TDSF叢書1

日本SFごでん誤伝

余桁分彌(現 藤倉珊)著

TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行

第二部 異常への旅



第10回  なぜか大正時代の誤伝

 SF大会で柴野拓美氏出品による古本市があった。前々からSF古本ゴロである僕としては結構収穫があったが、なかでも『小人島十年史』が入手できたことがうれしい。
 知る人ぞ知る。『こてん古典』第55回で横田氏が一回(約三十枚)まるまる使って紹介し「まさに、こてん古典向きの一冊」とまで評した珍品中の珍品である。『こてん古典』でも一回に一作品だけという例は非常に少ない。
 さっそく読んでみたが、正に珍品だ。けして駄作ではなく、しかし傑作とはとうてい言えない、時代を考えると存在自体が奇跡のようで、しかも納得してしまうという不思議な本だ。いや、こんなことを言うよりも『こてん古典』の第三巻を見ていただきたい。横田さんが、三十枚かけて「うまく要約できない」という作品を僕がうまく紹介できるわけがないのだ。

 さて、この本を入手したとき困ったことがあった。一日目にこの本を注文したのは僕一人であり、たぶん難無く手に入るだろうと思っていたのだが、二日目になると数人から注文がある。やはり締め間際に殺到するのだろうかと思ったが、そうではないようだ。なぜなら同程度の本にそんな現象が起きていないのだ。
 なぜ、こんなに注文があるのか。不思議におもって注文したひとに聞いてみたらトンデモナイことがわかった。なんと、この本がどんな本かは全然知らないが、昨日宿舎でこの本が『こてん古典』で紹介されているなどと話している奴がいたからだという。話をよーく聞いてみると、どうやらそれは僕のことらしい。
 うーん、これは全く困ったことだ。『こてん古典』に載ったと知るとこれまで、そんな本には見向きもしなかった人が、「ああ、それなら、俺もほしい」というわけで色気をみせる。もう、こうなったら、僕の手になど入らない。
 実に弱ったものだ。それにしても、まさか自分で自分の首を絞めることになるとは、思わなかった。悪いコレクターは入手の話をしたがらないなどと言う人がいるが、こういうこともあるのだ。(今の例は少しマヌケが過ぎたようだが。)今後はなるべく話さないようにしよう。
(ところで、高値になっても無理して入手してしまう自分が悲しい。)

 さて、『小人島十年史』の話はこのぐらいにして、トンデモ本を紹介する本来の姿にもどろう。そして唐突だが、大正時代のトンデモ本について書くことにしよう。もう、今回あたり、そろそろ古いものでも紹介しないと読者と編集部から軽く見られてしまいそうだ。

 さて今回紹介する本は、その名も『科學奇聞大觀』という。大正時代の科学啓蒙書の一冊で厚さが六センチもある本だ。発行は大正十二年六月。この年は九月にあの大震災があった年である。もう気分は『帝都物語』か『はいからさんが通る』。
 さてこうした古い科学書の場合、現代の目から見るとほとんど全てトンデモ本になってしまうという考え方もある。しかし、それは良くない。トンデモ本はその発行当時、すでにトンデモ本でなくてはならない。フロギストンがあろうが、潮汐説があろうが、それが当時通用していた学説ならば、それを今日の目から見てデタラメあつかいすることは感心できることではないだろう。
 ただし、この本の場合はいくら当時でも充分におかしいとしか思えない記述でいっぱいなのだ。なにせ奇聞である。現代で言えば『ニュートン』創刊のころ、やたら現れた科学雑誌モドキのたぐいに似た雰囲気がある。
 出版社は共益社というところ。東京市牛込区にあったというが僕は全然知らない。文化普及學会というところが編纂したというが、これもどんな団体かよくわからない。ただ物理、化学、生物、地学はもちろんのこと建築、航空、食品、美容にいたるまで守備範囲があまりにも幅広いため、ちょっと信用しがたいところがある。
 記事には署名が入っているが××理学士ということが多く、当時の大学卒の地位の高さがうかがえる。現代では修士でも掃いて捨てるほどいてゴミ扱いだというのに。(別に信じなくてもかまわないが僕は工学修士なのである。)
 愚痴はほどほどにして、最初の天文のあたりから紹介していこう。

