余桁分彌(現 藤倉珊)著
TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行
おかげさまで『日本SFごでん誤伝』たいへん好評であります。この前ではSF大会で買ったファンジンの内で、これほどおもしろい企画は初めてとまで言われ、感激のあまり思わず抱きついてしまいそうになってしまいました。
ところで『ごでん誤伝』の資料を集めるのはどうでもいい本ばかりあつかうのだから、楽ではないかと思う人がいるかもしれないが、これでなかなか苦労は多い。とくに連載を始めてからは偶然をあてにしてトンデモ本が飛び込んでくるのを待ってはいられないので大変だ。なにせ、一度のがしたら二度と手に入らないことが多いのがトンデモ本である。よく古本を集めている人が
「この前に五百円でみた本が神田だと八千円だよ〜」
とか言っているが、金を積めば手に入るならば、まだ良い状態だと言うべきだろう。たとえ手に入らなくとも、この世に確かに存在し、保存されているならば、まあ安心というべきである。動機はともあれ、古本屋が保存してくれているという考え方もあるのだ。
ところが、トンデモ本の場合、保存してくれているところは全く無い。(当然だが)失ってしまったらたいていそれきりなのだ。文化財の保護か、種の絶滅の救済ぐらいまで覚悟しなければトンデモ本の収集など出来るわけがない。
しかもだ。苦労して手にいれても一文の価値もないのである。それどころか、高値で買って次の日、ゾッキ本屋に捨て値で並んでいたなんてこともザラにある。いや本来、ゾッキ本屋に並ぶのが相応しい本なのだから、しょうがないのだが、この本はゾッキになると信じて買わずにいるということは出来ない。古本屋にならぶ可能性も非常に少ない。しかたなしに定価で買うより方法がないのだ。
ここでトンデモ本の多くは定価が高いという事実がある。当然のことで出版するほうもこんな本は売れないと分っているのだから、少ない部数で回収しようして高くなるのである。これやあれやで僕のサイフはますます軽くなるのである。これが泣かずにいられよか。
さて、ここで一冊買えば五十冊プレゼントするという奇跡のような本があったらどうしよう。今月はそういう本を紹介することにしよう。
『海洋渡来日本史』がその本の名だ。この本は昭和56年に日本シェル出版から出ているが、これは明治時代に木村鷹太郎という人が出した本を八切止夫という人が編集のうえ復刻したものだという。この八切止夫氏の名を知っている人も多いと思うが、『信長殺し光秀ではない』とか『上杉謙信は女だった』など多数の異説ものを書いているトンデモ本作家?である。この復刻者もなかなか大変なのだが(ここでは大いに変という意味)、彼が先駆者と仰ぐ木村鷹太郎氏は輪をかけて大変という人で、つまり、この本は二重のトンデモ本になっているというオソロしい本なのである。
帯に自分で「天下の奇書」と書いているだけのことはある。(先月の大正時代に続いて、まがりなりにも明治の本を紹介することになった。この調子で行くと次は江戸、最終的には神代文字のトンデモ本になるかもしれないぞ。)
この本は題名から想像すると日本人の祖先は南方系で黒潮に乗ってやって来たというような主張をすると誰氏も思うだろう。しかし、それはアマい。(アマチュアの考えの意味)
木村氏の主張によると日本人は古代エジプト人であり、古代ギリシャ人であり、古代ローマ人でもあってかっては世界を統一した大文明を築いていたという。その根拠の一つは日本神話とエジプト、ギリシャ、ローマ神話が同一であるからという。例をあげよう。(難読な単語は〔〕で読みを示した。)
伊邪那岐尊は希臘〔ギリシャ〕神話のゼウスにして其黄泉行きの神話はオルフェウ ス及びオヂュツセウスの黄泉行きと同一たるなり。
伊邪那岐尊が世界を天と地と海原に分ち、以て三貴子に治めしめ給ひしは希臘神話 に其同一のもの有りて存し、而も特に天界を女神天照大御神に興え給ひしは希臘神話 に在っては、同じく天を女神アテナイの神に興え給ひしと同一にして、此女神は農耕 の神たるの點〔点〕に於いて、織杼の神たるの點に於いて、馬の關係あるの點に於い て、又た武装して厳として其国家を守護し給ふの點に於いて全然同一なりと謂ふべく、 殊に天照大御神は「渡會」の郡に居ます神たり、希臘に在ってはアテナイの神にして 「ワタライ」と「アテナイ」とは同一語『天』即ち大日靈を意味せるAthenai の訛れ るものにして、一は其居ます地名なり、他は直ちに其地名を以って神名と為せしもの なり。
須佐之男尊は希臘神話に於いてはペルセウスとして傳〔伝〕はれり。ペルセウスと はペルシャ(波斯國)の名稱と同一にして須佐之男尊は波斯古代の首府スサの名稱と なり、彼の神名は國〔国〕名となり、二者同一神の別傳たるを知るなり。且つ其大蛇 を斬るや兩者同一たり、女子を救ふや同一たり、寳劒〔宝剣〕を得るや同一たり、兩 神話全然同一にして一點疑問の餘地あるなし。
アテナと天照大御神が同一であるとはセイント星矢もビックリ!
