TDSF叢書1

日本SFごでん誤伝

余桁分彌(現 藤倉珊)著

TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行

第二部 異常への旅



第9回  狂気の沙汰もソロバン次第

 諸君はこの前、テレビ東京で放送された『真夜中のエンジェル』を見ただろうか。別に見ていなくてもちっとも構わないが、シドニー・シェルドン原作の女怪盗の話でけっこうおもしろかった。『レモン・エンジェル』と混同してはいけない。
 ところでこの映画、女主人公はキャッツ・アイみたいで、たいへんスマートなのだが、相棒?の詐欺師の男の方は少々なさけない。この、もてそうもないのに、なぜかもてる男は絶対に侵入されない新型コンピューターの販売権を売り込むと称して詐欺をはたらくのだが、スカバと言う名の新型コンピューターの箱の中に、そろばんを入れておくという冗談をするところがおもしろい。「中国に伝わる最古の計算機だ。」というセリフが泣かせる。
 確かに絶対に侵入されないコンピューターには間違いないが、よくこんなひどいネタで騙される資本家がいるものだと感心してしまう。なお、スカバ(SUCABA)とはそろばん(ABACUS)のつづりを逆にしたものだった。

 さて、この最古の計算機であるそろばんを「宇宙」をみごとに表現している不思議な物体であると主張する不思議な本がある。
 その本の名は『そろばんの向こうに宇宙が見える−そろばんに学ぶ人生の知恵−』という。(百瀬昭次著:東京書籍一九八七年発行)まず東京書籍というと主として数学関係につよく、ベルヌの『月世界旅行』や『不思議な国のアリス』の注釈本を出したりしてSFファンにも馴染み深い出版社かと始めは思ったのだが、それは東京図書であり、この東京書籍とは無関係。東京書籍の方は『くらしの色えんぴつ』とか『ハーブ&はーぶ』などの本を出している出版社らしいが、僕はよく知らない。
 次に著者についてだが、著者紹介によると百瀬昭次氏は一九三七年生まれ、北海道大学物理学科卒、一九七六年,百瀬創造教育研究所を設立し、青少年や親を対象に本格的人間教育をおこなっているとある。他の著書として『君たちは偉大だ』『君たちの未来』『受験子育て戦略』などがあるというが僕は未見。
 ところで本文の中にも書かれていることだが、この人はそろばんの専門家でも達人でもない。だいたい著者がそろばんを使えるかどうかもさだかではない。なにしろ、この本にはそろばんの使い方、計算方については一言も述べられていないのだ。
 では、なにが書いてあるのかと言うと要するに−そろばんは「宇宙」をみごとに表現している不思議な物体である−と言うことを二二一ページも使って書いてあるのである。こう言っても説明困難なので引用のほうを見てもらいたい。「はじめに」から少し引用する。

 そろばんは「宇宙」をみごとに表現している不思議な物体です。(中略)
 この本の目的の第一は、まずそのことをよく理解していただき、そろばんに対するイメージを一変させていただくことです。
 第二は、そろばんとの対話を通じて、物との対話の重要生を考えてもらい、それをおおいに活用していただくことです。物には「形式(かたち)」と「内容(なかみ)」の両面があるわけですが、なぜかふつうは形式のほうだけ関心が向けられ、かんじんの内容に対する着眼がわすれられがちだからです。そろばん文化の大半をねむらせてきてしまったのも、そのためです。
 第三は、そろばんを通じて、宇宙の秩序やしくみや法則をよく理解していただき、「宇宙意識」に目覚めていただくことです。また確固たる宇宙観や世界観を修得していただくことです。わたしたち人間も、宇宙に存在する生き物ですから、それがちゃんと確立されなければ、人間ほんらいの生き方は望めません。そろばんは、人生のあり方や知恵もちゃんと教えてくれる偉大な師であることを、ぜひ再認識していただきたいのです。
 第四は、そろばん文化は、国際化の時代に向けて、日本文化の軸となる貴重な存在であることを知っていただくことです。これからの時代は、わたしたちが世界の人々のために手本を示していく時代です。世界が、そして歴史が、そのことをわたしたちに要請しているのです。そろばん文化の今日の隆盛も、そうした前提のもとに生じていると考えるべきでしょう。
 そろばんは、宇宙的視野から世界をながめ、人間をながめ、自己をみがくことを可能にするかっこうの存在であることに目をひらき、そろばん文化をおおいに活用し、りっぱな国際人にすだっていっていただきたいのです。(後略、原文のまま)

