TDSF叢書1

日本SFごでん誤伝

余桁分彌(現 藤倉珊)著

TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行

第一部 普通への夢



第8回  だれも書かなかった香山滋

 時代遅れの話で恐縮だが、新作の『ゴジラ』を見た。今さら言うまでもないが、この映画はやたら評判が悪く、また実際その評判にたがわぬ映画であるのだが、ぼくが見て一番トンデモナイ所は上陸したゴジラが、なぜだか渡り鳥に反応して引き返していくところである。
 はじめはゴジラは鳥が好きなんだろうかとも思ったが、なんとゴジラには〔渡り〕の習性があるという途方もない設定になっていた。恐龍に渡りの習性があったのかというと、考えにくい気もするのだが、問題はゴジラの体内にある〔磁性体〕の働きである。
 通常、磁性体は地磁気に反応して、方角を知るためにある。ところが、ゴジラの磁性体は〔帰巣本能〕に反応して〔渡り〕を誘発するのだ。少なくとも、この映画を見たかぎりでは、そうとしか考えられない。
 しかし、なかなか卓抜な発想ではなかろうか。〔地磁気〕→〔磁性体〕→〔渡り〕という反応があるのならば、その逆反応である〔渡り〕→〔磁性体〕があってもおかしくはない。いや、科学的に充分有り得ることです。うーん。

 さて、もとの『ゴジラ』はもちろん、こんなではない。そして、その原案者として香山滋の名は広く知られている。また彼は『ゴジラ』の原案者だけではなく『海鰻荘綺談』や『オラン・ペンデグの復讐』などの幻想耽美小説の作家としても広く知られている。  香山滋を愛好する人は特にコレクターに多い。その理由は残念ながら彼の作品で現在入手が容易なものは社会思想社の文庫版か、いくつかのアンソロジーに入っている程度であり、殆どがかなり入手難易度の高い絶版であるからだ。『こてん古典』の時代にリバイバル刊行された桃源社の『海鰻荘綺談』などは、とっくに相当高価なコレクターズアイテムと化している。
 今まで書かれて来た香山滋は、主に『ゴジラ』の原案者か幻想耽美小説の作家としてであった。彼の小説は美しいというのが通り相場である。
 ところが、ぼくはへそ曲がりだ。むろん彼の小説に美しいものも多いが、トンデモナイものも多いのだ。こういうことは、なぜか誰もこれまで書いていない。そのためアンソロジーに入っている少数の短編を見て、香山滋はこういう小説ばかり書いていると信じている人も多いようだ。そこで今回は僣越ながら、『だれも書かなかった香山滋』を紹介する。非常識なことは、ぼくがやらずに誰がやる。

 ここで、一言ことわっておかねばならない。『ごでん誤伝』を書きはじめたときに自分で二つの制約を付けた。一つは前回書いたが、
「著者が意図したものとは異なる視点から読んで楽しめるもの。」ということ。
 もう一つは
「SF作家の直接影響下に書かれた作品は対象としないこと」である。
 今回、香山滋について書けば、この制約に引っ掛かるのだが、現代の人ではないし例外とすることにしよう。

 さて、トンデモナイ香山滋について「だれも書かなかった」と言ったが、書いてる人もいるにはいる。たとえば、雑誌BOOKMANの十六号『SF珍本べストテン』のなかで鏡明氏が香山滋についてこう発言している。

      しかし、SFとしては、ひどいのが多い。『火星への道』だっけ、最後に
     地球であったことがわかるやつ、あれには怒ったね。

 さて、この『火星への道』豊文社というところから昭和二十九年に出版されている。
 これは、マルス・ボア(火星の王)と名のる怪人が主として復讐のために、ここは火星だと称して中央アジアの砂漠に連れてきて、置き去りにするという話である。
 たしかにSFではないのだが、いくら暗示をかけられたからといってマニラ近くの空港から普通の旅客機(当然、プロペラ機)で出発して、着いた所が火星だと言われて信じる方がどうかしている。
 つぎに、そこが火星であると信じている登場人物の会話

