余桁分彌(現 藤倉珊)著
TDSF叢書発行委員会 平成元年8月20日発行
本文開始前の断り書きより
本書は、横田順彌先生の『日本SFこてん古典』と共に読まれますと、さらに楽しむことができます。
また、SFマガジン掲載時の『日本SFこてん古典』と共に読まれますと、さらにさらに楽しむことができます。楽しめなかったときは、諦めましょう。
□ はじめに
『日本SFこてん古典』の第一回によると、横田順彌氏は外国語に極端に弱く、たいへんに軽薄で、一度こうと決めたらなかなか後へ引き下がらない強情なたちで、妄想狂だそうである。それでは僕とおんなじだ。
とは言っても、僕は横田氏のような大コレクターでもハチャハチャSF作家でもない。古本の山こそあるものの、内容的には古典SFの名作など、なにもない。だいたい偉大なる神田古書会館などよりも、場末の古本屋で定価半額均一の棚から衝動買いした本の方が多く、箸にも棒にもかからぬものばっかりなのである。
しかし、ものは考えようで、こんなものでも百年たてば、昭和時代のハチャハチャSFと称して、そのころ半分忘れ去られている現在の名作の合間に紹介する人が出てこないとも限らない。なんでもこれらの本に使われている紙は全て酸性紙だそうで、そのころには殆どがぼろぼろになって判読不能になっているだろうから貴重になるはずだ。
そう考えると屑本の山もなんだか、もったいない気がしてくる。百年待ったほうがいいのかも知れないが、もうすぐ帝都は壊滅するという話もあるし、そうなると僕のところに、ささいではあるが資料がたまったまま失われてしまうことになる。
そこで今回、「と」の紙面を勝手に借りて現在のトンデモない本の紹介をさせていただくこととはなった。紹介作品は原則として現在のものに限るが、それにこだわるつもりはないし、またメジャーなものは出来る限り避けるようにした。
なお、このコラムを書くにあたっては、紹介の仕方について著者が見て怒るようなことがあるかもしれない。なにせ、本コラムでは紹介した作品を著者が意図したのとは全く別の視点でおもしろがろうとするからだ。まあ、万が一著者がこのコラムを読んで怒って来たとした場合は、すべて「と」の編集長の責任で僕は勘弁してほしい。と思ったが、そういうことを書くと原稿を載せてもらえないので、悪口雑言、ユスリ、タカリは直接僕におねがいする次第。(でもペンネームだからわかるまい。)
前書きは短い方がいいので、『日本SFごでん誤伝』第一回の幕開きといこう。
□ 世紀の珍講演録『近未来のエレクトロニクス』
ここにある講演の記録がある。ある電子機器の専門商社が発行している広報誌に載ったもので、某大電機メーカーの副社長がその専門商社に請われて講演したときの記録だという。その名を『近未来のエレクトロニクス』。
これだけ書くと、なんでこれがSFと関係あるのかわからないだろうが、その内容がすごいのだ。もともとの講演がすごいのか、一時間半の講演を四ページに縮めた人がすごいのか知らないが、とにかく凄い!まあ、実物を見ていただこう。
●情報と地球のエントロピー
いま、情報化時代といわれますが、この情報というものを、私も少し調べております。
現在、中曽根さんを議長にしている科学技術会議の中に総合計画部会というのがございまして、そこで十年後の科学技術の面から見た社会がどう変わるか、という想定をやっているわけです。そして情報というものは探れば探るほど大変なもので、この地球の発生からひじょうに関係しているのです。この六十億年とも、百億年近くにもなるであろうといわれる時代に、宇宙の中でブラックバーンが爆発したということは、もう定説になってきたことですが、今も電波望遠鏡で宇宙の一番端の恒星が年々離れていくことを計ることによって宇宙が膨張し続けていることがわかるのです。
これだけで、この講演がどんなに大変なものかお分かりになったと思う。まず、宇宙の中でブラックバーンが爆発したというのが凄い。ブラックバーンというのも聞いたことがないが、宇宙の中でというのだからこれはビッグバンではない。
もうひとつ凄いのは、宇宙の一番端の恒星というのをどれか特定でき、今も電波望遠鏡で年々距離を計っているということ、確かに宇宙膨張の直接の証明になることは間違いないが、なんかおかしいような気がする・・・ともかく先を続けよう。
膨張していくということは、学問的にいいますとエントロピーが大きくなっている−このエントロピーとは、物がみだれた度合を表す言葉で、このエントロピーがだんだん大きくなっていくと、いつ又、この宇宙が爆発するかわからないという状態が考えられるわけです。ところがこの宇宙の中にエントロピーが大きくなりますと、逆に全体の和が一定ですから、どこか小さくなるところがなければなりません。ということで、この小さいところ、情報を中心にかたまったものが、太陽系です。
