TDSF叢書2

マッドサイエンティスト入門

−その傾向と対策−

藤倉 珊 著

TDSF叢書発行委員会 平成2年8月18日発行

連載第六回



第六章 結局、マッドサイエンティストは今どこにいるのか

 これまで、マッドサイエンティストについて、さまざまな角度から論じてきた。まずマッドサイエンティストの目的を定義し、その道筋を、理念を、その方法と障害、そして敵について考えてみた。
 しかし、そもそもマッドサイエンティストは実在するのだろうか。この疑問に対してはまだ答えていなかった。いままで論じたことは、マッドサイエンティストがまったく空想の中だけの存在としても当然なりたつ。いや、マッドサイエンティストとは三十年代のSFの中だけの存在と考える方が世の常識というものであろう。
 しかし本書は、この常識に、あえて異議をとなえる。「火の無いところに煙は立たぬ」というではないか。仮に、世に知られるマッドサイエンティストがすべて架空人物としても、世にそういう内容の創作物が広まるということ自体が、何らかの元になる事件の存在を暗示していると考えるべきである。
 さらに一歩後退して、それらの内容がまったくの架空としても、その時代の精神が、そのような思想を生み出し、その存在に恐怖、あるいは感動したならば、マッドサイエンティストの思想は三十年代に確実に存在したのである。
 考えてもみよ。マッドサイエンティストものと言われるSFは、ことごとく時代背景が現代である。パロディ以外に例外は見当たらない。
 この事実はマッドサイエンティストものをたんなる創作とは片づけられないことを示す。大衆は知っていたのだ−すくなくとも感じていたのだ。マッドサイエンティストの存在を。
 マッドサイエンティストは確かに存在していた。無論、その数や能力については、多くを期待できまい。しかし、それは問題ではない。たとえどんなに少数でも、マッドサイエンティストは実在したのだ・・・そして彼らはどこに行ってしまったのか。

 問題は現在である。マッドサイエンティストを論じた本書の最大の課題は「マッドサイエンティストは、今どこにいるのか?」ということであろう。この問いに答えるため、現代にマッドサイエンティストがいるとすれば、一体どんなことをするのだろうか、ということを考えてみる。

 第一に考えられるのは、科学への貢献である。やはりマッドサイエンティストの本領は科学の世界であろう。しかし、単に研究をしているだけでは芸がない。それは単なる科学者のすることである。マッドサイエンティストがすべきは、その上の行為であろう。
 それは科学の進歩をより加速させることである。本来、科学の進歩の速度はのろい。これを人工的に加速することは可能である。わけもない。金と名誉が係わるようにすれば良いのである。
これはマッドサイエンティストの行為にふさわしくないように思えるかもしれないが、それは認識不足と言うものである。
 具体的には「科学に投資すれば金が儲かる」とか「科学の進歩は人間を幸せにする」といった認識を世に広めようとするであろう。
 どちらも嘘である。
 まず、科学の進歩は人間を幸せにするかという問題を考える。もちろん、幸せにならない。たとえ科学の恩恵を受けていたとしても、幸せとは別問題である。科学の進歩のために飢えと貧困が解決されたとしても、なお自然が失われただの、人口問題を生み出したと文句をいうのが人間というものである。そもそも貧困とは相対的なものだから、いくら生産性の高い科学技術ができたとしても無くなりようがない。
(話は脱線するが、全人類を幸せにできるものは、宗教である。宗教ならば、飢えも貧困も救いであると称して、人間に満足感を与えることができるのだ。)
 科学への投資が、利益を生むという話もウソである。科学者で金持ちになった人間はいない。もっとも科学者から発明を騙し盗って金持ちになった人間ならいるが・・・
 しかし、不思議なことに、現代はハイテク時代とか称され、科学への投資が利益を生むという信仰がまかり通っている。この考え方は全く理解に苦しむ。半導体もコンピューターも発明したのはアメリカであり、日本は真似したというのが本当であるから、貿易黒字が証明することは、発明に投資するより真似したほうが得だということなのだが。