 どうだろう、この著者の宇宙と人間を思う心。しかしそろばんを通じて、宇宙の秩序やしくみや法則をよく理解するとは、何なのだろう。
 著者によると、まずそろばんの形を見て「計算器」として捉えず「物」としてその美しさに気付くことから始めなければならないという。そして、そろばんの縦と横の比などをすなおに考えていくのだという。「すなお」とは、どういう意味か。要約も困難なのでちょっと長くなるが、「第一章そろばんとの対話」から引用する。

 図形もたんに形だけではなく、きわめて重要な内容を秘めているのです。たとえば、六角形は、美、調和、つり合いを象徴しています。また正方形が物質や合理性の基盤を象徴しているのに対して、円は、精神、心、感情を包みこんだ、いわゆる内面的な世界を象徴しているとされています。
 しかし、ちょっと考えてみるとわかるように、物質的(合理的)なものをあらわす代表の正方形と、精神的(超合理的)なものをあらわす代表の円には、二つの大きな共通点があります。一つは両者とも視覚的、美的にははっきり調和のとれた形をしているということです。
 もう一つは、両者とも合理的な面と超合理的な面の両面をもっているということです。ことえば一辺が一センチメートルの長さの正方形では、対角線の長さは2(ルート2と読み、一.一四一四二一三五六・・・という大きさの数をあらわします)センチメートルになります。この場合、一辺の長さの一センチは整数ですから、はっきりときまった合理的な数ですが、対角線の長さの 〓のほうは無理数で、永久に正確な値がわかりませんから、超合理的な数です。このように、正方形の場合には、その図形の決め手になる部分の長さにはかならず無理数がからんできて、すべてが合理的な数になることは絶対にないのです。
 円の場合にも同様です。円周率π(「パイ」と読みます。三.一四一五九二六・・という大きさです)は無理数ですから、かりに直径を一センチにしても、円周の長さはそのπ倍ですから、かならず無理数、すなわち超合理的な数になります。
 これらのことから、調和の背後には、合理的なものと、非合理的なものとがからんでいるということが推察されます。古代人はこのことを、数学や幾何学を通じて、宇宙の秩序と結びつけて考えていたのです。(中略)
 またこのことは、珠を拡大してみるといっそう合点がゆきます。みなさんは珠の形を見て何か思いつきませんか。宇宙に関連のある物体といえば、もうおわかりでしょう。そうです。「UFO」です。あの空飛ぶ円盤に似ているとは思いませんか。わたしはあらためてそろばんを見直してみて、とっさにそう直観したのです。
 思いつきのこじつけだといってしまえばそれまでですが、こういうことは、むしろ素直に受けとめたほうが、ほんとうは賢明なのです。
 なぜならば、時代の流れは、宇宙的な方向、つまり宇宙エネルギーや宇宙意識といったものに目ざめることが必要な方光に進んでいるからです。そして、そろばん文化はそのことを推進するうえに欠かせない、たいへん重要な文化なのです(あとでくわしく述べます)。
 ですから、そろばんを見たら、いつも宇宙を意識するのがほんとうは望ましいのであって、むしろそうするためにそろばん文化がいぜん、今日も栄えているといってもいいすぎではないのです。
 その意味では、珠の形がUFO型であることは、むしろ願ってもいない幸いというべきで、かりにこじつけであろうとなかろうと、このチャンスを逃す手は無いわけです。
 しかし、実際は決してこじつけなどではなく、宇宙を意識するには、やはり宇宙を象徴するUFOのような物体が、いつも目の前にあったほうが、しかも百三十五基もの大編隊があのように整然とならんで眼前に見えるほうが、ずっと具体的でわかりやすいわけですから、むしろ珠の形がUFO型をとるにいたったのは必然的な帰結とみたほうが、より適切なようにわたしは思います。

