば、かって中世のヨーロッパでペストの蔓延を食い止めたのは、町を火で焼き払うことによってであった。そう考えると、実に暗示的な予言ではあるまいか。
さらに最後の単語「 s'approche 」にも注目である。ここからSAPPORO−札幌が連想できるだろう。ということは、その療法は札幌で発見されるということだ。その時期が詩番号で示されている。六−九六− 一九九六年六月だ。
これはすごい。これまでノストラダムスはいろいろに解釈されてきたが原詩をローマ字読みして日本語で解釈した人はたぶん初めてだろう。さすがの五島氏もこれには唖然としたことだろう。しかも、この方法は楽だ。じっさいフランス語で解釈しても強引なこじつけをするしかないのだから、日本語で解釈しても信憑性はたいして変わらないのかもしれないが。
ことわっておくが、エイズに関する部分を紹介したのはここが短くまとまっているからで、一番ヒドいところだからではない。これなどまだ単語が原形をとどめている分、この本ではまともなほうなのだ。
ヒドい解釈になると、原詩の単語から適当にアルファベットを抜き出し、適当に並べ替えて解釈するのだ。もちろん中世フランス語ではなく、英語(それも現代)か日本語であり、これだけでも何でもできそうな気がするが、そのうえダジャレまで使うのだからものずごいとかいいようがない。
次に示すのは、著者が韓国のノテウ大統領の暗殺を示しているとする部分である。これはノストラダムス原詩の第二章二七番の一行目である。
Le divin verbe sera du ciel frappe
これの、どこに韓国がしめされているかというとcielのcie を並べ換えると iceになる。また frappe にはフランス語で「氷で冷やす」という意味があると著者は言う。めずらしくもフランス語といっているがフラッペは日本語にもなっているから大したことはない。ところで、これがなぜ韓国示すかというと「氷−コーリア−韓国」であるというのだ。
次に同じ詩の四行目にはノテウ大統領の名が隠されているという。
Qu' on merchera par dessus & devant
いったい、どこがノテウと読めるのか。驚いてはいけない。「on」と「dessus」のeとu、それに「devant」のtを抜き出して並べ換えると「noteu」となるというのだ。これはひどい。こんなやり方ではなんでも出来る。だいたい廬泰愚大統領のローマ字表記はたしかRohTaeWoo であるはずでnoteuでは日本人にしか通用しない。この方法ならreuvan(レーガン)でもnacasome(中曽根)でも自由自在ではないか。しかし、この本は全編この調子ですすむのだ。まことに凄いとしかいいようがない。
著者は平然と
私にはいささか自負がある。それは、ノストラダムスが予言詩のなかに幾重にも織り込んだ暗号を、自由自在に解読できるということである。
と言ってのける。ここで隠された暗号とは終末の予言ばかりではない。この本は「山本五十六」や「9の机文字事件」や安藤広重の「東海道五十三次」などノストラダムスからはちょっと想像できないものをこの調子で次々と絡め付けるというほとんどキ○ガイみたいな本なのだ。
ところが、この本が発売と同時にベストセラーになり、売れ続けているというのは何故なのだろうか。もちろんギャグとして読まれているわけではなかろう。こーいう本に七五〇円の金を払い、しかも納得して読んでいるというのだから昭和末期という時代は大正や明治に比べてもはるかにすごい時代なのだとしか言いようがない。
ところで『本の雑誌』の11月号に自在眼鏡というコラムが載っていて、この本が取り上げられている。しかも、内容ではなくカバー折り返しに印刷された著者略歴の上に著者近影ではなくノストラダムスの銅像らしい写真が載っているということだけに一ページを費やしているのだ。さすがに『本の雑誌』、目の付けどころが違う。まったく参りました。それから僕はおくゆかしいから、このコラムの後のほうで、この『ごでん誤伝』が紹介されていて、「面白い」と絶賛されていることなどは書かないのだ。どうだ。おくゆかしいだろう。