それにしても蛇を退治して女を救うだけの話ならば世界中にいくらでもある。いくら明治といえどもヒドイのではなかろうか。
ことわっておくが、この二つは比較的説得力のある例なのである。説得力のない例としては大國主神=ヨセフ、日本武尊=アポロン、佐保姫=シバの女王、本年知別玉(ホムチワケノミコ)=マホメット、仁徳天皇=聖帝=セティ(エジプト王)、任那=マケドニア、三毛入野命=ミケイリノ(エジプト王)などなど。名が似ていたり少しでも共通点があれば日本人にしてしまう根性が凄い。
これらの主張は年代を全く無視しているが、内容も矛盾しており、日本武尊=アポロンであるはずだが、別のところには 日本武尊=釈迦=マホメット=後醍醐天皇 などと主張している。この根拠の薄弱さを示すために解説すると、日本武尊は「巧言以って暴神を調へ、武を振るって姦鬼を攘へ」とある。ゆえに、言葉と剣を使う者は全て日本武尊であるという理論なのである。 即ちマホメットは「剣かコーランか」であるから日本武尊であり、後醍醐天皇は大平記によると崩御されたとき、左手に法華経、右手に剣を持っていたので日本武尊になるのである。
さて、人名が似ているだけではない。日本語と古代ギリシャ語は同一起源であると主張し、実例を挙げて論じている。つまりギリシャ語、ラテン語等と日本語は共通点が多いとする。この例が面白いので引用するが主としてギリシャ,ラテン語との比較であり十ページもかけて百七の例を挙げているが、僕はギリシャ語、ラテン語が分からない。読者も 同じと思うので、英語、ドイツ語の例を中心に書き写す。
英語 | ドイツ語 | ギリシャ語(抜粋) |
---|---|---|
夕べ−Eve (イブ) 君(キミ) −King 籠(カゴ−ケージ) −Cage 潮−Sea ソロリ−Slowly ダメ−Damage どろ−Dross ナムボ(幾何、何程) −Number 骨−Bone(ボネ) 身−Me 百合−Lily |
買う−Kauf ナホ(尚) −Noch カケ(鶏) −Kokke 名前−Name(ナーメ) ハブン(半分) −Halben もって(以って) −Mit |
ニイ(新) −Nie 物(一つ) −Monos キセル(管) −Xeros ワタ(海) −Water 姫−Hymen(ヒメン) フシギ− Psyche |
これを比較言語学と称するから凄い。文法を全く無視しているし、だいたいキセルなどという外来語をもって来る神経がすごい。日本語の起源は、やれレプチャ語だとか、タミール語だとか、さてまたドラビダ語だとか言う人がいるが、ギリシャ語というのは初めて見た。清水義範氏の作品に英語の語源は日本語であるというものがあったが、なにかの影響をあたえているのだろうか。
ともあれ、この書によると神武天皇はアフリカのセネガル出身であり、その地を出て世界を統一したという。引用も考えたが、歴史の解説は全く無く、日本書記等の地名と世界各地の地名をごろあわせしているだけなので、やめておく。
僕は、世界を統一した日本がなぜ極東の一島国になってしまったのか、説明が全くないことが不思議に思うが、著者は「非常なる長年月の間に、漸次極西より東方へ移転せし」というのみである。
引用は疲れるので地図を一枚示すことにしよう。本当はこの本が日本のファシズム化に貢献した形跡も大なのだが、そんなことを言うと僕の手には負えなくなるので笑うだけですましてしまおう。
そう言えば、『海洋渡来日本史』という書名になっているが、この本に海洋渡来の記述はない。なししろ「極東の一島国」に対しては殆ど何も述べていないのだから渡来についても書けない。この本は先に述べたように、八切氏編による復刻だから全てを復刻していないのかも知れないが、それについての記載はない。
さて、この本は二重トンデモ本であって、本のあちこちに八切氏の私見が述べられており、「一読しただけでは荒唐無稽の感もするが、読み比べてみると成程とうなずけるものがある。」などと書かれている。
特にすごいのは序文で、八切氏は「木村も日本より欧米で有名なのは私と同じで島国根性の国では、うとまれるものゆえ敢て本書を復刻した。」と言うが、島国根性の国という時点で「本書の内容」を無視したものと解す他はない。
さて八切氏は自身たっぷりに見えるが、次の「無料本50冊謹贈呈」をみるとオドロカナイわけにはいかない。これが何を意味しているかは、読者が自由に考えていいと思う。この不思議な迫力を伝えるため、そのままコピーした。
確かにタダより安いものはないが、僕はこの50冊を申し込む気になれないでいる。しかし折角だから誰か、これを申し込んで50冊の比較検討をしてほしいものだ。
(と書くと自分で申し込めといわれそうだが、僕はあくまで新たなトンデモ本を発掘し提供することを目的としていて、ほぼ同様と予想できる50冊を全部読む気にはなれないのだ。と言って逃げてしまおう。)では、また来月。