膨張する宇宙の中に、情報を中心にして地球、月、太陽、土星など一四〇億個ほどの星があるわけです。従ってこの地球が情報を中心にかたまって出来ておりますので、地球の中に出来てくるものはみな、情報を持って生まれてくる。鉱物でもなんでも情報が入っているわけで、この鉱物の情報を探りだして調べるのが鉱物学であるし、土なら土というものを調べるのが土質学です。皆さんの身体の中に入っている情報を調べていきますと、これが生理学です。その情報を生理学からどこに入っているかを調べて、現在、遺伝子の中に情報がかくされているというところまで探りあてたわけです。
これで全体の約八分の一、これでなぜ僕がこの講演記録を『ごでん誤伝』の第一回に持って来たか納得頂けたと思う。そう、期せずして無類の科学パロティにもなっており、またSFとしても読める作品になっているのだ。
この種の作品でSFファンに知られているものには、アシモフのチオチモリンとかスラデックのナイトロンなどがある。しかし、これらの作品は作者が意図的に架空理論をつくっているのだから、ほんとうは『近未来のエレクトロニクス』と一緒に評価はできない。これらの作品は結局、作者がわかっている理屈に対してどうしても捕らわれてしまい、本質的な飛躍ができずトンデモナイものにはなりにくい。
ところが『近未来のエレクトロニクス』ではその架空理論を作者が本当に理解し?信じているのだから非常にトンデモナイ。これがトンデモなくないものだとしたら、この世にトンデモナイ本などなくなってしまう。
ぼくが横田順彌氏みたいに頭のよい人間であったなら、この作品を天罰覿面、神社仏閣的SFだとか、路上観察学会的にトマソンだとか名ずけるところだか、残念ながら才能がなく、ただトンデモナイSFとだけ言っておく。まあ、とにかくもう一寸引用しよう。
このように、ありとあらゆるところに情報が潜んでおります。いま申しましたように、エントロピーが大きくなりますと、小さいところに情報がかたまってきます。ですから、この情報をどんどん大きくしていくということは、エントロピーを小さくすることにもなるわけです。一例をあげますと、皆さんの身体がキチッとしているほどエントロピーが小さいわけです。反対にダラッとした身体のときはエントロピーが大きい、みだれの現象をいうわけです。従ってエントロピーを小さくしようとするとエネルギーが要る。人間が食物を食べたり、外からエネルギーをとり、いかにエントロピーを小さくしようかと努力しているのが、生きるという現象です。例えばネクタイをして仕事をしようというのは、エントロピーを小さくして「私は一生懸命仕事をするのだ」という一種の表現です。人間の身体でエントロピーが最も大きくなるということは、死んで灰になることです。
同じように、地球が今、自分の土地の中に埋っている石油や石炭を燃やしてしまうと、熱になって放散し、もう戻ってこない。地球のエントロピーが大きくなる。大きくなると地球はバラバラになってしまうだろうという予測ができます。これが一体、何年に出てくるのだろうか。この地球の寿命を永くもたせるためには、太陽のエネルギーを採って、わが身を食わずにできるだけ地球の秩序を保っていかねばならない。太陽のエネルギーで足りないところは、わずかな物質で大きなエネルギーを出す原子力というものでやらないと、今のままでは50億年後には地球は死んでしまうだろう。これをいかに延ばしていこうかということです。
もう、ぼくがこれ以上この本について解説する必要もないだろう。全編を紹介できないのは残念だ。
後半は人工知能についてこの調子で解説し、ますますトンデモナくなっているのだが・・・ぼくは、この作品を見てからしばらくは他の本を読まなかった。他のどんな本でも『近未来のエレクトロニクス』に比べるとちっともトンデモナクないのだ。現にこの文を打ってからラッカーの『時空の支配者』を読んだが、あのラッカーの理論さえも『近未来のエレクトロニクス』には負けているのだ。
ただ、ぼくが不思議に思うのは、この著者は進むべき道を誤ったのではないことだ。前にも書いたように、著者は某大家電メーカーの副社長。それも業界誌などによると、かなり力をもった副社長なのである。これは、いったいどういうことであろうか?
ぼくは別に、この大家電メーカーの技術力を疑うわけではない。あえてメーカー名は出さないが、現にぼくが使っているパソコンはこのメーカーのものであるほどだ。(ただし、テレビ事業部の方ですが)
もし、この著者がSFを書いていたとしても日本SF史に残るような小説を残すことは、まずあるまい。しかし、大家電メーカーの副社長なんだよ。この人は・・・まあ、管理職が技術が分からなくても勤まるということは、いくらでも例があるけどね。
それにしても、この講演の聴衆はみな、電子機器の専門商社の社員のはずなのだが、どういう神経で聞いていたのだろう。(そして広報誌に堂々と載せて顧客に配ったのだ。)このへんも実に不思議なことだ。