 なにぶん大正時代(一九二三)の記述であるから数値が現在の値と違っていても責めるわけにはいかない。なにせまだ冥王星も見つかっていない時代のことであり、ハッブル則の発見よりも前で宇宙が拡がっていることなど想像もできない時代だ。だから宇宙の直径が三十万光年だと書いていても少しも意外ではない。
 ところが海王星の記述をみたとき驚いた。なんと海王星に雲状帯が発見されたというのだ。しかもそれに続いてこう書いてある。

 何れにしても、海王星に雲状帯の有ることが分かった以上、これで太陽系中雲状帯を有する惑星は木星、土星、天王星と都合四つを數えるわけだが、このうちで最も目立って居るのは土星のもので、それに関する研究も比較的進歩して居る。海王星の帯などは、有るには有っても極めて微弱で、その発見を確かめるにさへ二十二年を要したのである。

 この雲状帯とは何か、というと輪のことである。雲状帯の正体は、無数の小さな衛星の群であると書かれているから、輪としか考えられない。すると不思議なことである。ごく最近まで輪のある惑星は土星だけと信じられていたのではなかったのか。すでに一九二三年にして外惑星のほぼ全てに輪が確認されているとはどうしたことか。
 それどころか、海王星は太陽系の第九、即ち最も外端の惑星と書かれている。この時点で冥王星は発見されていないので最も外端は間違いではないのだが第九というのがおかしい。しかも土星は第六の惑星と書かれているのだ。
 当時なにかの誤報があって九個目の惑星があったのだろうか。しかも、この時点で木星、天王星にも輪があることを読者が知っているという前提のもとにこの文は書かれている。いまでこそ我々は木星、天王星にも輪があることを知っているが、なぜ大正時代の本に書かれているのだろう。実に奇怪ではないか。
 事実よりも、おもしろさに重きをおいている著者が、実際にはあやふやな報告を進んで取り上げた可能性も高いが、それにしてもこうした報告が当時あったということは注目すべきことだろう。これが、もっと古い時代の本だったらば宇宙人説も出てくるのだろうが状況から見て、とてもそうとは思えない。
 これは『ガリバー旅行記』のなかにスイフトが当時、未発見だった火星の二つの衛星について記述していたことを思い出させる。もっとも、この場合はケプラーが火星に二つの衛星があると信じ込んでいたことが知られており、そう不思議なものではない。この場合にも似たような事情が有ったのだろうが、今や知るすべも無い。

 これは奇妙な記述ではあるがトンデモないとは言いがたい。しかし次の月世界の生物の話は、いかに当時でもトンデモないのではなかろうか。

 月世界には空気も水もなく寒さも烈しいから、生物は何も居ないと久しくいい触らされて居た結果、星学者も月の生物については研究することが稀であったが、ハーバート大学のピッカリング教授の二年間にわたっての観測に依ると、月世界には確かに生物が存在しているといふ。今までは、天界の生物を語れば、人は必ず火星だけを思ったが、月世界の生物の証跡は火星などよりも遙かに著しく、しかも地球に対する近さは、火星に比すれば二百倍であるから、月世界の生物の研究は実はそれだけ容易なわけである。

 まあ、近いことは確かですけれどもね。それにしてもピッカリングといえば有名な天文学者ですが本当にこんな発表をしたのでしょうか。それともハーシェルの名を騙ったデタラメ記事のようなことがあったのでしょうか。ともあれ月世界の生物は植物で月の一日に二回成長し、夜になると枯れてしまうそうです。

 次に紹介するのは現代科学の驚異!飛空磁車と空中停止機の話である。
 飛空磁車とは佛國のバシエレー氏の発明、空中停止機は伊太利のルイズ・ロータ氏の発明だそうである。どちらも電磁力の反発力を応用したものとあるが、そのもとは米国の発明家エドワード・エス・フアロ氏による重力軽減機をもとにしたものだという。
 ちょっとフアロ氏の発明を伝える部分を引用すると・・・

 氏は単に理論ばかりでなく一種の機械を製作し、苦もなく、その可能なることを立証した。ファーロー氏は自分の研究室に於て、計量器を取出し、之に一冊の書物を載せて其量目を計った所が、本は指針を傾けること十八オンスであった。然るに氏は更に此本の上に小さい矩形の機械、所謂氏が重力軽減機と呼ぶものを載せ、之に電線を取りつけてスウヰチを捻った。その時、計量器は何に感じたか、奇怪な現象を呈したのである。電力がダイナモを回転するや、計量器の指針は静かに後退して正に十五オンスを示し、明らかに本は三オンスだけ軽くなった。尚詳しく云へば、地球の本に対する重力は其六分の一を失ったわけ、自然の法則は眼の前に破壊されたのである。

