SFマニアには待望の人類幇間機構の続編である。続編といっても,史上類を見ない世襲製による続編であるということでSFマニアの注目を集めている。
前作『鷲と竜のゲーム』以来、実に四十一年ぶりである。著者は『鷲と竜のゲーム』では,遠い未来において強大な「鷲」国家と「竜」国家の代理戦争によって荒廃する半島惑星を独特の視点で描き,また長編『ノーストコリア』では人類が下級民として支配される惑星世界をみごとな想像力で描きだした。
ここで人類幇間機構の設定を説明しておこう。遠い未来において,強大化した下級民たちに対してすっかり自信喪失におちいった人類に誇りを取り戻させるために、人類幇間機構が設立された。人類に対して「いよっ,さすが人類のだんな!偉い!凄い!」と心理的に支える機構である。その組織の真の姿は、充分に説明されることなく未完のシリーズとなってしまったが,その特異な作品はSFマニアの崇拝の対象にさえなっている。
著者C.スミスの正体は、心理戦争の大家であったとも言われているが、西側の報道機関に出たことも一回しかなく、多くの謎につつまれている。心理戦争の専門家として投降ビラの作成を指導したとか、オペラを四曲書いたとか、さまざまな伝説が伝えられはいるが実像ははっきりしない。
さて『ジョンイルという名の星』の訳者あとがきに、「SFを読む楽しみのひとつは、現実から遠く隔たった時空に遊ぶことだが、ときとしてそれが読者の時間識・空間識を狂わせ、かき乱す不思議な体験になることがある」とある。まさにジョンイルという名の世界は、近くでありながら、限り無く現実から遠く隔たった時空であり、読者の時空間をかき乱すのである。
第一級の犯罪者だけが送り込まれる究極の流刑地ジョンイル。この星でどんな苛酷な刑罰が実施されているのか、知るものはいない。一方、ジョンイルには死も犯罪もない、この世の楽園でもある。C.スミスは、この世とも思えない奇妙で魅惑的かつ恐ろしい世界をみごとに描き出した。
黄金の首領様の巨像, 105階建ての永遠に未完成のホテル, 脳に寄生して赤い思想を植えつける思想虫チュチェ, 一日に二回の食事,牛の顔をした案内人ブルガサリ−目につくアイデアをいくつか拾っただけでも、こうしたものが本書のなかでどんな役割を果たしているか、一に説明するのはむずかしいだろう。そのどれもが資本主義国家には真似のできない独自の色,臭い,味わいを持ち、読み終えたとき、読者は、頭のなかにぼんやりと形をとりだした現代史のジクソーパズルのなかに、また一つの小さな絵がはめこまれたことに気づくのだ。
しかし、SFファンが、この国に注目しはじめたとき、すでに、この国は崩壊しているかもしれないのだ。あたかもC.スミスが三千年を失ったように。