   「なにを御らんになっているの?麻美」
    フランチェスカ・ダリは麻美の眸を追って地平を見た。
   「まあ、土星が!こんなに近く!」ダリはヴォリームのある声をはずませた。

 あのなあ、いくら火星でも土星が大きく見えるわけはないじゃないか。どういう暗示の効果か知らないが、これでここが火星だと信じろという方がむりだ。
 もっとも、当時は地球外に出れば土星が大きく見えると信じられていたとも言うが。
 さて、次に紹介するのは『有翼人』という本。昭和三十三年に和同出版社から発行されている。これは題どうり有翼人が出てくる作品。若き新聞記者、浅川と理学士、江島の会話から物語ははじまる。ちょっと長くなるが引用する。

 (前略)次は化石上の痕跡、これはそうざらにはないが、希有ではない。一九四七年、大江正敏博士は、蒙古聯合自治政府領内紅果脳包山の一洞窟から発見された北京人類の胎児の化石に、その両肩胛骨にあきらかな皮翼の痕跡を認めている。最も近く、米国人類学者の組織する遠征隊によって、南アフリカのクロムダラーイ地域の沼沢地で発見された新人類の化石中には第五指が以上に発達して発膜を附着せしめていたであろうと認定されるものがあった。
 第三は過去に於ける存在だ。勿論、この点に関しては、人類が猿と共同の祖先から分岐する以前−→進化途上に於ける存在ということになるが、これは翼手類−→始祖鳥−→蝙蝠竜の一聨の進化系統の上に歴として具表されている。
 何故僕がこんな、傍系的な饒舌を弄したか。これは、最後の「君は絶対に有翼人の実在を信じないか?」と言う質問を、より効果的に圧縮させたかったからだ。
 君、世界は、よしんば他の遊星を考慮に入れないとしても、此の地球は果たして隅から隅まで探査し尽くされているだろうか?地球は我々の前に一平方米の未知の土をもあまさずに公開して呉れているだろうか?飛んでもない!
 ギアナは、コンゴーは、マダガスカルは、そして、パプァの大半は未だ我々の眼にはその一片鱗のみを提供しているに過ぎない。そうした未知の土地に、誰が、想像を絶した生物が棲息していないと断言する?誰に有翼人類が実存しないと言い切れる?

  と、スタートはさすがは秘境小説の大家である。
 ところが、結末はあっと驚くタメゴロー(これ『こてん古典』の時代に古いなあと書かれていた。今はレトロ?)になる。
 実は、頭のおかしいアフリカ人のコックがアラビアの外科術を用いて、赤ん坊に蝙蝠の翼をくっつけたというのだ。これだけの話では、いくらなんでも、ひどいので、二重人格の女の話も絡めてオンドロオンドロしく書いているのだが、どちらかと言うと、話はよりトンデモなくなっているとしか思えない。これこそ香山滋の、もう一つの姿なのだ。

 さて、この本には他に『遊星人』という作品が収録されている。これがすごい。
 話は、「大和海産商事」のタイピスト、カズ子が円盤を目撃して失踪するところからはじまる。実は遊星ガロアからきた遊星人Mのしわざなのだが、この遊星人の目的がよくわからない。
 わしのことを出来るだけ恐ろしそうに吹聴してくれとわざわざカズ子に頼み込んだり(こんなこと言わなきゃ恐いのに)、魔術師ヨチャムリと名乗って悪戯したり、タクシーの運転手に化けて新聞記者をからかったり、動物園からゴリラを逃がしたりする。比較的、まともな行動は謎のヴィールスを撒ちきらすことだが、そのヴィールスの効果は円盤の幻覚を見ることというのだから、どんな目的があるのかわからない。一番ひどいのはバーのマダム相手に、グラスに指も唇もつけずにサントリーを一気に飲み干してビックリさせること。
 ここまできて、しかも地球の他の都市ではそんな事件は起きていないと書いてあれば、これはSFではなく、怪人二十面相もやったように遊星人と名乗って犯罪を企んでいるに違いないとだれしも思い込むだろう。