 科学の問題の次にマッドサイエンティストが目指すことは、この世を混乱に陥れることである。勘違いしてはいけないのは、破滅や崩壊ではなく、混乱であることで、そのためには大規模な破壊より頻繁な局地戦・民族紛争といったものの方がよい。
 また世界を強国が支配するよりも多極化した方が望ましく、またイデオロギー、経済、軍事などがアンバランスであればあるほどよい。
 ここでアンバランスということが重要である。熱力学的からのアナロジーでは、熱的死つまり平衡状態が望ましくないことは言うまでもない。
 望ましいのは強い非平衡状態である。人間社会でも、物理的系でも、そこから新たな自発的秩序が生じる。非平衡状態の熱力学として、物理学上で具体的な例としてはレーザーの反転分布状態などがある。これを社会的にみれば、たとえば富の著しい偏在、それも時間的に不安定な状態がよろしい。
東洋の成金国家の平均収入が、それほど遠くない国の平均収入の百倍を越える状態など理想的ではなかろうか。しかもその国の政治が目茶苦茶であれば言うことなしである。
 さらにマッドサイエンティストがやるべきことは、逆説的に見えるかもしれないが、適当な官僚機構を作り出すことである。なぜなら、不老不死がまだ遠いとすれば、後継者を望むしかないからだ。そしてマッドサイエンティストは育てるものではなく、逆境の中から生まれてくるものでしかない。つまり適切な逆境としての官僚機構は必要なのである。
 むろん官僚機構が世を安定化することは避けねばならない。そのために適当な時間で政治体制をがらりと変えたり、必要以上に官僚機構を無能化して社会を不安定にしておくことが必要なのである。

 このように考えていくとマッドサイエンティストは今の世の中で特にやることはない。世はすでにハイテク信仰と資産の偏在と無能な官僚機構に満ちているではないか。
 なぜ、このような状態になっているのか。その答えは一つしかない。

   この世はすでにマッドサイエンティストによって操作されているのだ。

ということである。この世がマッドサイエンティストの理想的状態である理由は他に考えられない。マッドサイエンティストは今更、世界を征服する必要はない。すでに征服されているからだ。ただ凡人がそれに気がついていないだけである。
考えてみれば当然のことではなかろうか。マッドサイエンティストが世界を征服したとしてもマッドサイエンティストが、それを誇る必要はない。凡人の尊敬など、どうでもよいことだからである。
 しかし凡人というものは、支配されていると気がつけば、なにかにつけてうるさいということをマッドサイエンティストは良く知っている。だからマッドサイエンティストは世界を征服したあとも、その事実を凡人には知られぬようにしているに違いない。そうすれば、凡人の感情などに煩わされず、社会の資源を自在にもちいて不老不死や全宇宙の征服といった研究を進めることができるのだ。

 マッドサイエンティストは今どこにいるのか。その答えはついに出た。世界の裏側で我々を支配しているのである。我々はマッドサイエンティストの檻の中にいながら、それに気がつかない実験動物にすぎないのだ。
 この状態は、コグスウェルの『壁の中』という短編に描かれる世界にもっとも近いだろう。あの作品のなかでは、魔法という技術の進歩を促進するために、あえて閉鎖した世界のなかで故意に抑圧的な教育を行う世界が描かれていた。
 この作品とのアナロジーでいくと、この社会自体がマッドサイエンティストの実験場なのであり、この混沌とした社会の雑音状態が、いつかマッドサイエンティストが望むある種の進化を生み出すことが期待されているのかもしれない。

 そして、いま一つの道がある。この抑圧された世界でマッドサイエンティストとなり、世界の支配者の一員となることである。それは、空を飛び『壁の中』からの脱出を試みた少年たちの辿った道である。
 この二つの道、われわれはどちらを選択するのだろうか。

 「R・田中一郎、おまえは余の息子だ。おまえの居場所はそこではない。余と手をとり、ともにこの世界を征服しよう。
  ふたたび、まみえる日まで、わが息子よ。オサラバだ。」
              −大帝王ナリハラ−(CD究極超人あ〜るドラマ編より)



マッドサイエンティスト入門 番外編に続く


「と」書室に戻る。
TDSFホームページに戻る。