 う〜ん。うそのような話だが、この本ではこのあと五ページにわたって飛空磁車と空中停止機の軍事的応用の恐ろしさと、その平和利用による輝ける未来を描いているのである。その原理は前述したように電磁力の反発力と称しているが

 重力に対して没交渉である電磁波の反発力は、之を発生せしむる装置の如何に依って、目的物を重力に逆らって交へ得るは理の当然で、もし装置が不完全でも、物体の軽浮は起こらねばならぬ筈である。

 などと書かれていて、なにがなんだか分からない。現代でも清家新一のような人がいて反重力機関の研究をしているそうだが、似たような人はいつの時代にもいるということだろうか。

 さて最後はいよいよ生物の驚異を紹介する。翼のある海蛇とか、信じられないようなものが次々と飛び出すが、一番すごいのは、人を食う植物の話だろう。それによると

 蠅取草が昆虫を捕えて之を食ふことは既に人の知る所であるが、独逸の有名な科学者探検家レーヘ博士は亜弗利加の東南沖のマタガスカル島の人を捕らえて之を食ふ奇怪な植物のあることをカールスルーエ科学雑誌で発表した。博士は此の植物に百合花状タルエーナなる名称を附し、現にそれが人間を捕らえて食う戦慄すべき実景を目撃したと記しているが(中略)最も異様なのは其等の葉の生え際の付近から上向きに生えて居る数本の弱々しい、触角とも称すべき一種独特の蘂(しべ)で、其等の蘂は風も内のに絶えず震動していると云う。

 なんか怪奇小説のようだが、この植物は原住民が神木と崇める木で、これに女の人身御供を捧げるのだという。この博士は酋長と仲良くなって、一緒に人身御供が木に食べられるのを見ていたというのだからトンデモない。この木のてっぺんには濃厚芳美な神液があり、人身御供の女がそれを飲んで無事に下りれれば神に許されることになるのだが、下りれなければ、つまり食われてしまうのである。
 その様子は、この本に依ると

 此時既に神木の触角はたちまち顫動を止め、おりしも神液を飲み終わって飛び下りるために立ち上がった彼女の肩や頭を捕らえ、次いで八枚の緑葉はすいすいと巻き上がって、悶える彼女を益々厳しく捕らえてしまった。そうすると、葉の刺に刺された彼女の血液を交えた神液は、赤みを帯びた血なまぐさい液体となって神木の幹を滴り下って来たが、之を見た土人は狂者の如く先を争って走りよりその液体を貪り飲んだ。

 うーん。酷いものだ。だが、これに似た話がどこかに無かっただろうか。僕はこれが山川惣治の『少年王者』に出てくるモンスターツリーにあまりにもそっくりなので驚いているところだ。『少年王者』とは、角川がアニメにしてしまった『少年ケニア』より先に書かれた絵物語で、やはりアフリカで土人から神木と崇められる食人植物が登場する。いままで全くのオリジナルかと思っていたが、風もないのに震動する蘂とか、土人の儀式など細かい点までほとんど一致するので、レーヘ博士の報告が基になっていることは間違いないと思う。
 しかし、このレーヘ博士とは何者なのだろう。いくらなんでもまともな植物学者とは信じることが出来ない。どこかの記者のでっちあげ記事と思われるが『科学奇聞大観』の執筆者が怪奇小説と雑誌の記事の区別がつかずに書いてしまった可能性もあると思える。なにしろ、この本は「科学知識」と称するものを実にバランス悪く羅列していて、著者らが単なる耳学問で、本当は理解していないことがよくわかるのだ。

 と、いったところでそろそろお別れの時がきた。あんまり正当な?トンデモ本ではなかったかもしれないが、ともかく〔宇宙の謎〕と〔反重力マシン〕と〔食人植物の怪奇〕を紹介したのだから、我ながら立派なものだ。(自分でいっているんだから図々しいね)
 これ以上、読みたい人は共益社に復刊のお願いをしてみよう。
 次回は「まともな」現代のトンデモ本に戻るつもりだが、僕は気分屋なので、どうなるか分からない。期待せずに待て。




日本SFごでん誤伝連載第11回に続く


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