 ところがギッチョン、この遊星人M、実はほんとに遊星人だったのだ。おそるべきヒバミウム瓦斯を搭載した円盤の攻撃を受け東京はあっさり壊滅してしまう。そのうえ不気味な植物性の巨大アミーバが焼け跡を徘徊する。このあたり、『火星への道』と正反対?であり著者の奥の深さを示すものといえないこともない?とにかく、これはSFであることに間違い無い。

 ほんとに遊星人だったMは、なんと地球人の女に惚れてしまいガロアにつれかえろうとする。Mが恋した女性はカズ子ではなく、三鷹天文台の助手の園部伊都子である。伊都子との会話によるとガロアとは「月の裏側にあって地球からは見えない星」だという。(当時は月の裏側というと今日のタイタンの雲の下と同じくらい謎に包まれていて何があってもよかったのだ。)しかも、地球に来た目的は、あの巨大アミーバを捨てることにあったという。実はこれはガロア人が労働力として作り出した生命体なのだが、殺すことができず、かえってガロアを乗っ取られるほどになってしまい、仕方がないから捨てにきたというのだ。なんとも情け無い侵略者があったものだ。

 しかし遊星人すら手に負えない巨大アミーバの群れに占領されんとす大東京はどうなるか。ところが、アミーバはMの手によって地底に封じ込められてしまう。Mの台詞によると、ガロアの大地では不可能なことも、地球では容易な業だそうである。ご都合主義としかいいようがない。
 しかもMは伊都子に葉緑素破壊剤を注射されて死んでしまう。実はガロア人はアミーバと同じく植物生命体だったのだ。(なんで植物が人間に惚れるのだ?)おまけに、この最後の章のタイトルが「愛の勝利」というのにはアリエスの乙女も負けてしまう。

 うーん。でも葉緑素破壊剤というあたり、やはり『ゴジラ』の原案者だと納得してしまう。東京が壊滅する描写では

 「お母あちやん、またゴジラがやってきたの?ぼく見たいなあ」
 「ばかなことをお言い。ゴジラどこのさわぎじやないんだよ」
という台詞がある。
 よくよく考えてみると、この小説はゴジラのすじをほぼ追っているといえないこともない。始めに怪光や不気味な足跡がのこること。新聞記者が飛び回り、科学者が重大そうなそぶりで適当なことをいうこと。
「これは、飽くまでわしの想像じゃが、そうしたものが有りとすれば、それはもう、我等の棲む地球上の細菌ではなく、他の遊星からでも飛来した未知のヴィールスだ、とでも考えるより仕方がないんだ」
「うわーッ、特種だつ」
という具合。(こうした台詞を集めて『特撮科学者語録』という本を作りたい)
 まあ、もう一つの『ゴジラ』と考えると楽しめる。香山滋には、『怪物ジオラ』という本もあるけどめね。(『ジュラ期怪獣オジラ』とは関係なし)
 さて、この本はこれで終わりかと思ったら、まだ『炎となる慕情』という短編が収録されていた。この短編は目次に書いていないのだ。昔の本の目次はいいかげんなものが多く章の名が落ちていることなど珍しくはないが、短編一つをまるまる落としているのは始めてみた。この本にふさわしい目次である。

 『有翼人』といえば『秘境の女』(小壺天書房)のなかに収録されている『秘境の有翼人』という作品があるが、本書とは無関係であるようだ。この短編も病院経営に行き詰まった医者が、有翼人を捕らえて見世物にして金を稼ごうという不思議な設定なのだが、紹介は遠慮しておこう。
 最後に念のため、一言。
 もちろん、香山滋には、「幻想耽美小説」の傑作もたくさんあります。




日本SFごでん誤伝連載第9回に続く


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