 これはひどい。僕はこれを読んでおもわず、こんなのあり〜とさけんでしまった。無理数が超合理的な数だと言ったり、そろばんにUFO百三十五基の大編隊を見るとか、はっきりいってコジツケというより、それ以前の問題だ。いったいこれのどこが宇宙の秩序や法則なのであろうか。しかも全編この調子で続くのである。以後の各章のタイトルを幾つかあげると「人生の目的とそろばん」「「進化」とそろばん」「シュリーマンの偉業」「らせんのえがき方」「進化の達成と宇宙エネルギー」といった具合。この人はいったい何を考えているのだろう。
 実は巻末に掲げられている参考文献を見ると、そこには『超自然学』『ホロン革命』『螺旋の神秘』『ニューサイエンスの世界観』『ホロン経営革命』といった本と百瀬氏自身の本ばかりが並んでいるのである。これで百瀬氏が何ものかはわかった。
 この本の先をもう引用する必要はあまりない。ただ、たとえホロン的な見方をしたとしても必要なそろばんの使い方(たとえば珠の動き方とか位どりの意味とか)については全くふれていないことを指摘しておこう。僕はほんとうにこの著者がそろばんを使えないのだと思っている。

 ではなぜ著者がこの本を書いたのか。ここから先は全くの推測になるが、どうも大手そろばん塾から依頼されて書いた本らしい。つまり主な購買層はその塾の生徒であるわけで内容はかまわないから、とにかくそろばんに結びつけた本を書く必要があったわけだ。塾にとってはいい商売になることだろう。なにせ定価一二〇〇円である。原価は部数にもよるが、五〇〇円にも達しないことだろう。2割引きで特価と称して売りつけても5割の利益だ。これは独自の販売ルートをもつ強みだ。ただし内容が問題で、こんなものを参考書といわれて買ってしまった塾生が丸損である。おそらく通常の書店ルートでこの本を買った人間は、僕を含めた極めて少数しかいないのではなかろうか。
 この本は今年の6月に出版された時、偶然に見つけたのだが以後、どこの書店を探しても影も形もなかった。思い余って三省堂でデータベースを使って注文してしまったのだ。僕の主義からいうと、こうした手段はあまり望ましくないのだが、この際仕方がない。ところが来た本をみて驚いた。8月で、すでに再版なのである。トンデモ本は裏の出版界を流れていると感じたのはこのときである。
 いったい、この本はどこに流通しているのか。本当に売れているのか。読者はどんな顔でこの本をよんでいるのか。他にもトンデモ本が同じルートで流れてはいないか。
 謎は謎を呼び、疑問は疑問を呼ぶ!!これから、いよいよトンデモ本の秘密が解明されていくはずなのだが、僕はもうここで、この究明をあきらめ放り出すことにした。この本だけで充分頭が痛いし、定価一二〇〇円は痛いし、これ以上無理をしても『ごでん誤伝』の原稿にさえなりそうもないからだ。(本当はめんどうくさいだけ。)
 おっと重大なことを忘れていた。実は、あの大数学者広中平祐氏がなぜかこの本を推薦しているのだ。帯に記された推薦文によると

 この本で著者はそろばん文化に着眼し、計算器としての機能だけではなく、感覚的な宇宙観や世界観からソロバンの意義をとらえようとしている。伝統文化の一つであるそろばんを再認識し、多くの人に読んでもらいたい。

とある。広中氏は本気だろうか。まさかフィールズ賞受賞者ともあろう人が、そろばんの珠はUFOですなどという本を推薦するわけがなく、請われるまま内容を確かめずにOKしてしまったのだろうとは思う。まあ本の推薦文などいかに信用できないものかという例にはなっていると思う。

今回はずいぶん原文の引用が多くなったが、これは僕が楽をするためではなく『ごでん誤伝』への意見の大部分が、「おまえのへたな文なんかなくてもいいから、もっともっとトンデモ本の引用をおおくしろ。」というものだったからだ。横田氏にはこれと正反対の要望ばかりきたというのに。やはり、これは人間の格というものであろう。僕は企画が好評だったことだけで満足だ。
 では、また来月。




日本SFごでん誤伝連載第10回に続く


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